お犬はつらいよ
周囲が静寂に包まれる。それは一瞬だったけれど、時が止まってしまったのかと錯覚をするほどに長い気がした。
永遠のような数秒が終わると、目の前で口を小さくぽかんと開けていたリーダー格の女性が笑顔になって口を開く。
「いと尊しです!」
「いと尊し!」「いと尊しだわ!」
つられて他の女性たちも黄色い声をあげた。
「キュキュン(あの、ちょっと……)」
まあ、そりゃ言葉が通じないんだからこうなるわな。
鳴くと同時に右前足をあげたポーズが尊さに磨きをかけてしまったらしく、女性陣の興奮は増していくばかりだ。
「誠に尊い御仁であらせられますね!」
「プニプニを賜ってもよろしいですか?」「私はモフモフを!」
「は、はい。プニ長様は寛大な御方ですので、ご自由にしていただいて構いまひぇんっ」
「キュキュン(ちょっと待てやこら)」
本来は褒美として与えられる云々の常識はどこいったんだよ。せめてちょっとためらうくらいの姿勢は見せて欲しい。
別に女性と接することに慣れてないわけじゃないと思うんだけど……。どういうわけか六助は、緊張と照れで使い物にならなくなっていた。何か知らんけど敬語になっちゃってるし。
許可を得た女の子たちが我先にと俺の元に押し寄せてくる。まずリーダー格の人が俺をひょいと抱き上げると、その周りに次々と群がって右前足や左前足を取ってプニプニし始めたのでもみくちゃになった。
「本当に尊いわね」
「ねえ、早く私にもモフモフさせてよ!」「私はプニプニよ!」
「私も!」「あんたちょっと長くない!? 早く替わってよ!」
「キュ、キュン、キュン(ちょ、ちょっと、俺は……)」
映るもの全てが目に優しく、何だかいい匂いもする。これだけもみくちゃだとさすがに鬱陶しいしうるさいけど、普段男にばかり囲まれがちなので悪くはない。
これが男の夢か? 帰蝶ほどじゃないけど、中には俺好みの子もいるし。
ぶんぶんと首を振る。
……じゃねえよ! 危うく流れに身を任せそうになってしまったけど、だめだ。俺はなんとしても断って、この子たちに帰ってもらうんだ!
右前足が空いた隙を逃さずに、俺はそれを前に出して制止の意思表示をし、びしっと決めて言った。
「キュン、キュウン(君たち、少し待ちたまえ)」
「何か言ってる~!」
「いと尊しね!」「お腹が空いたよ~とかかな!?」
「皆、何か食べるもの持ってない?」
やっぱりだめだった。
せめて六助が普段通りならまだどうにかなったかもしれないけど、故障した機械みたいになっている今はだめだ、完全に打つ手がない。
諦めて嵐が過ぎるまで大人しくしていると、女性陣はとんでもないことを言い始める。
「あの、六助様! 宴が始まるまでの待機時間中、宿までプニ長様をお連れしてもよろしいですか!?」
「えっ」
おいおい、そりゃさすがにいかんだろ。この後近衛さんとやらを招いての茶会もあるわけだし、俺がいないのはまずかろうて。いや、どちらにしろ見て飲むだけだからそんなこともないのか。
「あの、この後茶会もあ、あるし、やはりそういうわけには」
「六助様ぁ~お願いします」
一人の子が猫なで声を出しながら手を握ると、六助は耳まで顔を真っ赤に染めたままカチコチになってしまった。漫画とかで頭から蒸気を噴き出すあれだ。
「だめですか?」「六助様?」
「あらお顔が真っ赤よ!」「やだ六助様ったらカワイイ!」
「案外にウブな御方なのね」
俺の周りにいた数人が六助のところへと歩み寄っていく。女性数名に囲まれた六助はぎこちなく動き始め、言葉を発した。
「わっ、わかりました! プニ長様さえよろしければ、お連れしても構いません。茶会はこの不肖、司寿玉子巻盛々が何とか致しましょう!」
その瞬間、どっと歓声があがる。
「やった~!」「聞いた!?」
「プニ長様を宿にお連れしてもいいって!」
「いと尊しね!」「いと尊しは関係ないでしょ」
いやいやあいつ何言ってんだ。何とか致すって、俺がいない穴を埋めるのは物理的に不可能だろうが。その辺の犬でも連れて来て俺だと主張する気か? さすがに柴犬とかじゃバレバレだぞ。
どうする気なんだ、という視線を送ると気持ちが通じたのか、六助が答える。
「近衛前久殿はお上手なのでわかりませんが……恐らく彼は今どき珍しい、プニプニやモフモフに興味をお持ちでない御仁と推察しています。プニ長様がいらっしゃらないからと言って、機嫌を損ねることはないかと」
俺に向けてだとすらすらと喋るなこいつ。しかもそういう問題でもない気がするけどそこはまあいいや。
実際俺は茶会はあまり好きじゃないので、参加しないで済むならそれ自体は一向に構わない。その間をこの子たちと過ごさなければいけないというのが問題なだけで。
俺を抱き上げているリーダー格の子が尋ねた。
「では六助様、顔合わせはこれくらいでよろしいですか?」
「はいっ」
「プニ長様、それでは参りましょう」
そう言って踵を返すと、俺の視界もぐるりと半回転する。
いかん、このままでは宿に連れ去られてお婿に行けない身体にされてしまう。もうお婿になってるけど。かくなる上は……!
「キュウ~ン(きゅるりんビ~ム)」
首を傾げて精一杯の可愛さを演出する。
老若男女関係なく、人間というのは基本的に心が汚れているものだ。これを見た女の子たちの目がくらんでいるうちに逃げ出してしまおう。
「わっ見て見て!」
「いと尊しじゃん!」「やっぱりお腹空いてるのかな?」
「早く宿にお連れしなきゃ!」
「キュ(なっ)」
予想外の反応を見せる女の子たち。
きゅるりんビ~ムが全く通用していない!? 確かに以前、浅井三姉妹に効果がなかったなんてことはあったけど、あれは子供だし心が綺麗だからだろうと思っていた……でも、違うのか?
きゅるりんビ~ムに目がくらむ基準は、心が汚れている、というものだけではないのかもしれない。
「それでは六助様、茶会が終わる頃に参りますので、よろしくお願いいたします」
「こっ、こここ、こちらこしょ」
背後で、誰かがそんな風に挨拶をするのが聞こえた。俺を抱きかかえたリーダー格の子はさっさと出口の方に歩いてしまっている。
「キュ、キュキュン(ちょ、ちょっと待ってって!)」
「また何か仰ってる!」「宿でご飯をお召しになっていただきますからね~」
「本当にいと尊しね!」「楽しみ~」
やばい、このままだと本当に宿まで連れ去られてしまう。
「キャンキャン! (六助! 助けて!)」
こんな時にも関わらず、語呂合わせいいなおい、とか思ってしまった。
「プニ長様、行ってらっしゃいませ!」
しかし当の本人は、まだ女の子たちに対する照れが残ったままの、ぎこちない笑顔で俺を送り出してくれた。
こうなってしまうともうどうしようもない。観念して、腕の中から夜空を見上げてみる。まるで神様が悪戯でばらまいたみたいに、一面が星で埋まっていた。
もうなるようにしかならない、諦めよう。と、ゆっくりと前から後ろへと流れていく街並みを眺めながら悟った。




