打ち勝つものは
「てめぇもそこを動くな! ついにしっぽを掴んだぞ。これで東雲家も終わりだぜ」
ドスの利いた低い声でシンジの動きを制したのは、逢坂刑事だ。犯人確保のため、じりじりと近づこうとしている。
「下賤が、寄るなッ!!」
シンジが叫び、腕を振るった。
彼我の距離はまだ数メートルもあったはずだが、目に見えない衝撃が吹き抜け、逢坂刑事を打ち倒す。「センパイ!」という小宮の叫び声。
「やめて!」
相澤に抱えられたまま移動していたユメコが異常に気づき、シンジに向けて思わず悲痛な声をあげた。
「うぐっ!」
見えない衝撃を受けたように倒れたのは、今度はシンジのほうだった。
「……え?」
――今、あたしの中からなにかが……相手に届いたの?
ユメコは激しく戸惑い、自分の喉を押さえた。自分でも理解できない、力の流れのようなものをはっきりと感じたのだ。
マモルが無言のまま主の傍に駆け寄る。浅い呼吸に、苦悶の表情……助け起こしたマモルの表情が強張り、次いで凄まじい怒りの形相に変わった。
ギリ、と唇を噛みしめて立ち上がり、銃口をユメコの声がしたと思しき場所に向ける。立て続けに何発もの銃弾を発射した。
ユメコを抱えていた相澤は、低木の背後に回り込んだ。
「あ、あたしの力って、なんなの? ショウ――あのひと、あたしに殺してほしいみたいだった。今も、あたしが……?」
「ユメコ、落ち着け。おまえは誰も殺さない。大丈夫だ」
慄く少女の背を何度もさすり、なだめながら、相澤が静かに口を開いた。
「俺はマモルをなんとかする。話はそれからだ。ここから動かず、待っていてくれ」
「でも、相手は銃を持ってるんですよ!」
低木の背後で身を屈めたまま、ユメコは首を激しく横に振った。普通に発射された銃弾ならば、相手の動きを見極めることのできる相澤に、当たりはしないだろう。
だが今の相手は、普通ではない。
相澤は手を伸ばし、心配のあまりすがりついていたユメコの顔を両手で優しく挟み込んだ。
「ユメコ」
視線を放さぬようにして、小声ながらもはっきりと言う。
「俺を信じろ」
ユメコの動きが止まった。
相澤は自分の上着を脱ぎ、その華奢でちいさな肩に着せかけた。
「ショウ……ショウ、お願い。気をつけてね」
「ああ」
ユメコの肩を押し、木の背後へと導いたあと、相澤は地面から大振りな石を取り上げた。手の内で弾ませてみて、重さを確認する。
相澤は、ユメコを隠した場所と反対方向へ進んだ。近づいてくる黒スーツ姿の男の動きを横目で確認しつつ、撃ってくる方向を慎重に見極めてかわしていく。
「クソッ!」
当たらぬ相手に毒づき、焦る相手が銃口を逸らした瞬間――相澤が突っ込んだ。
蹴り上げた長い足が、マモルの利き腕を捉える。握っていた銃を取り落とし、マモルが焼けつく視線を相澤に向けた。
「あれだけ刺されたというに。不死身か、貴様」
「人間誰しもいつかは死ぬ。俺にとって、まだそのタイミングじゃなかっただけさ」
相澤が口の片端を持ち上げながら言った。その瞳は、微塵も笑っていない。
「ならば今、そのタイミングにしてやる!」
声と殺気が発せられたと同時に、マモルの蹴りが相澤に襲いかかる。
相澤は落ち着いて軌道を読み、その足首を掴んでグイと引いた。蹴り上げた勢いのまま、相手の重心が崩れる。
だがそれも一瞬のこと。もう片方の脚が唸りをあげて相澤に襲いかかった。
片腕で蹴りを受け流し、同時に一歩踏み出して相手の胴に拳を叩き込む。半ば空中にあったマモルは、背中から地面に叩きつけられた。
が、相手も常人ではない。腕をバネのように使って地面につき、瞬時に起き上がってきた。
しかし相澤はその動きすらも見通していた。相手の足がついたところを狙い澄まし、強烈な回し蹴りを地面にかすらせたのだ。
「グッ!」
足を払われ、マモルは今度こそ地面に転がった。そのまま後方に回転して距離をとり、起き上がる。
「やはり強いな、おまえは」
「そっちもな、と言いたいところだが、まだまだだ。俺様の相手にはならないぜ」
「……ぬかせッ!」
マモルは長身を活かして大きく踏み込み、相澤の顔面に向けて真っ直ぐに手を突き出してきた。速さといい狙いの正確さといい、相当な空手の技の遣い手のはず。
対する相澤の動きに規則的なものはない。地面に身を沈めるようにして片手をつき、そのまま跳ね上げた足で相手の顎を蹴り上げる。
ガツリ、と凄まじい音がした。マモルが呻き、ふらりとよろける。
が、そこで相澤の意識が飛んだ。
気づいたときには、地面がすぐ目の前に迫っていた。凄まじい痛みが腹に響く。強烈な蹴りを喰らったらしい。
2秒の空白――相手の意識を奪うマモルの力だ。
「次で、終わりだ」
勝利の予感に、マモルが鋭い淡色の目を狭める。懐からおもむろに短い刃物を取り出し、ゆっくりと地面から立ち上がる相澤を見ていた。
「その臓腑を今度こそ、切り裂いてやる」
「坊やが刃物なんぞ振り回さないほうがいい。怪我するぜ?」
マモルと同じ長身の相澤が背筋を伸ばし、さげすむように笑う。
相手は鼻白んだ。
「どこまで莫迦にすれば気が済む」
「おまえたちが殺し、将来を奪った女性の墓前に手をついて、詫びるまでだ」
「シンジ様より価値のある命なぞ、この世にはない。捧げられるべき生贄がどうなろうと、知ったことではない」
「……その言葉を本気で言ってんなら、酌量の余地はないぜ」
「まだ言うか」
「間違ったことは間違っていると、何度でも言ってやるぜ」
相澤は片腕を背後にまわし、もう一方の腕の拳をマモルに向けて構えた。
素手と刃物。しかも相手は、こちらの動きと意識を停止させることができる――。
「ショウ!」
異常を感じたユメコの悲鳴が響き渡る。
マモルは刃物を握る腕を振り上げた。
「死ねッ!」
相澤の動きが停止する。
ユメコが彼の名を叫びながら木の背後から飛び出した。
剣呑な輝きにぎらつく刃は、短くも特別に仕立て上げられた刀身であった。本来は魔を滅ぼすために鍛えられた業物だ。
この世ならざる輝きが相澤の心臓に迫る。いつものように着くずしている白いシャツが朱に染まる、その手前で――。
上から降ってきた岩の塊が、マモルの脳天に直撃した。
マモルは動きを止め、刃物を取り落とした。東雲家の守り手はそのまま、悶絶して地面に打ち倒れたのである。
「あらかじめ投げあげた岩の動きは、止めようがなかったらしいな」
2秒の空白の後、意識と動きを取り戻した相澤が、当然だと言わんばかりにニヤリと笑った。




