追放
「それで、義昭様が追放とは、一体どういうことなのですか?」
足軽もようやく落ち着き、呼吸が整ってきたかという頃、彼が美味しそうにすするお茶の音を聞きながら帰蝶が問いかけた。
「はい。端的に申し上げれば、義昭様が再挙兵、それを織田軍が鎮圧して勝利ということになります」
「やはりですか……」
帰蝶は目を伏せ、着物の袖を口に当てている。
足軽は湯のみを床にある盆の上に置いて詳しい説明を始めた。
「義昭様再挙兵の報せを受けた織田軍は、例の大船が完成するとすぐに琵琶湖を渡って坂本城へ、翌日には京に入って二条城を包囲しました。その時点で柴田様の顔に恐怖を覚えた幕府軍の面々はすぐに退場、二条城はあえなく開城となります」
「あいつの顔、怖いからね。話してみれば悪いやつじゃないんだけど」
「柴田様、傷ついただろうね……」
ばっさりと切り落とすようにお市が言えば、いつもならそれを咎める帰蝶ですらも同情の色を浮かべている。
幕府軍のやつらも情けねえな、と思わないこともないけど、実際に戦場で柴田の鬼の形相を目の当りにしたら俺も逃げてしまう自信がある。しかも、主君が忠誠を誓うに値しない義昭ということであれば尚更だ。
でも、ここでの問題は、柴田の鬼の形相と言うのは常時発動してしまっているもので、別に本人が怒っていなくてもそうなってしまうということだろう。しかも、柴田はたまにそれを気にしているらしい。
優しい帰蝶はそこを心配しているのだ。
「それなのですが。何もしていないのに自分を見て勝手に逃げていく幕府軍を目にした柴田様はいじけてしまい、『もう帰るでござる』と仰ったので、一足先にこちらへ帰還している最中です」
「意外と繊細なのね」
お市が、口元に手を添えながら笑った。いや意外でも何でもなく、あいつは普通に繊細だぞ。
織田家臣団の中で流行っている格言? 的なものに「木綿藤吉、米五郎左、掛かれ柴田に、退き佐久間」というのがある。これは「木綿のように便利で使い勝手のいい秀吉」、「米のように毎日の生活に欠かせない丹羽」、「退却戦に秀でている佐久間」という意味だ。
でも、柴田はこれを聞いて「『掛かれ』って何でござるか? 意味がよくわからないし、古参だからとりあえず入れとくか的な感じにしか聞こえないでござるよ!」とか言って家出をしてしまった。
実際には戦場で先陣を切る際に、柴田が兵たちに向かって「掛かれぇー!」というのを取って「戦場に強い柴田」みたいな意味なんだけど、あいつはもうちょっとわかりやすくかっこいいのがいいらしい。
そういっためんどくさ……繊細な一面を持っているのが、柴田勝家という武将なのである。
ていうか六助は? とも思うけど、あいつはムードメーカー的な立ち位置なんだろう。そういことにしておこう。
「話を戻しますが、それから織田軍は遂に義昭様の立てこもる槇島城へと進軍しました。宇治川の水量などに多少手こずったものの、結果としては問題なく包囲し、義昭様の降伏にて決着となりました」
「そうでしたか。ご苦労さまでした」
座りながら軽く会釈をする帰蝶。
「義昭も、天皇の勅命を破棄してまで敵対したのに、こうなっちゃ形無しよね」
「仰る通りです。討ち取ったり、将軍の地位を剥奪こそしませんでしたが、これから先の義昭様はさぞ辛い思いをされることでしょう」
「それなんだけど、どうして追放にしたの? 私は別にいいと思うけど、いつもなら命とか地位を取ったりするじゃない」
普通なら場が凍り付く物騒な発言も、お市ならもはや「まあお市だし……」という感じになるから不思議だ。
一瞬顔が引きつった足軽も、すぐにいつもの調子を取り戻した。
「私ごときでは家臣団の皆様の意図は計りかねますが……恐らくは織田家、ひいてはその当主であるプニ長様が『将軍殺し』の汚名を着ることを避けたものかと」
「ふぅん。ま、言われてみればそんなものなのかもね」
そう言ったお市は、気が済んだのか視線を外して側にいたモフ政を抱き上げ、流れるように頬をつまんでびろ~んと伸ばし始めた。
