59. 地獄の門
瘴気が立ち込める腐敗した森。
一行はエリナを先頭に警戒隊形を維持し、薄暗い森の中を慎重に進んでいく。
木々の間から不気味な呻き声が聞こえ、湿った土の匂いに微かな腐臭が混じっていた。
足元には、濡れた落ち葉が積もっている。
一歩踏み出すたびに、ぐちゃり、という不快な音が響く。
(……気持ち悪い)
ルナが、顔をしかめた。
けれど――それを口には出さない。
音で位置がバレれば、奇襲の意味がなくなる。
散発的に襲いかかってくるゴブリンの斥候は、攻撃を仕掛けてくる前に――。
ヒュンッ!
とシエルの放つ矢の音だけを残して、沈黙していった。
薄暗がりの中、わずかな気配だけで敵の位置を察知し、確実に仕留める。
その技術は、既に神業の域に達していた。
シエルはその手ごたえにキュッと口を結び、うなずく。
信じてくれた人がいたから。
その信頼に応えたいと思えたから――ここまで来られた。
弓を構える手が、震えない。
恐怖も、迷いもない。
ただ――仲間を守るという、確かな意志だけがあった。
この境地にたどり着けたのはレオンが居てくれたからこそ――――。
シエルはそっと胸に手を当てた。
◇
やがて一行がたどり着いたのは、崖にぽっかりと口を開けた、ゴブリンたちの巣穴だった。
入り口を見張る数体のゴブリンを素早く処理すると、エリナが中をうかがう。
洞窟の奥から、無数の気配が感じられた――。
そっとのぞきこむと松明の明かりが、ちらちらと見える。
そして――何かを貪り食うような、グチャグチャと響くおぞましい音。
「どうする? 中に突入するか?」
エリナの問いに――。
「いえ、その必要はありませんわ」
ミーシャの言葉に、ルナへと視線が集まる――――。
「ふふーん!」
悪戯っぽく笑ったルナが、一歩前に出る。
その小さな背中が――今は、とても頼もしく見えた。
「こういうのは、派手にやるに限るのよね!」
その言葉に――全員が、笑った。
魔物の巣は、中に入るよりも外から一気に殲滅する方が効率的だ。
ルナは、杖を天に掲げた。
その瞬間、杖に埋め込まれたルビーに閃光が走り――。
彼女の小さな体から想像もつかないほどの魔力が、渦を巻いた。
大気が震え、灼熱の風が巻き起こり、ルナの赤い髪が、炎のように舞い上がる。
その瞳には――紅蓮の光が宿っていた。
「我が名はルナ・クリムゾン! 竜殺しの血を継ぐ者!」
詠唱が、森に響き渡る。
「我が命に従え、炎の化身よ! 現れよ――」
次の瞬間、彼女の頭上に顕現したのは――。
燃え盛る鱗を持つ、巨大な炎の龍だった。
その威容に、全員が息を呑む。
それは噴火を引き起こした龍よりも一回り大きく見える。
これが――ルナの力。
「いっけえええええええ!」
ルナの号令一下、炎龍は咆哮と共に洞窟内へと突撃した。
グオオオオオオオオォォォォォーー!!
大気が、振動する。
大地が、揺れる。
内部からゴブリンたちの断末魔の叫びが響き渡り――。
刹那。
ドオオオオオオオンッ!!
地を揺るがす大爆発が起こった。
入り口から、崖にひび割れから、まるで火山の噴火のように炎が噴き出す。
凄まじい熱波と衝撃波が、森の木々を激しく揺らした。
ゴオオオオォォォ――。
あちこちから噴き出した炎の柱が、天高く昇る。
その光景は――まさに、地獄の門が開いたかのようだった。
「……すごい」
シエルが、呆然と呟いた。
「ルナ……あなた、いつの間にこんなに……」
ミーシャも口をポカンと開いた。
「当然でしょ!」
ルナが、得意げに胸を張る。
「あたしたち、もう――あの頃とは違うんだから!」
その言葉に――全員が、微笑んだ。
ポゥ……。
一行の身体に聖なる光が満ち、力が漲るのを感じた。
これは――神の加護。
大量の魔物を倒したことで得られる、力の奔流。
「よし……これで――」
エリナが、剣を鞘に収めようとした――その時。
グルルルルルルァァァァァァァァ!!!!
洞窟の奥から、炎をかき消すほどの、怒りと憎悪に満ちた咆哮が響き渡った。
ドガアアアアンッ!!
洞窟の入り口辺りが内側から吹っ飛び、岩の破片が四方に飛び散る。
「キャァ!」「うわぁ!」「何よこれぇ!」
黒煙の中から姿を現したのは――。
全身に火傷を負いながらも、殺意の光を爛々と宿す、巨大なゴブリンロードだった。
その体躯は通常の個体の二倍以上。
手にした巨大な石斧が、不気味に赤く光っている。
全身から立ち上る湯気。
焼けただれた皮膚。
けれど――その瞳には、まだ生命の炎が燃えていた。




