青い空に響く音は
「ユメコ!」
意識はもうろうとしていたが、聞き間違えようのない、声。
ユメコが、今一番聞きたかった声だ。
「ユメコ!」
呼ばれたユメコが、おずおずと目を開く。
「……ショウ……」
ホッとした相澤の顔が、ユメコの顔のすぐ上にあった。
いつも自信に溢れて、ひとをからかったように見つめてくる瞳が震えるように揺れていたので、ユメコは驚いた。
「遅くなって――すまなかった」
相澤は目を伏せた。
そして、相澤はユメコの腕のなかから女の子を受け取り、ユメコを背負った。
片腕とロープだけを頼りに上へ登っていく。
「……あいかわらず……」
相澤の耳の傍で、細い声が囁くように言った。
「……超人みたいな……うんどうのうりょく……」
「おまえの為なら、どんなことだってやってやるさ」
腕に力を込めてロープを繰りながら、相澤はこともなげに笑って応えた。
雨と風の治まった、次の日は、台風一過の晴天だった。
所々土砂崩れが起き、村の道路も寸断されていたが、相澤たちは村内の診療所まで移動することができた。
助け出された女の子は、衰弱が激しかったが、幸い命に別状はなかった。
病院への搬送を待って、母親が別室で付き添っていた。
そして、棺の中からは、大量の麻薬が見つかった。
金原は縛り上げられて村の駐在所で男たちに交代で見張られ、警察への引き渡しを待っている。
金原は、暴力団と繋がりがあり、大量の麻薬を都内へ持ち込もうとしていたということだ。
麻薬の密輸を、製薬会社の同僚、榛原に見つかり、追求された。
それで事故にみせかけて殺害し、遺体とともに棺に隠し、移送しようとしたという。
この山を越えたところには、中国や韓国、ロシアと繋がる港を有する町がある。
製薬会社もその町にあった。恰好の場所だったわけだ。
そして……同僚を殺し、死体になってもなお利用しようとした。
犯人に同情の余地もない。
女の子が助かり、無事に母親と再会したことを聞き、ベッドに寝かされたままのユメコは安心したように微笑んだ。
ベッドの傍の椅子に座っていた相澤は、ユメコの熱の具合を診ていた。
「――まだまだ熱が高いな。ずっと雨に打たれっぱなしだったし」
そう言って、ユメコの額に手を当てた。ひんやりとした大きな手に、心地良さそうにユメコが息を吐く。
「……勝手に行動してしまって、本当にごめんなさい……」
相澤は、しょんぼりした様子のユメコの頬に指をすべらせた。
「そういえば、榛原夫人が礼を言っていたぞ。娘を守ってくれて、ありがとう、とさ」
「……そっか……」
ユメコは目を細めた。相澤は軽く笑った。
「今回の無茶は、意味があったというわけだ」
でも、と相澤は言葉を続けた。
「倒れているおまえを抱き上げたとき、体が燃えているみたいに熱くて――焦ったよ。このまま目を覚まさないのではないか、そんな考えが頭をよぎった」
言葉を切って沈黙した相澤に、天井を眺めていたユメコは首を動かして目を向けた。
「……あのとき……もしかして、泣いていましたか……?」
その言葉に、相澤は目を僅かに見開き、しばし動きを止めた。
そして、フッと笑って椅子から立ち上がった。
「――それに関しては、口封じをしておかないとな」
相澤は身をかがめた。ためらいもなく、ユメコの唇に、自分の唇を重ねる。
「……んっ……ふ……」
長く深いキスだ。
ユメコにとって完全に不意打ちだった。
その間呼吸できず、ようやく解放されたユメコは、相澤の唇が離れると同時に息を弾ませた。
「……熱が、もっと上がっちゃいます……」
熱とは別の赤に頬を染め、弱々しく訴えるユメコに、相澤はニヤリと笑った。
「大丈夫だ。愛は特効薬っていうだろ?」
相澤は窓を開けた。
部屋に、緑の中を渡ってきた清々しい風が流れ込んできた。
そうして間もなく、青い空に、バリバリバリ、というローファー音が鳴り響いた。
土砂崩れから二日後。
ようやく自衛隊のヘリコプターが、到着したのだった――。




