88. 読めない選択肢
直後――。
「うわああああ!」
後方の魔術師部隊の頭上、何もない空間から、テレポートさせられた騎士たちが馬ごと落下してきた。重い鎧を着た騎士と馬が、何メートルもの高さから落下する。その重量は計り知れない。
「ぐわあああ!」「避けろ!」「無理だ!」
魔術師たちが慌てて散開しようとする。けれど間に合わない。
轟音をたて、騎士と馬が魔術師部隊に激突した。骨の折れる音。悲鳴。馬のいななき。それらが混ざり合い、地獄のような光景が広がる。
「馬鹿な!? 空間転移だと!?」
ギルバートが、信じられないという表情で叫んだ。
味方同士の衝突。陣形の大崩壊。たった一手で、連合軍の完璧だった突撃は完全に無力化された。前衛部隊は先頭を失い、後衛部隊は混乱に陥っている。
「くそっ! 陣形を立て直せ!」
ギルバートが命令を下すが、混乱は収まらない。
「弓使い、魔法部隊、撃てぇ! 遠距離から攻撃だ!」
ギルドの冒険者たちが、矢と魔法を雨のように放った。数十本の矢が空を覆い、火球、氷槍、雷撃が宙を舞う。その光景は壮観で、これだけの攻撃なら、どんな魔物も粉砕できるはずだった。
だが――。
アラクネは、再び脚を動かした。今度は八本全ての脚を使い、虚空に無数の「穴」を開いていく。それは鏡のように輝き、空間を歪ませている。
無数の【反射次元門】。
放たれた矢と魔法は、その歪んだ鏡面の「穴」に次々と吸い込まれていく。そして即座に、連合軍の背後や側面から射出されていく。全く予期しない方向から射出される攻撃に連合軍は大混乱に陥った。
「馬鹿な! 俺の矢が……後ろから!?」
弓使いが、信じられないという表情で叫ぶ。
「ギャアア!」
自分が放った矢が、仲間の背中を貫く。自分が放った火球が、味方の騎士を焼く――――。
仲間の攻撃でやられていく――阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
「攻撃を止めろ! 止めろぉ!」
混乱の中誰かが叫ぶ。
アラクネはさらに、水晶の脚を大きく横に振った。
「空間断裂」。
パリパリパリリィイン!
空間が裂ける。現実が引き裂かれる。その裂け目から、黒い霧が溢れ出してくる。そして、その霧の中から――。
魔物たちが溢れ出してきた。
ゴブリン、オーク、ワーウルフ、スケルトン。数え切れないほどの魔物が、次から次へと現れる。それは、まるでハチの巣からハチが溢れ出すかのよう。
「な、何だこれは!」「魔物の大群だ!」「囲まれる!」
恐怖の叫びが上がる。
こうして、あっという間に連合軍は劣勢に追い込まれた。突撃は失敗し、遠距離攻撃は利用され、さらに魔物の大群に囲まれる。完璧だった作戦が、完全に崩壊した。
◇
馬車の中、レオンは頭を両手で抱え込んでいた。
窓から見てしまったのだ。倒れた騎士の体から、赤い液体が地面に広がっていく様子を。傷口から溢れ出す、鮮やかな赤色を。
その瞬間、レオンの世界が揺れた。
【血液恐怖症】――それはレオンを、あの日の記憶へと引きずり込んでいく。
妹の血。地面に広がる、温かい赤い海。開いたまま動かない瞳。
「あ……あぁ……」
呼吸が、できない。
ハァ、ハァ、ハァ。
浅く、速く、不規則な呼吸。過呼吸だ。空気を吸っているのに、肺に届かない。酸素が足りない。めまいがする。視界が、暗くなっていく。
レオンの体が、丸くなる。膝を抱え、頭を埋める。まるで、世界から身を隠そうとするかのように。体が、ガタガタと震える。止まらない。止められない。
見ないように気を付けていたのだが、あまりにも予想外の展開で視界に入ってしまったのだ。
「あ、あぁ……レオン……!」
それに気づいたミーシャが、慌ててレオンの震える体を抱きしめる。
「大丈夫……大丈夫よ……」
優しく、けれど力強く。温もりを伝えるように。
けれど、ミーシャ自身の声も震えている。かける言葉が見つからない。どう慰めればいいのか分からない。
外では、地獄のような戦場が広がっている。未来を読まれ、先回りされ、圧倒的な力で追い込まれている味方たち。効かない攻撃。崩壊する陣形。溢れ出す魔物――。
どんな言葉が、この状況で慰めになるというのか。
「レオン……」
エリナも、ルナも、シエルも、ただ心配そうにレオンを見つめることしかできない。
その時だった――。
ポロン。
レオンの脳内に電子音が響き、視界に文字が躍った。
【繧ケ繧ュ繝ォ繝。繝?そ繝シ繧ク】
文字化けしている。意味が分からない。けれど、確かにそこにある。壊れたはずのスキルからの、メッセージ。
レオンの震えが、止まった。
(せ、選択肢……?)
その文字は、まるで『まだ勝ち筋が残されている』と訴えているかのように見えた。壊れたスキルが、必死に何かを伝えようとしている。




