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槇島城の戦い

 それから数日後、義昭が和睦を受け入れた。

 家や店を燃やされて困惑し、また悲鳴をあげて逃げ惑う上京の市民の姿を見て、義昭よりも先に天皇の心が折れたらしい。実際のところ、この和睦は義昭が率先して成立させたものではなく、天皇の勅命によるものだ。

 何が言いたいかというと、この期に及んで、この和睦は義昭の本意に沿うものではない、ということ。もっと言えば、和睦したからといってまだ安心が出来ないということだ。

 その為織田軍は、一段落したからといってすぐに美濃へ帰ることはせず、まだ畿内にとどまって義昭が挙兵した時に備えているらしい。具体的には、近江の佐和山にて大船を建造しているのだとか。

 何故大船かというと、簡潔に言えば、もし義昭が再度挙兵した場合は陸路を塞ぐ可能性が高い為、琵琶湖にて軍を湖上輸送するためのものらしい。


 とは言ってもまあ、あいつらが帰って来ない理由としてはもう一つ、六助がすでに美濃に帰って来ている、というのもあるのだろう。備えが終わったとしても義昭との決着が着くまでは帰って来ないかもしれない。


「どんな船なんだろうね」


 昼下がりに沸き立つ岐阜城の城下町、うららかな陽光を浴びながら歩く人々が生み出す喧騒の中を、俺たちは歩いている。帰蝶とお市に、俺とモフ政がてこてことついていく形だ。

 帰蝶に話を振られたお市は、視線を宙に躍らせながら考え込んだ。


「う~ん。正直、艪がいくつあるとか櫓がついてるだとか言われても、船に詳しくないから想像つかないのよね」

「乗る機会だってほとんどないしね」


 穏やかな帰蝶の笑顔は、春の陽射しのように温かく、夏の陽光よりも熱い。かと思えば冬の昼間に差し込む日光のように、俺に希望をもたらしてくれる。

 だからこそ、先日俺がペロペロした時みたいに、たまに秋の陽を浴びながら落ちる葉のようにどこか儚げな表情を見せると放っておけなくなる。だからあのペロペロは仕方のないことであり、俺に下心があったわけでは断じてない。


 現在二人の話題に上っているのは、織田軍が義昭の再挙兵に備え、佐和山にて建造しているという船のことだ。

 そのことを報告に来た足軽が、かの大船が如何にかっこいいか、そして如何に前代未聞の大きさであるかを、ひどく興奮しながら伝えようとしていた為に、さすがに二人も多少は気になっているらしい。


「正に織田家を象徴にするにふさわしい! とか言ってた」

「ちょっと似てるかも」


 お市が両腕を広げながら足軽の口調を真似れば、それを見た帰蝶の口元がにわかに綻んだ。

 ちなみに現在は、四人で岐阜城に向かっているところだ。今日はあまりやることもないので、普段俺が住んでいる岐阜城の様子でも見に行ってみよう、ということになった。

 大船についてあれやこれやと議論を繰り広げながら歩いていると、程なくして岐阜城が見えて来た。


 城内は、いつもと比べて賑わいが控えめだ。俺が城主になって以来、普段は屋敷済みの信長の時には必要のなかった、料理番や厠番ーー犬用のトイレをあれこれする人ーーがいるので、その分人が頻繁に出入りするようになっていた。

 今城内にいるのは、せいぜいが警備の者くらいだろう。


「人がいないと、やはり寂しいものですね」

「そう? 静かでいいじゃない」


 最上階へと向かう道すがら、帰蝶が俺に言葉通りの寂し気な表情で言えば、お市がさらりと答える。

 今日は俺もモフ政も、階段を自力で登っている。普段なら抱っこをしてもらっているところだけど、何となくそうしたかったので、階段の前で抱き上げられた際に軽く前足を上げて「下ろしてくれ」の合図を出した。

 モフ政は俺にならっているか対抗しているだけだ。

 言葉は通じないものの、ところどころでそう言った慣れによるボディランゲージが、俺と帰蝶やお市、六助の間では成立しつつある。


 俺とモフ政が帰蝶とお市についていく形で登っていると、モフ政が後ろからお市に声をかけた。


「バウ」

「何、抱っこして欲しいの? しょうがないわねえ」


 文句を垂れている風に見えながらも、迷わずに飼い犬を拾い上げる、優しい我が妹である。

 というより、もしかしたらただ単に抱っこしたかっただけなのかもしれない。真実は彼女のみぞ知る。


 和やかな空気に包まれながら最上階へと到着。いつも俺が寝室として使っている部屋の前に立った。

 モフ政を抱いたお市が、襖を見つめながら口を開く。


「久しぶりに来た気がするわね」

「そうだね」

「ま、何にも変わってないとは思うけど」

「盗賊が忍び込んでたりして」

「まさか。警備だっているのに」


 あはは、と笑い声を二人してあげながら、帰蝶が襖をがらりと開けた。

 しかし、そこには……。

 こちらに向かって何故か正座をしている、男の姿が。


「お待ち」

「「きゃあああああああああ!!!!」」


 男が何かを言いかけると同時に、女性二人の叫び声があがる。すぐに背後の階段からどたどたと慌ただしい足音が聞こえてきた。


「皆様、どうなされたのですか!?」


 近くにいた警備か何かの足軽が駆けつけて来てくれたらしい。手には槍を持っている。

 お市がそちらを振り向きながら声を荒げた。


「盗賊よ! 捕まえて!」

「お待ちください、お市殿!」

「あっ」

「盗賊ですと!? おのれっ、よりにもよってプニ長様のお部屋に……っ!」


 足軽はそう言ってぎりぎりと憤怒の形相で歯ぎしりをすると、深く息を吸い込んで表情を整え、槍を構えた。


「しかし、これ以上はこの『槍の太郎兵衛』が好きにはさせん! 覚悟っ!」

「だから待てっ!」

「「えっ?」」


 そこでお市と足軽が、目の前の男の正体にようやく気付く。ちなみに、俺と帰蝶は少し前から気付いていた。

 槍の八兵衛? とやらが槍を構えたままで、うろたえながらも確認をする。


「ろ、六助様?」

「そうだ私だ。ようやくわかったか……」

「六助様が盗賊だったのですか!?」

「盗賊ではない!」

「似たようなものでしょっ……」


 興奮する六助の元へ歩み寄ったお市が、震える声音を発した。その震えはもちろん悲しみからくるものではなく、怒りから来るものだ。


「ひっ。お市様、も、申し訳」


 そんなお市を見て、六助が即座に弁明をしようとするも、遅い。彼女はすでに手を広げ、腕を振り上げているところだった。


「このっ!」


 ばちーん、と頬を張る乾いた音が美濃の澄んだ空へと響き渡った。

 いや、ぶたなくてもよくね? まずは話くらい聞いてあげようよ……と思ったけど俺も怖くて見守ることしか出来ませんでした。ごめんね六助。

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