96. 巨大な獣の顎
三体の狂信者が、次々と崩れ落ちていく。
「グギャァァァ!」「ギィィィ!」「ガアアアッ!」
断末魔の悲鳴が、古代の遺跡に響き渡る――。
それは人間の声ではない。獣の声でもない。何か、地獄の底から響いてくるような呪われた声。
崩れ落ちた狂信者たちの体から黒い霧が立ち上り、まるで魂が抜けていくかのように、空気に溶けて消えていく。寄生体が、宿主と共に死んでいったのだ。
やがて、三体の体は動かなくなった。ただの肉塊となって、地面に横たわっている。
静寂が戻ってきた。
風の音だけが、聞こえる。
「はぁ……はぁ……」
エリナが、荒い息をしながら剣を下ろす。その刃には、黒い液体が付着している。血ではない。もっと不気味な、何か別の液体。触れるのも憚られる。
「大丈夫? エリナ……」
駆けつけたレオンが、心配そうに尋ねる。
「うん……なんとか」
エリナが、草で剣の刃を拭き、鞘に収める。その手が、少し震えている。
「でも……気持ち悪かった。あれ、本当に人間だったの……?」
その声には、嫌悪と悲しみが混じっている。あんなものを斬らなければならなかったことへの、深い悲しみ。
「もう、人間じゃなかったんだと思うわ……」
ミーシャが、静かに言った。
「寄生体に、完全に乗っ取られて……魂も、心も、もう何も残っていなかったんだわ……」
五人の間に、重い空気が流れる。
沈黙――――。
誰も、言葉を発することができない。憎むべき敵ではあるが、同時に悲しき被害者ともいえるかもしれないのだ。一体敵は何をやろうとしているのか――――?
けれど、立ち止まってはいられない。
「……行こう」
レオンが、静かに、けれど確固とした意志で言った。
そして、前を向く。遺跡の奥を見据える。
「まだ、先がある。あの女を倒すまでは終わらない」
四人が、うなずく。
今は、戦わなければならない。
五人は、崖の中腹に開いた苔むした古代遺跡の入り口へと進み始めた。
その入り口は、まるで巨大な獣の顎のようにアルカナ一行を待ち構えている。
暗く、冷たい空気を吐き出し、まるで奈落への入り口のように感じられた。
けれど、五人は躊躇しない。
最終決戦の地へと、進んでいく。
◇
入り口には、かつて神聖な場所であったことを物語る、精巧な彫刻が施された大理石のアーチがあった。しかし、今はその彫刻の多くが削り取られ、代わりに不気味な紋章が刻まれている。あの鷲の紋章が。
アーチをくぐると、内部へと続く階段が下へ、下へと伸びていた。松明の光だけが、その暗闇を照らしている。
レオンが息をのみ――――小さく呟いた。
「行くぞ……」
女の子たちは口を結び、うなずくと、一歩一歩、レオンについて慎重に階段を降りていく。
空気が、冷たくなっていく。湿気が増し、カビ臭い匂いが鼻につく。そして、何か別の匂いも混じっている。血の匂い。腐敗した肉の匂い。それらが混ざり合い、吐き気を催すような悪臭となって一行を包み込む――。
しかし、誰も何も言わなかった。
全員感覚を研ぎ澄まし、敵の次の一手を逃すまいとアンテナを張り巡らしていたのだ。
◇
階段を降り切ると、長い回廊が続いていた。
そこは、かつては美しく神聖な場所だっただろう空間だった。
壁には、色褪せてはいるものの、壁画が残っている。金箔で縁取られた繊細な絵。神々の姿が、威厳に満ちた表情で天を見上げ、天使たちが純白の翼を広げて舞っている。
それは、信仰と祈りに満ちた、神聖な場所の面影。
けれど――。
今、その美しさは汚されていた。
壁画の上には、奇妙な魔法陣が無数に描かれている。黒い塗料で、無造作に、乱暴に。その魔法陣からは、不気味な魔力が漂っている。触れれば呪われそうな、邪悪な力。
床を見れば――。
血で書かれた文字が、びっしりと並んでいる。
それは判読できないが何かを呼び出すための、あるいは何かを封じるための、呪文なのだろう。
神聖と邪悪が、歪に混ざり合った回廊。
それは、見ているだけで精神が蝕まれそうな、おぞましい光景だった。ここにいるだけで、何か悪いものに触れているような感覚。
「気持ち悪い……」
ルナが、思わず顔をしかめた。その小さな体が、嫌悪で震えている。
「こんなの……神への冒涜だわ……」
ミーシャが、悲しげに呟いた。その目には、涙が浮かんでいる。神聖な場所が、ここまで汚され、祈りの場が、呪いの場に変えられていることは、教会の孤児院で生まれ育った彼女にとって耐え難いものだった。
その時だった――。
「「「アアアアアア……」」」
突然、不協和音の歌声が響き渡った。
それは回廊の奥から、いや、壁の向こうから、上から下から、四方八方から響いてくるかのよう。まるで、回廊全体が歌っているかのように聞こえた。




