和睦
涼しい、というには少し冷えてしまった風が全身の毛を撫でていく。山道の両脇を鮮やかな紅葉たちが彩るも、その葉は日を追うごとに着実に散っていて、目に見える景色はすでに冬支度を始めていた。
その眺めを楽しみたいこともあり、今回は駕籠に入ることもなく歩いている。
「足は痛くありませんか? 抱っこが必要ならばいつでもお申し付けください」
「キュン(うっす)」
横を歩く六助が気を使ってくれた。こうやって見上げていると、すごく背が高く見える。
現在、俺と六助、そして護衛役の馬廻衆たちは、朝倉家及び本願寺との和平条約的なものを締結すべく延暦寺へと向かっている。
あの軍議の後、家臣団にうまいことのせられた六助が鼻息荒く「皆と仲良くしたいので仲介おなしゃっす」みたいな書状を朝廷と義昭に送り付けたところ、「了解っす」みたいな返事が来た。
それから日程や時間を調整してもらって今に至る。場所が延暦寺なのは、浅井朝倉家が織田家の包囲にびびって比叡山から降りて来られないからだそうだ。
ちなみに、浅井家とはすでに書状で話がついている。
彼らはもちろんお市とモフ政の返還を条件として付きつけて来たんだけど、当のお市が「もうちょっとこっちにいる」と言ってきかなかったので、しょうがなく金や米など実用的な物資を渡して納得してもらった。
実際、織田家に半分人質をとられていた形なので、朝倉家と一緒になって戦った浅井軍の数はそんなに多くない。心理的な面からいっても、それで手打ちとしてもいいとのことだ。
俺が返事をすると、横を歩く六助は表情を曇らせる。
「しかし、わざわざプニ長様にまでおいでいただくことになるとは……私が至らないばかりに、申し訳ありません」
「キュキュン(いいってことよ)」
正直に言えば、最初は戦に同行するのは嫌だって思っていたけど、最近はそこまででもない。いつの間にかそういう流れになっていたのが気になるくらいで、むしろ帰蝶さえ美濃で待っていなければ積極的にしたいくらいだ。
流れで現在の状況になってしまったとはいえ、家臣たちには愛着が湧いて来た。それに彼らが織田家の為、あるいは俺の為に働いてくれているところを見ると、さすがに少しは力になりたいと思ってくる。
おまけに今回は織田家存亡の危機ということもあって、肉球を差し出すくらいで役に立てるのならむしろ望むところだ。
六助が拳に力を込め、空を見上げながらつぶやく。
「私も、かけがえのない友人たちの為に頑張らなければ……土下座を」
ソフィアがいたとしても、真実を教えてあげられる気がしなかった。
それからはあれこれと考えるのをやめて、ただただ風景を楽しむことに没頭しながら歩く。ところが。
「ふう。さすがにこの山道は中々辛いですね」
「キュキュキュン……(まだ着かねえのかよ……)」
登っても登っても終わりが見えず、体力もさることながら精神力が底を尽きかけている。道中琵琶湖を見下ろすことが出来る絶景なんかもあったけど、もうそれを楽しんでいる余裕すらなくなっていた。
ていうか何でこんな無駄に高いとこに寺を建てるんだよ。山奥に籠らなくても、森の中とかなら煩悩も振り払えるだろ。
なんてただの八つ当たりを心の中に浮かべていると、やがて山道が開けて、その先に背景の紅葉と交わってもなお映える、鮮やかな朱色の建物が見えて来た。
「プニ長様、ようやく到着しました。こちらが比叡山延暦寺の大講堂です」
俺の知っている寺とは、姿形は似ていても色合いが異なる。柱や枠の部分など、至るところが朱色に塗られていて、「綺麗」とか「美しい」というよりもまず「寺にしては派手だな」という感想が先んじてしまう。
でも、六助は腕を組んで何度かうなずきながら「相も変わらず素晴らしい」なんて言っていた。俺とは感性が違うらしい。
