3-1.悪役令嬢レティシア・ウォールトンのお見合い
秋口になると、毎年、思い出してしまうことがある。
八歳の誕生日の朝、レティシアが前世を思い出して一ヶ月ほどが過ぎた頃のこと。
とんでもない天使、守ってあげたいしかない美少女とのお見合い。
そう、王子だとわかっていてもあれは美少女だった、もはや性別どうでもよかった。
当時、親である国王夫妻にも見放されつつあると、まことしやかに人々が囁き合う、同い年の不遇の王子フレデリック・アレクサンドル・ベネルはそんな少年だったのである――。
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場所は王城の中心から少し離れた宮の庭園だった。
当時、病弱な王子であるフレデリックはそこで暮らしていた。それは「静かに生活できるように」という国王陛下と王妃の親心による配慮だったのだが、政治的には完全に裏目に出ていた。
王子として遠ざけられたと人々は思い、口が悪い者は陰で「陛下等もいずれ王子を見捨てる」と言っていたのだ。
(そんなことないのは、このお庭を見てもわかると思うのだけど)
レティシアは後ろに父ウォールトン公爵が控える中、庭園の温室に設けられた席に座り、王子が来るのを待っていた。王子が宮に移る頃に建てられたという温室は、水晶で作られたかのような透明度高い硝子張りの立派なもの。
(いやもう、本当に! 素晴らしい温室ですね!)
外の緑から徐々に色づき始める木々の葉が美しい庭園を眺められ、温室の中は常春の暖かさに多種多様な花々が育てられ咲き乱れている。これだけで体調を崩しやすい王子が、外を楽しめるようにと贅を尽くしたものだとわかるというものだ。
前世――日本で地方出身東京在住、二十五歳の労働の奴隷な管理栄養士だった自分――を思い出したレティシアには、その贅沢ぶりを考えると内心震える温室であった。
(王族すごくない? 子供のためにこんなのぽんと建てる?)
端正込めて育てられた白バラが咲き誇る中、案内された白いガーデンテーブルの席。
色とりどりの宝石のようなお菓子が並び、美しい茶器と銀食器が輝いている。
(はあ、綺麗でおいしそう……こんな豪華で華やかなアフタヌーンティー見たことない。すごい、写真撮りたい。とりあえず拝んでおこう)
ありがたやと、小さな芸術品のようなケーキの皿にレティシアは両手を合わせる。
まさに、異世界ファンタジーの華やかなお城の世界!
ウォールトン公爵家は、意外にも質実剛健な家風でその面ではいまひとつ物足りないのだ。
王都屋敷は宮殿のようでも、それはあくまで家格に応じたものにすぎない。
冷静に見ると華美な調度品は一切ない。見る人が見ればわかる類の一流品ではあるけれど。
(お母様は気候が穏やかな領地にいるし、そのお母様も落ち着いた雰囲気を好む人だし。私もあんまりきらきら華やかなのは居心地悪いからいいけど。少しはね、気分をね)
家はそこそこでいい。でも折角の異世界転生で公爵令嬢。それっぽいものも体験したい。
(王城なんて滅多に来ない場所だもの。雰囲気楽しむならこれくらいで丁度いいかも)
レティシアのために用意されたお茶の席にうっとりしていたら、斜め後ろからごほんと咳払いの声がした。
レティシアの父、ジョン・ウォールトンが心配そうに彼女を見ている。
もっともそれが心配の表情とわかるのは家族くらいだ。客観的に見て、紫水晶の瞳は眼光鋭く、口元を微笑ませていても人を萎縮させる静かな圧がある。
「レティシア」
「とても素敵で、つい神様に感謝を捧げてしまいました」
「用意してくださったのは王子殿下だよ」
「“神の恩寵賜りし”王家の方ですわ」
レティシアは澄ました顔で、王家の紋章に刻まれている言葉を口にする。
意味するところは、神から統治の権利を与えられし者の意味だ。
神=王や王家に感謝といった説明は、別におかしくはないのである。
(ふふんっ、前世を思い出す前は“覚悟ガンギマリ意識高い幼女”だったからね!)
