義兄弟
歩く姿勢のまま対峙するも、モフ政は微動だにしない。
「……」
「キュキュン(やんのかコラ)」
「……」
「キュキュン(この足袋はやんねえぞコラ)」
「……」
「キュ、キュキュン(おい、何か言えよ)」
「キュウ~」
「キュウンキュン(いやキュウ~じゃなくて)」
本物の犬だし、やっぱり何が言いたいのかはわからないけど、何となく俺に対する態度は軟化しているように思える。前は威嚇してきてたからな。
帰蝶が思わずといった感じで笑みをこぼした。
「ほら、お兄ちゃん遊んで~と仰っておりますよ?」
「キュン(まじっすか)」
「いいじゃない。ちょっとくらい遊んであげなさいよ」
「キュン(ええっ)」
お市の軽く睨むような眼差しに射抜かれ、渋々遊び相手になることを決断する。とは言っても、何をしたらいいのかはわからないので直接聞いてみるしかない。
「キュキュウン? (何かしたいことはあるのか?)」
「……」
「キュンキュン? (ていうかまじで俺と遊びたいの?)」
「……」
だめだ埒が明かない。こうなったらもうあれしかないな。
縁側の方へと向かって歩きつつ、義弟の方を振り返る。
「キュン(ついてこい)」
「……」
ついてきた。どこかで訓練でもされたレベルで賢いな。
「お出かけですか? お供いたします」
「この寒いのに元気なやつらね」
帰蝶とお市も立ち上がってついてくる。別に座ってていいのに。
縁側まで出ると、自然とモフ政が横に並ぶ。庭を眺めながら、後ろ足だけ座った姿勢のままで語りかけた。
「キュウン、キュキュン(義弟よ、これが雪だ)」
「ワウ」
「わぁ、いと尊しです」
「……」
二人で並んで庭を眺めている姿が気に入ったのだろう。帰蝶が背後でわかりやすく興奮した声をあげた。見えていないけど、お市も言葉を失うくらい尊いと思ってくれているはず。全く、可愛いというのは罪だぜ。
俺はモフ政に雪を教えてやろうと思った。この身体じゃ雪合戦をしたり、雪だるまやかまくらを作ったりは出来ないけど、景色を眺めたり走り回ったりするだけでもわかることはあるだろう。
犬にそれがわかるかはともかくとして、庭への一歩を踏み出す。
「キュウン、キュ。キュキュン、キュウン (さあ義弟よ、行くぞ。義兄が雪というものがどういうものなのか、教えてやろう)」
「あ、お待ちくださいませ」
背後から両前足をとって、ひょいっと抱っこされてしまう。
「お市ちゃん、足袋を取って差し上げて」
お市が黙々と足袋を外している。一方で、モフ政は下から「俺も遊んでくれやぁ……」みたいな感じの、ぶちゃいくな顔を向けていた。
「はい。外せたわよ」
「お待たせいたしました」
再び床に降り立つ。準備は万端、俺は改めて庭への一歩を踏み出した。
庭一面に敷かれた新雪を踏めば、ふわりふわりと音が鳴る。まるで雲の上にいるような心地に、自然と足も軽くなっていった。
おっと、思わず雪に夢中になってしまった。振り向けば、モフ政は静かに俺についてきていて、帰蝶とお市も足駄と呼ばれる、普通よりも高い下駄を履いて庭に繰り出している。
普段から履くようなものじゃないから、あらかじめ外で遊ぶつもりで用意していたんだと思う。いと尊しだ。
二人は適当に雪をすくって手に取り、「冷たいね」とかそんな他愛もない会話を交わしている。そんな女性陣を眺めた後、モフ政の方を振り向いた。
「キュキュン、キュウン (いいか義弟よ、これが雪だ)」
「……」
「キュ、キュウン、キュンキュン (おい。何か言え、言ってください)」
「……」
「キュンキュンキュウン (雪だっつってんだろコラ)」
「……」
「キュウン(駄目だこりゃ)」
こいつ、大人しいのはいいんだけどほとんど意思疎通が図れないのが困る。
尻尾を振ったり吠えたり、寄り添ってみたり。犬にだって気持ちを表す手段はいくつかあるわけで、大人しすぎてそれらを滅多にしないモフ政は、何を考えているのかが全く読み取れない。
