第二次木津川口の戦い
「ほおー、たしかにこの世界の文明レベルからすれば中々のものれふねえ」
「キュン(うむ)」
もはや聞き慣れたせんべいの咀嚼音が鼓膜に触れる。
堺から帰ってきてしばらく。前回と同じ木津川運河付近にて、遂に九鬼水軍と毛利水軍が衝突した。
今から数日前に屋敷まできた早馬が「まもなく開戦」と報告してくれた際、たまたまソフィアが来ていた。それから数日間、ソフィアは数分間だけ様子を見にきてを繰り返して今日に至る。
木津川口の戦いにそこまで興味はないものの、一応観たかったらしい。
今は「鏡」を出すために、何かと理由をつけてソフィアと二人だけで屋敷を発ち岐阜城の元居室へとやってきていた。
毛利水軍は九鬼水軍を囲むようにして前進してきた。これに対して、九鬼水軍は鉄甲船六隻にて敵をぎりぎりまで引きつけて大砲で一気に倒していく。なるほど、たしかに九鬼のおっさんが言っていた通りだ。
本来なら焙烙玉や火矢の威力に耐えられず、引きつけてそのまま沈んでしまいそうな戦い方だけど、鉄甲船にはどちらもまるで効いていない。強固かつ数が少ないこの船には適したやり方だろう。
特に大将や指揮官格と思われる船を集中的に狙ってくる九鬼水軍に対して、毛利水軍は明らかに攻めあぐねている。
俺の隣に座布団を敷いてお行儀よく正座をしているソフィアは、一枚せんべいを食べ終えてから口を開いた。
「というよりも、これだけ攻撃が効かないとなると、逆に毛利水軍はどう攻めるつもりなのでしょう」
「キュン(たしかに)」
と言っている間にもまた一隻、毛利水軍の船が沈んだ。
「これも長篠みたいに一方的な展開になりそうですね」
「キュキュンキュウン(前回は織田軍の惨敗だったらしいけどな)」
「もしドラマ化したら、悪い意味で神回になるやつですね」
「キュ。キュキュンキュン(神回て。ソフィアって結構俗物だよな)」
「武さんはまたそういうことを言う。私を何だと思ってるんですか?」
ソフィアは正座の姿勢からふわりと宙に飛び上がったかと思えば、あざとく頬を膨らませている。
「キュ、キュウン、キュキュンキュウンキュン(え、いやだって、ドラマとかアニメとか好きだし……どう考えても貴族とかお姫様って感じじゃないじゃん)」
俺がそう言うと、ソフィアはこちらを振り向いて怪訝そうな表情を見せた。
「武さん、俗物の意味ってちゃんとわかってますか?」
「キュウンキュキュン? キュキュン(ちゃんとは知らないけど、庶民的、みたいな感じじゃないの? 俗世に染まってる的な)」
「違いますよ? 俗物というのは、世間的な名誉や利益などにばかりとらわれている人のことを言うんです」
「キュ、キュキュン(へえ。お前良く知ってんなあ)」
「……」
「だから、一体私を何だと思ってるんですか」というお決まりの文句を飛ばす代わりに、ソフィアはじとっとこちらを睨んでくる。
そしてにらめっこをしたあと、ふうとため息をついてから口を開いた。
「仕方ないですね、今回は許してあげます」
「キュン(あざっす)」
「さて。逆神回とはいえ、皆さんが命を賭して戦っている、織田家にとって大事な戦であることに変わりはありません。きちんと最後まで見守りましょうか」
「キュンキュウン(逆神回はお前が勝手に言ってるだけだろうが)」
ていうか、そもそも逆神回ってなんだよ。「悪い意味での神回」って意味で使ってるんだろうけど、初めて聞いたぞ。
俺のいちゃもんに対して、ソフィアはわずかに目を見開いて応えた。
「え、でも武さんだってそう思ったでしょ?」
「キュン(いや全然)」
「本当にぃ~?」
「キュン(本当です)」
そこでソフィアは左手を腰に当て、右手の人差し指をぴんと立てて偉そうに語り始める。
