柴田隊からの使者
温泉に浸かってからの食事を存分に堪能したら、後は眠るだけだ。帰蝶、ソフィアと一緒に部屋に戻って就寝の準備を済ませ、少しばかりの歓談を楽しむ。
歓談を楽しむ、とは言っても、通訳が必要な上に元々口数が多い方ではない俺はあまり喋らない。大体が帰蝶とソフィアが楽しそうにお喋りしているのを聞いているだけだ。
すると不意に、部屋の出入り口と向かい合う方角で座っていた帰蝶が、目を見開きながら襖へと視線を移す。ソフィアを背中に乗せて寝転がったままそちらへ振り返ってみれば、見覚えのある一人の足軽が、音もなく襖を開けて一礼をしているところだった。
帰蝶が首を傾げながら声をかける。
「あなたは確か、柴田隊の方でしたよね? こんな時間にどうなされたのですか?」
足軽は部屋に足を踏み入れてから後ろ手に襖を閉めてから口を開く。その声は内緒話でもするかのように潜められていた。
「夜分遅くに大変申し訳ありません。柴田様からのご命令で、決して六助様には見付からない様にと……」
「ああ」
帰蝶はそれで全てを察したらしく、こくこくと二回ほど首を縦に振る。
恐らく、織田家は既に義昭攻めに取りかかっていて、その戦況の報告といったところか。
それなら六助にばれてしまえば「義昭を攻めていたのか!? どうして私に言わなかったのだ!」となり、すぐに美濃へ帰るか戦場へと向かったことだろう。そうなると、今回の温泉旅行や家臣たちの気遣いなど色々なものが無駄になってしまう。
これまでの経緯をよく知らないソフィアがぽかんと間の抜けた顔をしている中、帰蝶の反応を確かめた足軽が続ける。
「ご報告申し上げます。プニ長様御一行が美濃城を出立なされてすぐに、織田家は義昭様へ使者を送り、プニ長包囲網を主導しているのがかの御仁なのか確認をしたところこれを認めたので、織田家への攻撃を止めるように申し入れました」
柴田は倒すなどと息を巻いていたけど、いきなり攻めては世間体が悪い。まずは攻撃を止めろ、さもなくば……と警告を入れたということだ。
帰蝶は居住まいを正し、ソフィアは少しずつ話のわかってきたような表情で話を聞いている。
「それに対し、義昭様は『嫌じゃ、六助が謝るのが先でおじゃろう、大体織田家はなんじゃ、あやつ以外の家臣にしても麻呂への敬意が足りんのではないかえ? 確かにプニ長めが尊いのはわかるが、麻呂はあれとは別の意味で尊いのであるからして……』などと面倒くさいことを仰いましたので、潰すことにしたそうです」
「キュンキュン(いやいや)」
結局感情が先走ってるじゃねえか。いや、気持ちはわかるけどね?
帰蝶もソフィアも、思わず「あらまあ」という呆れと驚きの入り混じった言葉が漏れ出そうな様子で、口に手を当てて聞いている。
「今後の織田軍と致しましては、まず琵琶湖の南西方面にあります今堅田と石山にある義昭の砦を攻撃し、その後現在やつが拠点としている京都の二条城へと進軍する予定です」
「わかりました。報告ご苦労様です」
「キュンキュン(お疲れ)」
「ご苦労様です! 良ければプニ長様をプニモフしていってください!」
ソフィアが俺の背中から飛び立ちながら元気に言うと、足軽はサークルの先輩から「焼肉奢ってあげるよ」と言われた貧乏学生のような反応を見せた。
「ほ、本当によろしいのですか?」
「ええ。ね、帰蝶ちゃん!」
「はい。普段ならば家臣の方々に阻まれてしまうところですが、幸いにも今はどなたもいらっしゃいません。プニ長様も快くお許しくださるでしょう」
正直なところ全然そんな気にはなれないけど、帰蝶にそう言われてしまっては仕方がない。小さい男だと思われたくないし。
それにこの足軽はおっさんではないのでそこまで嫌でもない。ちょっと嫌、くらいな感じだ。
足軽の前に歩み出て首を傾げ、尊い顔を意識して作る。
