帰還
それからも度々やってきた足軽の報告によれば、俺たちが温泉旅行に行っている間に、織田家は義昭の戦を進めていた。
先日の話通りに今堅田、石山に攻撃を仕掛けて、そこに作られかけていた義昭側の砦を取り壊したのち、京へ進軍。
義昭との戦いは終わっていないものの、今なら織田家の大半は京へ出払っている為、俺たちというか六助が美濃へ戻っても大丈夫とのことで、一度帰ることに。
その道中での出来事だ。
「私の為に歩が遅くなってしまい、申し訳ありません」
「キュンキュン(もうこの場で食えよ)」
六助が飛騨牛を丸ごと一頭買い取り、自力で持ち帰ろうとしているせいで、俺たちの美濃への帰還は大幅に遅延している。六助が牛の手綱を握って横に並び、さながら散歩の様な形で歩いていた。
「ブモ~」
「キュキュンキュン(ブモ~じゃねえよ)」
あまりに進みが遅すぎて、俺と帰蝶も駕籠から出て六助の側で牛を眺めている。
しかしまあ、不思議とこういうのも悪くないな、と思う。本物の牛を見ながら、自然豊かな田舎道をほのぼのと歩く。澄んだ空気が身体の中を洗い流し、穏やかな陽射しに心を洗われているようだ。
空気がたまに牛臭いのがあれだけど、獣なので俺も他人のことは言えない。
正に牛歩の速度の歩みが故に美濃への帰還は遅れに遅れている。その間にも、柴田隊を始めとした織田家からの使者が俺たちのところにやって来ては戦況を伝えてくれていた。
それによれば、京へと進軍した織田軍は、遂に義昭の拠点である二条城にまで迫ったらしい。直接の戦闘はまだ起きていないものの、これまでの戦いと城を取り囲んでいることから、織田家の優位性は明らかだ。
それでも義昭は抵抗を続ける気らしく、二条城には新たな掘が巡らされ、弾薬も運び込まれて戦の準備が万全に整った状態だったそうな。
その上で義昭は城の上から、
「そなたらの
母君はみな
でべそかな
生きることなど
いとあるまじき
(お前らの母ちゃんは皆でべそなことだなあ。生きていることなんてあってはならない)」
などと短歌のようなものを詠んで挑発していたとのこと。
ここまで聞いた俺は、頭に血の上った柴田辺りがいつも通り真正面から突撃するんだろうなあ、とか思っていたんだけど。
「まさか、あいつらが我慢するなんて意外よね」
「うん。それどころか、和睦を申し入れるなんて」
六助から少し離れたところで、お市と帰蝶が声を潜めて話している。
いくら気にくわない野郎だとはいっても、義昭は一応征夷大将軍という立場にある人間だ。織田家としては、どちらが強いのかをはっきりさせて、義昭の鼻っ柱をへし折った上で和睦の形を取り、世間体を繕うのが理想だろう。
という理屈はあるにせよ、確かに二人が言う通り、うちの家臣団にしてはよく我慢した方だと思う。
「でも、義昭が素直に受け入れると思う?」
「う~ん、どうだろ。ちょっと微妙かな……」
答えた帰蝶は苦笑を浮かべている。
義昭の立場になってみれば、織田家のように世間体を気にするならばこの和睦は受け入れるべきだ。事実がどうあれ、世間から見た足利義昭という人物は、織田家に上洛を助けられ、その後の三好三人衆などの襲撃からも守られていて、「義昭は織田家が育てた」的な感じに認識されているはず。
それなのに、義昭は織田家に敵対した。細かい事情を知らない者たちには恩を仇で返す形にしか映らないだろう。
実際、織田軍が京に到着した時、町には「信長が義昭をまるで父母を扱うように養ってきた甲斐もなく、雨がはげしく花(=花の御所。将軍を暗示)を打つ音がすることだ」といった内容の落首が立てられていたそうだ。
落首というのは、五七五七七の短歌形式で、世情を風刺する内容の歌。
封建制度において言論の自由などというものは存在しない。だから一般市民にとって政治や君主に対する批判をしたい時は、ばれようものなら斬首など、命に関わる危険性がある行為なので、人の集まりやすい場に匿名で落首をこっそりと立てるというわけだ。
