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六助の功

「えっ、えっ?」


 何がなんだかわからないといった感じの六助の声。


「何だこいつ!」「魚の匂いがするぞ!」


 具足と砂の擦れる音からして、どうやら本願寺兵たちは後ずさりしているみたいだな、と思っているとようやく視界が戻ってきた。

 そこには予想通りの光景。命をかけて突撃したのに戦闘にすらならず戸惑う六助と、身を引きながら六助から離れている敵方の兵士達。


「何だ、かかってこんか! 貴様らそれでも武士かぁ!」


 六助がうろたえながらも叫ぶと、敵兵たちはひそひそ話をしていた。


「いやだって。あの、どうします顕如様?」

「なるほど、これは厄介ですね……」


 顕如は鼻を手で覆っている。


「仕方がない、今日はこれまでにしておきましょうか。このままでは敵方の援軍に退路を断たれてしまう恐れがありますから」


 そう言って退却の合図を出した顕如は、天幕から出る際にこちらを振り返り、六助の方を見た。


「六助殿、と仰いましたか。覚えましたよ。では……」

「追え、追えーっ!」

「いえ、この損害で追いかけたのでは逆に返り討ちにあってしまいます。追撃は行わない方がよいでしょう」


 去った顕如軍を追いかけようとする家臣を、冷静に制止する六助。天幕の外で鳴っていた戦闘音もいつしか止んでいて、中に応援が来なかったということは、他にも味方が大分やられているということだ。

 損害は思っているよりもはるかに大きいと思っておいた方がいい。


「まずは負傷者の手当てを。手が空いた者は自陣に戻り、明日に備えて睡眠をとっておくでござる」


 行動の指針が決まり、人々が忙しなく右往左往し始めた。指示を出した柴田はそれを見届けると、ある人物にそっと視線を向ける。

 その人物とは……。


「魚の匂い、か……」


 誰あろう司寿六助その人である。柴田はその背後に歩み寄り、肩にそっと手を置いて、わざとらしいまでに明るく振る舞う。


「もしかして、顕如に言われたことを気にしているのでござるか? いやあ、敵ながら笑える冗談でござったなぁ。ははは」


 自分でも不自然だとは思っているのだろう。冷や汗をかきながらも、乾いた笑いがこぼれるのを止められないといった様子だ。

 しかし、六助は静かに首を横に振った。


「いえ、冗談ではないでしょう。あの場面で冗談を言う理由が見当たりません」

「そんなことは……」

「柴田殿、正直にお答えください」


 振り向いた六助の顔は真剣そのものだった。鋭い眼光が、嘘偽りを一切許さないという意思に満ち溢れている。


「私は臭いのですか?」

「…………」

「…………」

「その、ちょっとだけ……」

「やはりそうでしたか」


 二人の表情が、まるで何かを我慢しているかのように歪む。

 そこでこの期に及んで気を遣う柴田が、慌てて場を取り繕おうとする。


「でも六助殿、本当にちょっとだけでござるよ? それにそもそも、匂いを発しない人間などいないのであるからして」

「いえ、いいのです」


 その瞳はすでにどこか遠くを見つめていた。夜空に浮かぶ星々を見上げるのは、そこに自分の居場所を探し求めるが故だろうか。


「自分でも薄々は感づいていました。私の体臭がちょっときついかもしれないということに……」

「六助殿」

「武士に情けは無用」


 そこにあるのは拒絶と覚悟だった。ただありのままに事実を受け入れ、仲間からの中途半端な優しさを拒み、辛い現実と戦っていくのだという意志。

 別にそこまで気にならないけどなあ。俺は元いた世界でペットショップに通いまくってたから、多少臭うくらいなら平然としてられるし。


 てかね、ちょっと臭うくらいいいだろと。ペットショップでもしょっちゅういたんだよね、店内で「くさい」とかいうやつ。動物だし、あの子たちは人間みたいに排泄物を処理出来ないんだから、ある程度臭うのは当たり前なんだよ。