「皆が頑張ってくれてるのに、当主の俺が逆神回とか言っちゃだめだろ……って、そう思うのは立派だと思いますよ? でも、人間時には正直にならなきゃいけないことだってあるんです」
「キュキュン(ぼく犬なんで)」
「……帰蝶ちゃんにあのこと、ばらしちゃいますよ?」
「ワォ、ワォワォワォ~ン!!(私も、逆神回だと思っておりますっ!!!!)」
「あのこと」が具体的に何を指しているのかはわからない。けど、帰蝶に対して下心ありありの俺には心当たりがいくつもある。気が付けばソフィアの前でお行儀よく「お座り」をして高らかに声をあげていた。
女神様は納得したように腕を組んでうなずき、満足気に微笑んだ。
「素直でよろしい。ではお詫びとして私にプリンを用意してください!」
「キュキュン(この世界にはございません)」
「そこは異世界転生もののラノベ主人公みたいに、転生前の知識を生かして作ったりとかするところでしょう?」
「キュキュン(作り方知らないんで)」
「まったく、武さんは使えないですねえ」
「キュウンキュン(申し訳ございません)」
散々な物言いだけど、帰蝶に何かを告げ口されても困る。そもそもあんな可愛くて頭もいい子に、調子に乗って邪な感情を抱く俺が豚野郎なのだ。
男の子だからしょうがないし一応夫婦ということになっているのだから別にいいのかもしれない。でも、何となく良心が痛むのも事実だった。
俺が謝ると、ソフィアは「分かればいいんです」と言い、何事もなかったかのように着地して、鏡と向き直り正座をしなおした。
それから第二次木津川口の戦いを最後までしっかり見守ったのであった。
〇 〇 〇
九鬼水軍が毛利水軍に勝利してからというもの、本願寺はゆっくりと、でも確実にその勢力を衰えさせていった。
そして、織田家がまた一つ一揆を潰したり何だリしている内に、遂に本願寺が降伏して本願寺を明け渡してくる。
長篠の戦いで致命的な損害を負った武田に続き、本願寺という長年の宿敵を打ち破った織田家は、天下統一はもう目前と言われるところまできていた。
ところで、これは本願寺が降伏する少し前の話なんだけど。
「安土城が完成致しました」
帰蝶の屋敷にて。俺は帰蝶と共に、六助から「住むためのお城」工事完了の報告を受けた。
「では、移り住むための準備をしなければ、でございますね」
「はい。またお迎えにあがりますので」
用件だけ済ませると六助は早々に去っていく。
「寂しいものでございますね」
その背中を見送ったあと、帰蝶は口元に柔らかい笑みをたたえながらも、どこか儚げにそうつぶやいた。
「住み慣れたこのお屋敷や美濃の街には、プニ長様とは当然のこと、義妹や姪たちとの思い出もたくさん詰まっていますから」
「キュン(帰蝶たん……)」
「嫌というわけではないのですよ? お城に住むというのも、とても華やかで楽しいことでございましょうし」
そこで俺は、皆まで言わずとも大丈夫、というメッセージ代わりに、彼女の真正面に座って視線を合わせたあと、その膝の上に乗り込んだ。
帰蝶の口元が綻ぶ気配とほぼ同時に、俺の背中が優しく撫でられる。
帰蝶は織田家のあれこれに関しては、基本的に口を出さない。出せないのではなく、出さないのだ。スタンスとして、皆で話し合って決めたことなら特に反対はしないよ的なところらしい。
だから、今回安土城の建築にも特に反対はしなかったし、完成すれば移り住むことも承諾済みだ。けど、やはり思うところはあるのだろう。
俺としても、帰蝶との思い出が染み込んだこの屋敷を離れるのは寂しい。せっかく家臣たちがあれこれと考えてくれたのだから、安土城には住むけどね。
「安土山から眺める日の本は、一体どのようなものなのでしょうか」
部屋の外には、無邪気にはしゃぐ子供たちの声が響いていた。