八歳の誕生日を迎えた朝、突然、レティシアは前世の記憶がよみがえった。
理由は不明。
公爵令嬢として生まれ育った記憶もあり、そこに享年二十五歳の前世全部が強制ダウンロードされた状態である。
八歳になりたての子供と二十五歳まで生きた大人では、単純に人格形成の時間や経験のボリュームが違う。
これまでのレティシアを核として、前世の人格や記憶がそれを取り巻き、定着融合した。実年齢プラス享年二十五歳なこの人格は、もう元には戻らないと思う。
そんなレティシアだが、前世がよみがえる前は、物心着く頃にはすでに公爵令嬢の自覚を持っていた。
母は虚弱で、そんな妻を溺愛し気遣う父。
きっと母の体を考え、嫡男が産まれるまで無理させることを父はしない。
ウォールトンの血を継ぐのはレティシアだけ。
(公爵家の一人娘として期待に応えなければって、幼女の考えることじゃない……)
五歳になる頃には、貴族令嬢として身につけるべきマナーの基本は完璧。
勉強は、教師達が才女と持てはやすほど真面目で優秀。
子供らしいわがままで、使用人達をわずらわせることもない。
物静かで気品あふれる公爵家のお嬢様、それもすべて――。
(公爵家の後継者として隙は見せない……小説でも完璧令嬢設定だったけれど、本当に八歳!? どれだけ将来見据えてるのっ! 公爵家継ぐ気満々だったから、王子との見合いは大いに困惑したみたいだけど)
それはそれで、弱い王子の後ろ盾としての政略結婚であるならば、完璧に裏から王子を支えることが公爵家の未来を作る。王子はやがて王太子となり王になる。そうなれば自分は王妃なのだから――八歳児の覚悟がすご過ぎる。
そんなわけで一ヶ月も経てば、作品世界をリアルで満喫しながら、現世レティシアの完璧令嬢スキルで誤魔化す生活にもすっかり慣れて余裕もでてきた。
「まあ、今日はただの顔合わせだ……そう気負わずともいいからな」
父ウォールトン公が小声でぼやく。
心配そうなのは、彼にとってはあまり気が進まないレティシアのお見合いの席であるからだ。
小説にもあった。王家から公爵家に持ちかけられた縁談である。
「お父様、相手は王子殿下ですよ」
「それでもだ。気に入らなければ、席を立ってかまわない。お前も言う通り、無理をしても続かない。相手が王子だから合わせねばなどと浅はかで失礼な考えだ」
気難しそうな美中年顔で、妻と娘は溺愛キャラは最高だけれど、それはそれ。
これは立派な政略なのに、その発言はどうかとレティシアは思う。
(そもそも王家から持ち掛けられた時点で拒否権ないのでは? お父様かなり不敬……でも)
原作でも、フレデリック自身がヒロインに語っていた。
レティシアと同じ現在八歳の王子は、現時点ではまだ王太子ではない。
それどころか虚弱な第一王子として、貴族達から落胆の目で見られている。
(この国の貴族は、大きく王権派と貴族派に分かれているけれど、両方からあんな弱々しく大人に育つかも怪しい王子は見込みがないって言われているのよね)
王位継承権を持っているのは王子だけではない。いまはフレデリックの下に王女が一人だが、今後、第二王子が生まれる可能性も十分ある。
(貴族達が勝手に後継者を誰になとど考え出す状況は、たしかに国として好ましいものではないかも)
そのため国王は、知己でもある宰相ウォールトン公の娘に目をつけた。筆頭公爵家の後ろ盾を持つとなれば、第一王子が蔑ろにされることも減るだろうと。
フレデリックは頭脳明晰で早熟な王子。いまは体が弱くても、これから丈夫になることは十分ありえる。
国王も王妃も彼を見捨てる気はない。ただ現状で下手に庇う言動をとれば、潜在的な後継者争いの構図が本格化する恐れもあり、静観の構えでいる。
(王子と年が近い公爵令嬢が私だけだものね。四公爵家でウォールトン以外は既婚者しかいないから。表向き単に適した相手を選んだだけですよ〜って出来る)
レティシアはフレデリックは最終的には立派な王太子となり、ヒロインのアリシアと出会って幸せになることを知っている。だから父ウォールトン公が気を揉んでいようと暢気でいられた。
(ヒロインとの邪魔はしないわ……幸せな二人のつなぎ役になるならよろこんで! それはそうと子供の頃のフレデリックってどんなかな。原作にはないけど美少年は間違いないよね)
でも中身は実年齢プラス享年二十五歳のアラサーなのに、八歳の男の子とお見合いはいいのだろうか。そんなことをとりとめなくレティシアが考えていたら、後ろに控えていた父親の気配が、畏まったものに変化した。
レティシアもすぐ椅子から立ち上がり、淑女の礼に身をかがめ俯き加減に控える。
「待たせてしまってすまない、ウォールトン公。顔を上げてくれ」
来た!
