新年の挨拶
秀吉が予見した通り、本圀寺の周りに大量の納豆が撒かれ、それを義昭のアホが踏んで足を取られて転び、怪我をしたという情報が入って来た。六助が何とか対処してくれたらしいけど、ひとまず援軍にいくことに。
ちなみにそれらの出来事は正月に起きたと聞いている。新年早々、本当にご苦労なこった。
外に出てみれば、街は見渡す限りの雪景色に包まれていた。肌を刺すような鋭い冷気の中で、うちの家臣たちがまるで子供のようにはしゃいでいる……のは別にいつものことだった。
「こやつめ~! やったなハハハ!」
「柴田殿こそハハハ!」
帰蝶に抱っこしてもらって、柴田と秀吉が熾烈な雪合戦を繰り広げる様子を眺めながら駕籠に乗り込んだ。
今回の京への出陣は援軍、つまりは戦うことが目的ということで、さすがに帰蝶を同行させるわけにはいかなかった。本当は俺も行きたくなかったけど、義昭への新年のあいさつとかそういうのがあるらしい。
「どうかお気をつけて。ご武運をお祈り申し上げております」
駕籠の中に納まった俺を不安そうに見つめながら、帰蝶がそう言った。
戸が閉まり、やがて外から聞こえて来る人々の足音と馬の蹄が地面を叩く音が、出陣を報せる。人力で動いているが故の独特な揺れにはまだ慣れずそわそわしていると、窓枠で切り取られた景色の中を舞う粉雪が心を鎮めてくれた。
ゆっくりと流れていく美濃の街並み。さっさと全部終わらせて帰りてえな……なんて思いながら旅は始まった。
隣には誰もいないけど、幸いにも蹴鞠や骨みたいなのがあるおかげで、道中はそこまで退屈することもなかった。
骨みたいなのはともかくとして、この蹴鞠というものは悪くない。ころころと前足で転がして遊んでいると案外と時間を忘れることが出来た。決して俺の精神が犬に順応してきたわけじゃない。
とはいえさすがに何時間も遊んでいると飽きるので、小さな身体を活かしてのびのびと寝ていると、ふと駕籠の戸が開いた。
「プニ長様。お昼に致すでござるよ」
ちょんまげのいかつい落ち武者風のおっさん。今回は六助がいないので、柴田が側についてくれているらしい。
ごつごつとした腕が、笹の葉にくるまれた何かを目の前に差し出して来た。
「帰蝶殿からプニ長様のご飯を預かっているでござる」
中からは、ちょっとばかり形の歪んだおにぎりが現れた。
京都で振る舞ってくれて以来料理をしていなかった帰蝶が、俺の為に頑張って作ってくれたのか。
猛烈に感動しながら、早速一口ぱくついてみる。見た目通りのシンプルな味付けで中々に塩が効いていておいしい。これをあの子が作ってくれたというのなら余裕で毎日食べられそうだ。
京都での焼き魚風何かや白ご飯風雑炊があったから、また独特な味付けをしているのかと思っていたけど、今回は普通だ。どうやらあれはただ単に料理に慣れていなかっただけで、奇抜な感性を持っているわけではないらしい。
お礼に、美濃へ帰る時には何か帰蝶にお土産を買って行きたいな……と思いながらおにぎりを平らげた。
雪で激しくテンションのあがった織田家の面々は、かけっこで競争したりしてはしゃぎながら、京都までの道のりを二日間で踏破してしまう。
本圀寺までいけば、入り口の門のところで鼻息荒く、瞳を輝かせた六助が俺たちを待ち受けていた。
「プニ長様、お待ちしておりました!」
両腕を広げながらこちらに近寄って来たので、頬ずりされそうなことを察知して逃げる。すると何を勘違いしたのか、家臣たちは皆「お待ちを!」「御戯れを!」とか言いながら俺を追いかけ、寺の領地内で駆けっこが始まった。
数分走り回りさすがに全員が疲れてきたところで、俺と六助、秀吉、柴田の四人は横並びで歩きながら本堂を目指して歩く。
秀吉が六助に、襲撃事件の首尾を尋ねた。
「して、襲撃事件の方はどうなったのですか?」
「驚異的な量の納豆は、私の方で全て処理いたしました」
「処理いたしたとは、どのように?」
「え、普通に手で拾って……」