馬廻衆を待機させ、疲れた足を引きずって大講堂の中へと入ってみると、そこにはすでに変なおっさんたちが待ち構えていた。
シャイニングつるつるおじさんが顕如、ひげがカールしてるおっさんが麻呂野郎こと室町幕府の将軍、足利義昭ってのは覚えている。ということは後一人、頭の中心ラインは剃毛せず、髪を上でくくっただけのおしゃれちょんまげをしているやつが朝倉義景か。
「……ったい……許……織田……当に……でも……国……帰……」
ただ、何だか妙にやつれているし、視線が下を向いたまま何かぶつぶつと言っていたりして不気味だ。
俺たちに気付いたハゲが柔らかく微笑み、自身の向かいに置いてある二枚の座布団を手で示した。
「ようこそおいでくださいました。さあ、どうぞこちらへ」
広い大講堂の中にぽつんと、おっさんが四人。そして犬が一匹。
顕如と義景らしき人物が横並びに座っていて、その向かいに俺たちの分と思われる座布団が置いてある。そしてその間に、スポーツとかの審判員みたいな感じで義昭が座っていた。
「どうも」
軽く会釈をして着席する六助。腹の虫が突然に暴れ始めたらしく、腰の辺りで静かに作られた拳がかすかに震えている。仲間がやられた怒りや憎しみを必死に抑え込んでいるのだろう。
ここは和解する為の場。決して暴言を吐いたり、失礼な態度を取ってはならないのだ。
「おや。もしやあなた、あの時の腐った魚の臭いを発していた方では」
「は?」
と思いきや、顕如がいきなり喧嘩を売って来たせいで一触即発の空気になってしまった。
「腐った魚の臭いとはなんぞえ?」
「キュン、キュキュンキュン(おい馬鹿麻呂、話を広げようとすんな)」
「いえ、先日プニ長本陣を襲撃した際に、この方の臭いが強烈すぎて撤退せざるをえなくなってしまったのです」
「ほほう、それは面白い。麻呂は魚が好物なのでさほど気にはならぬが……たしかに六助からはおいしそうな匂いがしておるのう」
「キュウンキュン(まじかこいつ)」
義昭は六助に近寄り、しきりに匂いを嗅ぎ出した。六助の手の震動が急速に強くなっていく。
義昭はちょこちょこ六助と顔を合わせているものの、長時間一緒にいる機会はあまりなかった。今までは「どこからかいい匂いがする」程度にしか考えていなかったということらしい。
一つ深呼吸をして落ち着いた六助は、明らかに無理をした風な笑顔を作った。
「顕如殿こそ、私たちを苦しめたその頭はご健在のようで。いや~今日も存分に陽の光を反射しておられますなあ」
「キュキュン(お前も対抗すんな)」
「でしょう? 俗世との縁を切り、法然様の教えを説く者となった証であって、私の自慢です」
さらりと返されてしまった。
財力も兵力も存分に持ってるやつに言われたかねえな、とは思うけどもちろん口に出したりはしない。出しても通じないけど。
「ぐっ、ぐぬぬ……」
「……魚……好き……香り……腹……減った……」
悔しがる六助と不気味な義景には構うことなく、いつの間にか元の位置に戻っていた義昭が口を開いた。
「では、ぼちぼち始めるかえ」
「殺し合いをですか?」
「キュンキュン(お前はここに何をしに来たんだよ)」
六助からは目で見えそうなくらいの殺気がみなぎっている。
「あなたは一体ここに何をしに来たのですか?」
顕如からも言われてんじゃねえか。
「本願寺や浅井朝倉と仲良くしたいと言い出したのは織田家であろ。その気がないのならこの話はなかったことにするえ」
「う……ごもっともです」
義昭からいさめられて、六助は大人しくなった。気持ちはわかるけど、ここは織田家の為に頑張ってもらいたいところ。無事に和睦が成立したら思う存分にプニモフさせてやろう。
「では改めて、話合いを始めるとするかえ」
こうして、俺と六助の静かな戦いが始まった。