話が逸れてしまった。とにかく世論を大事にするなら本来、義昭はせめて和睦を受け入れるしかないということ。
と、理屈でものを考えればそうなるはずだけど、そこには義昭の感情が挟まれていない。六助から行動を制限する書状を叩きつけられたことは、麻呂野郎にとっては相当の屈辱だったはずだ。
そして、そんなことをされて我慢出来るような性格でもない。和睦を受け入れるかどうかは、帰蝶たんの言う通り微妙なところだと思う。
それから数日後、ようやく美濃に到着した。
「はあ~疲れた~」
「何だかんだで結構歩いたしね」
大きく息を吐きながらのお市のぼやきに、帰蝶が笑顔で応える。あまりに歩みが遅いため、お市とモフ政も外に出て歩く時間がそこそこあった。夜は宿に泊まったとはいえ、疲労は蓄積しているみたいだ。
俺やモフ政も、二人のことを考えて、ほとんど抱っこしてもらうこともなく歩きっぱなしだった。
息を吐ききったお市が、顔を上げてきっ、と六助を睨む。
「全く、牛一頭を丸ごと持って帰るなんて、頭おかしいんじゃないの?」
「も、モ~し訳ありません」
「キュキュン(やかましいわ)」
申し訳なさそうにしているし、おちゃらけたわけではないのだろうけど、思わずツッコんでしまった。
ちなみに、六助はまだ飛騨牛を連れている。家畜としての牛はそこまで珍しいものではないとはいえ、さすがに街中を一緒に歩いていると衆目の視線が痛い。
「しかし、何だかもの寂しいですな」
目前を真っすぐに伸びる通りを眺めながら、六助がつぶやいた。
岐阜城の城下町は、家臣や足軽の一部が京へと出払っているせいか、いつもより人通りが少なく見える。これまで出陣の際には必ず帯同していた六助にとって、それは珍しいものとして映っているようだ。
心なしか冷たさの和らいだ冬の風が、城下町を自由に駆け巡っている。舞う枯れ葉の少なさや、身震いせずに背を伸ばして歩く人々の姿が、季節の変わり目を感じさせた。
「これから皆さんはすぐに帰蝶殿の屋敷に向かわれるのですか?」
「はい。そうしようと思っております。ご説明した通り、プニ長様も今回はしばらく屋敷に滞在したい、と仰っていましたので」
ソフィアがいる間に話し合って、そういうことにしてもらった。
京にいる家臣団からの報告が来た時のことを考えて、城には戻らないことにしてある。といっても俺以外は普段から城には住んでいないため、帰蝶の屋敷に帰りたいと俺が言い出すのはそこまで不自然でもない。
六助には事前に説明をして、城下町手前で駕籠から降ろしてもらった。
「そうですか。では私も屋敷にいるしかないのでしょうが……皆が織田家の為に戦っているというのに、大人しくしているのも気が引けますなあ」
六助が、平日に休みを与えられた社畜のサラリーマンのような、複雑な表情を浮かべながらそう言った。
「お気持ちはわかりますが、皆さんのお気遣いがあってのことですから、六助様にゆっくりとしていただかなければ、それが無駄になってしまいますよ」
「そう、ですね。そう思うことにします」
帰蝶に穏やかに諭されて、六助は納得していなさそうな表情で頷く。
わかるよ、その気持ち。俺は前の世界で高校生までしか経験出来なかったけど、平日に何かしらの理由で休みになった時って、好きなことしてても何だか背徳感めいたものがあるんだよな。
まあ、中には優越感があって、皆が授業受けてる中で遊べるぜひゃっほ~い、ってやつもいたけど、俺はそういうタイプじゃなかった。
とある十字路で、六助は城の方へ身体を向けてからこちらを振り返った。
「では、私は城に薔薇姫を繋いで来ますので」
「はい。また後日」
そう言って六助は去っていった。え、あいつ牛に名前つけたのかよ。しかも薔薇姫って、ダサいを通り越して怖いネーミングセンスしてんなおい。
六助と薔薇姫の後ろ姿を見送りながら、お市が提案をする。
「ねえ、後であの牛、こっそり調理しに行かない? 義理姉上の侍女なら誰かしら捌けるでしょ」
「もう、お市ちゃんったらだめよ」
苦笑する帰蝶たんを眺めつつ、俺たちも帰路についた。