さてどうしたもんかなぁ、と途方に暮れていると、突如背中に鋭く冷たい感触が襲い掛かって来た。
「キャワン! (ぎゃっ!)」
「ふふっ、冷たいでしょ」
思わず飛び跳ねてしまった。雪玉であろうものが飛んできたと思われる方角を振り返れば、そこには正に、悪戯を成功させた子供のような笑みを浮かべたお市が投げの姿勢をとくところだった。
帰蝶が困り顔で注意をする。
「もう、だめだよそんなことしちゃ」
「これくらい大丈夫だって。むしろ遊んでもらえて喜んでるんじゃない?」
「キュキュンキュン(んなわけねーだろこのやろう)」
二人きり(モフ政はいても大丈夫)の時だと優しかったりするくせに、他の人がいるとどうしてこうなんだ。照れ隠しかこら。それともギャップ萌えかおい。
それにお市がこういうことをしてくると、この先の展開はもう決まっている。
「それっ!」
「キュ、キュウンキュンキュン(はっ、当たんねえな嬢ちゃん)」
高速で迫りくる雪の弾丸。余裕ぶっては見たものの、それは誰にも伝わっていないだろう。
超小型犬の身体だから雪玉がでかく見えて精神的なプレッシャーもすごいし、弾速が意外と出ているから、心身の両面で必死だ。
お市は悪戯にせよお仕置きにせよ、一度攻撃を始めると止まらない。お尻に、ぺんぺんをされた時の痛い感触が蘇った。
ひゅっ、ぼすん。ひゅっ、ぼすん。風切り音と弾着音が交互に鳴り響く中で、俺は屋敷の庭という名の戦場を自在に駆け巡る。もはや俺がお市を遊んでやっている事実に触れることが出来るものはこの場にはいない。
おろおろと事態を見守る帰蝶の姿が一瞬視界に入る。君には笑っていて欲しいから俺、頑張るよ……!
でもいつまで続くとも知れない、気が遠くなるような攻防は、意外にもあっさりとかつ突然に終わりの時を迎えた。
「……」
俺の行く先にモフ政が現れたからだ。
いや、恐らくは現れたんじゃない。モフ政はさっきから全く動いていなくて、俺の方が激しい逃亡劇の末に元いた場所に戻ってきたんだ。
とにかくこのままじゃまずい。どうにかしないと……そう思った時にはもう手遅れだった。
「ワオ~ン! (どけ~っ!)」
「……」
「キャン! (ぎゃっ!)」
成すすべもなくぶつかってしまう、織田家の当主と浅井家の当主。それはまるでこの世界の歴史のようで……。
「ギャワン!」
「キャン! (おわっ!)」
なんて言っている場合じゃない。二匹が衝突した矢先に、俺の行く先を見据えて偏差投げをしたお市の雪玉がモフ正に直撃し、飛び散った雪でこちらまで被害を受けてしまった。いや被害を受けたのはモフ政の方か。
お互いにこけるほどではなく、俺たちはその場でぶるぶるっと身体を震わせて雪を払おうとする。
「プニ長様!」
「モフ政!」
帰蝶とお市が、それぞれの夫(という名の飼い犬)の元へと駆け寄る。
「大丈夫ですか? プニ長様」
「キュウン……(帰蝶 is my angel……)」
俺の元へと舞い降りた天使の御手が、身体に纏わりついた雪を払い、抱き上げてくれた。
「何やってんのよもう。どんくさいんだから」
悪魔のささやきに振り向いてみれば、やつはモフ政を抱き上げてそんな文句を垂れていた。モフ政は珍しく尻尾を振って、ご主人様に構ってもらえて嬉しいというメッセージを発信している。
俺を抱っこした帰蝶が、屋敷へと向かって歩きながらお市に言った。
「中に入りましょ。プニ長様とモフ政様を温めて差し上げなきゃ」
「そうね」
何が「そうね」だこんにゃろ~などという元気ももはやわかない。走り回って疲れ切った俺は、その後はゆっくりと休んだ。帰蝶のいない隙を窺って俺をプニモフするお市に、たまに起こされながら……。
まあでも、長らくこっちには帰ってきてなかったし、束の間の休息の中にこんな日があったっていいのかもな。