本当は動物が大好きなのに、人前で触れ合うのが恥ずかしい彼女としては、このアクションはかなり便利だ。軽くいじっている風に見えるから恥ずかしくないのにムニムニはしっかりと堪能できる。
それを機に場の空気が弛緩していくのを感じた。同じく場の一段落を察知した足軽が、微笑みと共にお市を見守っていた帰蝶に声を掛ける。
「報告は以上です。それでは、私は柴田様をお迎えに上がります」
「はい。お気をつけて」
去っていく足軽の背中を静かに見送った。
それから数日後、戦に出ていた織田家家臣団たちが帰還。一足先に美濃に向かっていた柴田も、近江辺りで待機して本隊に合流したらしい。柴田だけ帰ったのでは言い訳の仕方などが余計にややこしくなるからだろう。
岐阜城の城下町は戦勝に沸き立った。誰と戦い、どういう決着になったのか知らないけどとりあえず騒ぐ民衆もいれば、興味はないけど、家臣団の行列に仕方なしに跪く民衆もいる。いつの時代も人の在り方というのは様々らしい。
帰蝶と一緒に、そんな街中を横切る家臣団の行列をこっそりと見守っていたけどさすがにばれてしまった。
民衆の中から変装した俺たちを発見した柴田が、馬から降りて笑顔で駆けよって来る。
「プニ長様! お会いしとうございましたぞ! こんなところでどうなされたのでござるか!?」
民衆の視線が一斉にこちらへ集まった。周囲からは次々に、ひそひそと会話をする声が耳に届く。
「本当だ、プニ長様だ」「気付かなかった」
「初めて拝見したけど、噂以上に尊いな」「ああ、かなり尊い」
「頭巾を被ってる姿もまたいと尊し」
「わし的にはちょいと尊すぎると思うがのぉ」
「え、じいさん? あんたじいさんか?」
「あんたは誰じゃ」
「俺だよ! もう何十年も前に生き別れた、俺!」
「お、おぉ……まさか、太郎か?」
「そうだよ太郎だよ! こんなところで再会出来るなんて! 積る話もある、とりあえず飲みに行こうや!」
「わしに太郎などという息子はおらん。お主、わしから金をだまし取る気じゃな」
「ちっ……」
感動の再会がありそうでなかったのを少し残念に思っていると、帰蝶にひょいと抱き上げられた。
「お帰りなさいませ、柴田様」
「帰蝶様、只今戻りました。お変わりないでござるか?」
そこで、またもや民衆がざわめき始める。
「帰蝶様、あの方が?」「可愛い子だなあとは思ってたけど」
「いや、何でお前知らねえんだよ。常識だろ」
「あ? てめえの常識俺に押し付けてんじゃねえよ」
「あ? 何だてめえやんのかコラ」「やってやるよコラ」
「いいね! すごく熱いよ君たち! そのまま拳で語り合っていこうよ!」
喧嘩が始まったのを見かけて、いきなりボルテージマックスモードになった明智が馬を降りて参戦した。もうめちゃくちゃだな。
「何だてめえコラ! てめえもやんのかコラああん!?」
「僕も混ぜてくれるのかい!? ありがとう! それじゃあいくよ~はあっ!」
自分の服を掴み、真ん中からびりびりと引き裂いて上半身を露出させる明智。いつも思うけど、いちいち脱ぐ必要ある?
観衆からは様々な悲鳴があがった。
「きゃあ! 明智様よ!」「明智様の裸よ!」
「いや、何で脱ぐんだよ!」「でも筋肉すげえ!」
一方で、さっきまでいきり立っていた男二人は、そんな明智を見てすっかりびびってしまったらしい。顔の色を少しずつ失いながら後ずさっている。
「何なんだよこいつ」「まじでやべえ」
「どうしたんだい!? 来ないならこちらから行くよ!」
「ちょ、ちょっと待っ……ぐわあっ!」
「ぐああっ!」
明智に容赦なく殴られ、後ろに吹き飛ぶ男たち。それを腕を組みながら、笑顔で眺める柴田。
「いやぁ、明智殿は相も変わらずでござるなぁ」
「キュンキュン(見てないで止めろよ)」
「こうしてると、美濃に帰って来たという感じがするでござるよ」
まあ、確かにいつも通りにおバカで、家臣たちが帰って来た感はすごいな。
また騒がしい日常が戻って来るんだろうなと、次はその辺の人を手当たり次第に投げ飛ばし始めた明智を見つめていた。




