真実の行方
――屋敷の中は、どこまで進んでも闇に沈んでいた。
真新しい材木を使って建てられていると誰かが言っていた。けれど、とても古い匂いで満たされているような、嫌な感じがする。
閉じ込められていた広い部屋。その隅にはいつも闇があり、なにか得体の知れないモノが動いているようで……落ち着かなかった。
『彼』はこの場所が嫌いだった。怖かった。いつも彼が過ごしていた場所は、とてもきれいで光にあふれていた。
夜は怖い、闇は怖い、白い影はもっと怖い……。
震える瞳で周囲を窺い、彼の体重のせいでギシリ、ギシリと一歩ごとに鳴る床にひやひやしながら、廊下を進んでいく。
周囲は気味の悪いほど静まり返っていた。
「ひどいひとたち、どこいったんだろ。僕……かえりたいのに」
思わず洩れた自分の声に、目の端に涙の粒が生じ、ぷっくりと膨らんでしまう。
ここがどこなのか。何のためにここに居なければならないのか――彼にはよくわからなかった。
「かえりたい」
もう一度、繰り返した。
数日前に、黒い服を着た知らないおとなたちがいっぱい来て、ものすごい力でここまで連れてこられたのだ。
ガタガタ動く狭いところに閉じ込められて、やっと外に出してもらえたと思ったら、手に何かとても重たい、硬くて黒いものを持たされた。そのときのことはあまり覚えていないけれど――いや、とてもよく見知ったひとが目の前に立っていた気がする。何かたくさん話しかけられて、すごい音がした。
次に目を開くと、ひとりぼっちで閉じ込められていた。鍵のかかった部屋の出口は、全身でぶつかるとあっけなく壊れた。
「あとで怒られるかもしれない……はやくかえろ。でも、どっちだろ……」
部屋の外に出た彼は、それからずっと屋敷内を彷徨っていたのだ。時間にしてどのくらいなのか、彼にはよくわからなかった。
その屋敷は誰かの家のようなのに、普通はあるべきはずの玄関がなかった。
どこから外へ出たらいいものやら、途方に暮れてしまう。
「おねえちゃん、おにいちゃん……ナツミちゃん」
遊びに来てくれる友だちの顔を思い浮かべ、次いで自分の暮らしていた明るい部屋を脳裏に描く。居心地のよい自分の居場所。
がんばろう、という元気がわいてくる気がした。
「なんとしても、かえらなきゃ……ん?」
遠くから爆音のような音が響いてくる。庭で散歩をしているときにナツミちゃんが空を見上げ、指差して教えてくれたものとよく似た音だ。
確かヘリコプターとかいう名前だ。乗り物なのだから、誰かがいるはず。
相澤雅紀は音が大きく聞こえてくるほうへ向かって、夢中で駆け出した。
「ショウ!」
相澤の危機を感じ取り、ユメコは隠れていた木の影から走り出ていた。
無我夢中で、彼に向けて走る。突きつけられているのは、短刀だ。
「だめ、ショウ……!」
だが、その眼前に立ちはだかった者がいた。
「行かせないよ、ユメコさん」
シンジだ。
その瞳に浮かぶ、狂気のような尋常ならざる光。苦しげな呼吸を繰り返しながら、自分の心臓を押さえつけていた。
思わずユメコが一歩下がる。
手には拳銃が握られていたのだ。相澤との一騎打ちで、マモルが取り落としたものだろう。
「もうやめて!」
ユメコは首を横に振りながら必死に声をあげた。
「あたしには、あなたを殺すような力はないわ。過去に縛られているのはあなただけ。こんなこと、おかしいよ!」
その言葉に、シンジは苦笑した。さも可笑しそうに。
「そう、今のままでは無理だろうね。君はきっと、優しすぎるんだ。でもその半端さが、僕を苦しめている」
「……え?」
「そんな半端な力で、僕の心臓をちょこちょこ止めてくれちゃってさ。苦しいったらありゃしない」
ユメコが目を見開く。
「だから力いっぱい僕を否定してもらわなくっちゃ。僕に抱かれるのは嫌なんだろう? だったら……」
シンジはうっそりと微笑んだ。
ユメコは視線を左右に走らせ、逃れる隙を探した。
「だったら、この僕を完全に否定して、きちんと葬ってくれなくちゃ。君みたいな力、この先に誰が発現させられるのかわからないんだ。だったら君が、決着をつけていってくれないと困るのさ」
「なんの話を……しているの?」
「僕は千年以上、待っていた」
「あたしに力なんてありません」
「どのみち君に選んでもらおうとは、思っていない。僕が選択する」
「どいて……! ショウ、ショウは?」
ユメコはシンジの背後に意識を向けた。
ひとり、黒い影が倒れ伏している。立っているほうは、見慣れた長身のほうだ。
――よかった、ショウは無事でいてくれた。
ひやひやしたが、結果的に相澤はマモルを言葉どおり止めてくれたのだ。
相澤が生きていることにホッと安堵したユメコだったが、シンジの言葉で再びゾッとすることになった。
「いい考えがあるんだ」
シンジは言った。無邪気そうな顔を歪め、銃を握る腕をゆっくりと擡げながら。
「僕を心の底から否定してもらうために、ユメコさん、君の胸を撃ち抜くことにするよ。心臓からちょっとだけずらして、即死しないようにして――ね、いい考えだろ」
ユメコは開いた口が塞がらなかった。のどがひりつく。悲鳴もあげられない。
シンジの指が引き金にかかった。
「僕を憎悪しろ。この世界には倦み飽きた……!」
指が動いた、その刹那。
音ならぬ音が、空間を鋭く切り裂いた。張りつめてすぎておのずと断ち切れる弦のように。
「おねえちゃん!」
低い声が高く響き、その瞬間ユメコの目の前が真っ暗になった。
いや、誰か別の体がぶつかってきたのだ。弾道が逸れ、その誰かの腕を掠め過ぎる。
「ま……雅紀さん?」
相手の顔を見て、ユメコは驚いた。
シンジとの間に飛び込んでユメコを救ったのは、病院から姿を消したはずの雅紀だったのだ。
「おまえ……!」
「いったいどこから」
愕然と言葉を吐くシンジと、驚きと安堵の入り混じった刑事の声が、奇妙な二重奏になる。小宮は銃を構えたまま、逢坂刑事は頭部を押さえながら起き上がったところだ。
「そこをどけ。愚かな駒の分際で」
シンジが銃口を雅紀に向ける。
左腕から血を流している雅紀だが、傷には頓着せず、シンジに憤然と向き直った。背が高く体が大きいので、背後にかばわれているユメコの姿は、完全にシンジの視界から隠された。
「おねえちゃんを、いじめるな!」
銃口を向けられても、雅紀は一歩も引かなかった。