姿はまだ見ていない。しかし、声に気品がありすぎる。まだ声変わりしていない透明できらきらした声だった。
それに王族らしい静かで落ち着いた口調。
(八歳って小学生の歳だけど……私が知ってる、小学男子とは違う!)
「我々が少々早く来すぎただけです。フレデリック殿下、娘のレティシアです」
(ちょっ、お父様! いくら気乗りしないからって、挨拶も前置きもなくそんなさっくりスピーディな紹介する!?)
心の準備というものがっと思いつつ、すぅっと深呼吸して、レティシアは礼を深くした。
軽くつまんだドレスのスカートがふわりと揺れる。その所作は公爵令嬢として完璧だった。なにしろベースが覚悟ガンギマリ完璧令嬢だ。咄嗟の事にも対応できるのは便利である。
「拝謁できまして光栄至極です、フレデリック殿下。ウォールトン家が長女レティシアです。本日は素敵なお茶の席にお招きくださりありがとうございます」
無難に挨拶し、ゆっくりと顔を上げ、レティシアは頭の中が真っ白になった。
(え、なに……天使……?)
肩の長さに揃えた金髪が、温室に降り注ぐ陽光に繊細にきらめいて、長いまつ毛に囲われた宝石のような青い瞳。透き通るような白肌。
レティシアより少し背の低く華奢な体に、白絹の長い上着とレースを身につけた……少年?
(え、少年? 少女じゃなく?)
「フレデリック・アレクサンドル・べネルだ。僕も会えてうれしい。年が近い子と話すのは初めてで……ああ、座っていいよ」
こちらを気遣いはにかみながら話してくれる声も口調も可憐だ。王子なのに可憐てどういうことだ。
レティシアは混乱した。しかし混乱しても、見た目だけは完璧令嬢のままであった。
「言葉遣いもそんなに畏まらなくても普段通りで。よろしくウォールトン公爵令嬢」
「あ……はい。よろしくね」
フレデリックににっこり微笑みかけられ、レティシアは呆然とついうっかり完全に素に戻った返事をしてしまっていた。いくら普段通りでと言われても、これは令嬢として完全アウトである。そもそも令嬢の言葉じゃない。
しかし一応王子が許可した形になっていたため、なくなんとなく注意もなく流される。
レティシアに再び座るよう促す、フレデリックのその細くきれいな指を見ながら、「どういうことですか! これは!?」と内心彼女は叫んでいた。
咲き誇る白バラを背景に、まるで繊細なガラス細工みたいな王子がいる。
(え、えぇ……なにこの儚げな美少女。本当に? 十年後に? あの立派な王太子になるの!?)
自惚れではなく、レティシア自身も銀髪に藤色の瞳をした相当かわいい美少女だ。
その姿を、ここ一ヶ月で見慣れたからこそ思う。
これはもうかわいいとか、そういったのとは次元が違う!
もはや性別とかも、どうでもよい神々しさ!
(天使だ、本物の天使がいる……タダ見していいの? ていうか、これからお茶するんですかっ!?)
どうやって椅子に座り直し、王子付きの侍従が出したお茶の一口目を飲んだのかレティシアはあまり記憶がない。
ぼんやりと、ただただフレデリックを眺めていた。
たとえるなら、美しい宗教画の傑作に目を奪われ、しばらく絵の前で放心していた感じに近かった。