「キュキュンキュン(かかってこいや)」
「好きなだけプニモフして欲しいキュワ~ンと仰っております!」
「キュキュウンキュ(おいちゃんと訳せよ)」
まあ、許可するという意思は伝わってるしいいか。
足軽は本当にプニモフしてもいいのか逡巡している様子だったけど、しばらくして生唾を飲み込むと、意を決したように口を開いた。
「で、では失礼して……」
恐る恐る俺を抱き上げて肉球を触ったり、頬ずりをしてみたりする度に、足軽の口元は緩んでいった。
そんな光景を帰蝶とソフィアが笑顔で見守っている、そんな時。不意に襖が静かに叩かれる音がして、全員がそちらを振り返った。
こんな夜遅くに誰だろうか、でもこの宿にいる人は限られている。まさか……と全員が首を傾げつつ嫌な予感を抱えていると、襖の向こうから声が届く。
「夜分遅くに申し訳ありません。御三方とも、もう寝入ってしまわれましたか?」
聞き慣れたその声はやはり六助のものだ。
俺やお市辺りならここで無視を決め込んだのだろうけど、そんなことを帰蝶が出来るはずもない。
全員で顔を見合わせた後、少し迷ってから、帰蝶は返事をした。
「いえ起きていますよ。どうなされたのですか?」
そして、足軽が慌ててどこかに隠れようとするのを手で制す。その堂々とした所作と佇まいは、凛としていて美しい。
間もなく襖が、わずかばかりに音を立てながら開けられる。そこからゆっくりと部屋に侵入するや否や、想定外の影を見つけた六助が首を傾げて尋ねた。
「お主は柴田隊の? 何故こんなところに」
どうしたらいいのかと問う足軽の視線を受け止めた帰蝶は、六助を真っすぐに見つめながら笑顔で応える。
「柴田様からのご報告があるということなのですが、六助様のところへ行く前にこの部屋に寄ったとのことです」
「そ、そうです! 先にプニ長様の部屋へ寄ろうと……」
「なるほど、そういうことでしたか」
帰蝶が言ったこともあってか、六助は意外にすんなりとうなずいた。それから俺たちの近くまで来てどっかりと座り込む。
「それで、柴田殿からの報告というのは?」
少し考える為の間を置いた帰蝶の口が開きかけたのと同時に、焦った足軽が先に答えてしまった。
「お土産をお願いします、とのことです!」
「わざわざそんなことを、ここまで!? しかもそれは報告というよりただのお使いなのでは!?」
「どうしても温泉地のお土産が欲しいとのことで」
「そんなに!? 柴田殿がそこまで気に入りそうなものがこの地にあったのか? 私は温泉以外には良く知らぬのだが」
顎に手を当て考え込む六助。
「具体的に何が欲しい、というのは仰っていたのか?」
「いえ、そこは親友である六助様なら言わなくてもわかるはずと」
「確かにそうだが……むむ」
こいつ、嘘を吐くのが下手くそな割に六助のツボは押さえてやがる。さすがは柴田隊といったところだ。
「下呂温泉といえば、朴葉寿司に飛騨牛じゃないですか!?」
今まで事態を静かに見守っていたソフィアが久しぶりに言った。それを聞いた六助が感心したように言う。
「何と、そんなものがあるのですか」
「朴葉寿司はこの辺りに伝わる郷土料理ですし、飛騨牛はまあ、その……食べてみればおいしいかも!」
「まあ、その……」を言う辺りのソフィアの視線が泳いでいた。
牛ってのはこの世界ではまだあまり食べられてないからな。こいつさては、日本の岐阜に伝わるお土産で、今食えそうなものを選んだな?
「くっくっく、そういうことでしたか。つまり柴田殿は、隠れ美食である飛騨牛の肉を一度食べてみたかったということですな? 念の為朴葉寿司とやらも買い付けておくとして……明日、飛騨牛を牛ごと手配しますか」
「キュンキュン(牛ごとかよ)」
翌日、六助は本当に飛騨牛を一頭丸々買い付けてきた。