 むしろ俺クラスにもなると、チワワの入っているケージが臭ったりすると、頑張って生きてる感を覚えてより尊くなってしまうまである。

 ペットショップで仲の良かった店員のお兄さんも、「一生懸命お世話させてもらってるのに、目の前で『くさい、汚い』なんて言われちゃうと、仕事とはいえ辛いものがあるよね」なんて嘆いてた。


 だから俺は許さない。動物、特に犬や猫に対して「くさい」なんて言うやつを、絶対に。

 あ、六助は一人で頑張ってください。


 意固地になってしまった六助に対し、もはやフォローをするのは無理だと感じたのか、柴田は攻め方を変えてきた。


「時に、六助殿は屋敷でどんな香を焚いておられるのでござるか?」


 六助は何を突然、と言った視線を向ける。


「香木は何となく苦手と言いますか、男らしくないような気がして所持すらもしておりません」

「えっ?」

「えっ?」


 お互いに間の抜けた顔で間の抜けた声を出した。


「それは真の話で?」

「え、ええ。そういう柴田殿はどうなのですか?」

「拙者はいくつか。家臣団の中では少ない方ですが、武将のたしなみとして持っているでござるよ」

「たしなみ……そういうものなのですか?」

「本当に興味がないのでござったか。信長様も、『香』には大層夢中になっておられたものでござったが」


 どうやら「攻め」は上手くいったらしい。どこか安堵したような笑みを浮かべた後に、柴田は香木についての説明をしていく。


「拙者は武将の身でござる。武将はその首を狙われやすく、命が危険にさらされる機会は足軽たちよりも遥かに多い」


 そこは同意らしく、六助は首を縦に振った。


「だからこそ、万が一敵方の兵に打ち取られても恥ずかしくないよう、香を衣服に焚きつけてから出陣するのでござるよ」

「討ち取られても、恥ずかしくないよう……」

「というのが拙者の『たしなみ』でござるが、他にも組香を楽しむ者や、純粋に香木を収集する者も多いでござる」

「組香……たしか香道の中にある、香りの楽しみ方の一つでしたか」


 柴田が嬉しそうにうなずく。


「そうでござる。どの香木が使われているのか当てるのが楽しく、中々に白熱する者もいるでござるぞ」


 香道という言葉を聞きつけた家臣たちが、作業を中断してわらわらと、二人のところに集まってきた。


「組香の話ですかな?」「私も混ぜてください」

「少量なら拙者も今持ち合わせておりまして……」


 談笑を交わす家臣たちを手で示しながら、柴田が六助の方へと視線をやる。


「どうでござるか? このように皆、香木には興味があるのでござる。六助殿もたしなみとしてやってみてはいかがでござるかな?」

「柴田殿……」


 配慮に気付いた六助が、喉の奥を詰まらせたようなつぶやきを漏らす。感動して涙が出そうになっているんだと思う。

 恐らく、柴田は「お香を使えば臭いも何とかなるよ」と言ってあげたいのだと思う。あるいは俺の考えすぎかもしれないけど、「みんな臭いをお香で誤魔化しているだけなんだよ」、とも。

 ええ話やな……。


「でも私、香木に関する知識は全く」

「何を仰るか。ここにはその知識を持った者が腐るほどいるでござるよ」

「何? 六助殿もついに香道を始める気になられたか?」

「私のお気に入りの香木を分けて差し上げましょう」

「次は、素晴らしい香りで敵の足を止めてやりましょう!」

「皆さん……」


 六助は次々に自分の元に押し寄せる家臣団を眺めながらまなじりに涙を溜める。そしてそれを拭いながら言った。


「私にこんなに友達がいたなんて、知らなかった」


 すると、家臣団は苦笑しながら、


「え? いや、友達ではないですが、同じプニ長様に仕える家臣ですから」

「そうですな。友達ではありませんが」

「友、というのとは違いますが、プニ長様を想う心は皆同じ」


 と言った。


「…………」


 六助の友達作りの日々は、まだ始まったばかりだ――――。

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