そこで会話に参加していなかった柴田が何故か立ち止まったので、何事かと全員で振り返ると、突然に柴田が腰を折った。
「六助殿、今までお世話になり申した」
「え」
何かを察した秀吉が、顎に手を当てながら眼を妖しく光らせる。
「ははぁん、柴田殿は納豆が苦手でしたか」
「うむ。匂いも食感も苦手でな……六助殿には申し訳ないが」
「いやいや、何で私が納豆そのものみたいになってるんですか。ちゃんと手は洗いましたし、第一納豆を作ってる方々に失礼でしょう」
前のめりに身振り手振りを交えて抗議する六助に対し、柴田は身を引きながら一歩後ずさって不快感をあらわにしている。
「うわっ、ちょっと」
「え、何ですかその嫌いな虫が近づいて来た時のような反応。我々織田家の家臣の絆や結束はその程度のものだったのですか?」
「それとこれとは話が別でござる!」
「わかりました。ならば織田家追放をかけて司寿家と柴田家で戦をしようではありませんか!」
「キュキュン(新年早々喧嘩すんな)」
寒さに負けず劣らず元気なおっさんたちを眺めていると本堂に到着した。
新年のあいさつは、織田家に関しては観音寺城の時よりももっと作法とか関係なくみんなで茶を楽しむ感じでやったけど、ここ本圀寺では義昭が和歌を詠んだり、全員で酒を飲んだりしている。
犬の身体というのはこういった時に非常に便利で、めっちゃ退屈だからと式典の最中に普通に寝てしまったところで誰からも文句を言われない。
一つあくびをしてからごろんと寝転んで目を閉じたら、義昭の和歌に混じって、隣にいた六助の笑い声が聞こえて来た。
「はっはっは。眠くなってしまわれましたか。いと尊し、いと尊し」
そこで和歌はぴたりと止まり、代わりに義昭の不満そうな声が響く。
「六助殿、麻呂の歌をちゃんと聞いているのでおじゃるか?」
「いえ、全く。ほんの少しも。仮に聞かなければ斬ると言われても聞きません」
「そこまで!?」
出会った頃からそうだけど、どうして六助は義昭に対してここまで喧嘩腰なんだろうか。
麻呂野郎の驚愕の声に続いて、秀吉が苦言を呈する。
「義昭様の和歌には決定的に足りないものがあるんですよ」
「麻呂の歌に足りないもの!? むき~っ、それなら秀吉が詠んでみればいいではないでおじゃるか!」
「いいでしょう」
無駄に凛々しい声で返事をした後、秀吉は自分で作った歌を詠みあげた。
「白雪も
衣服のごとく
身に纏い
はしゃぐお姿
いと尊しかな」
「プニ長殿のことではおじゃらぬか!」
こいつらがうるさくて全然眠れないな……。
ていうか、少なくとも家臣たちの前で雪遊びをした記憶ないんだけど。さっき六助から逃げて走り回ったやつがそう思われてんのか。
「むしろプニ長様以外のことを詠む必要が?」
「拙者、和歌のことはよくわからずとも、今のは非常にいいと感じたでござるよ」
しれっとした感じの六助に柴田の声が続いた。
「ならば義昭様もプニ長様を題材にして和歌を詠んでみるとよろしいでしょう。結局のところ、基本が出来ていなければうまく詠めないことがおわかりいただけるかと思いますし」
「むむぅ」
秀吉の一理あるんだかないんだかよくわからん理屈に唸り声をあげると、義昭はしばらく間を空けたのち、一つ呼吸をしてから句を読み上げた。
「朝ぼらけ
東日さえも
後光に据えて
草木の霜も
かく讃えけり」
直後にはただ静謐な時間が流れる。目を閉じているのでみんながどういった表情をしているかはわからなかった。
やがて口火を切ったのは六助だった。
「義昭様も中々わかるようになってきたではないですか」
「ほ、本当でおじゃるか?」
「正直普通に詠んでしまわれたので驚いてしまいました」
「そなたは余のことを馬鹿にしすぎではないでおじゃるか?」
何でそんなに上から目線なのかは知らんけど、とにかく義昭が六助に認められたらしい。
その後も義昭と家臣たちが小競り合いを繰り広げる中で、俺の意識は心地の良い闇の中へと溶けて行った。




