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41. 血を吸う悪意

 そんな予想外のカインの劣勢を見たセリナは、ギリッと奥歯を鳴らした。


(くそっ! 使えない男……!)


 カインを勝たせない限り自分の人生どん詰まり――。この残酷な現実に追い込まれたセリナはついに最終手段に手を出す。


 震える手で小刀を取り出し――ザクッと、自分の左手首を斬った――。


「ひっ……くぅぅぅ……っ!」


 激痛が走る。だが、彼女は歯を食いしばって耐えた。


 そしてブシュッと湧き出す鮮血を、右手首のバングルに注ぐ――。


 シュォォォォッ!


 精緻な彫の入ったシルバーのバングルは血を吸うと、湯気を立てながら活性化していく。まるで生き物のように脈動し、表面に刻まれたドクロマークが禍々しい紫色に輝いた。


 これは数日前酒場で口の上手い男が売りつけてきた、教会が厳重に禁じる呪具。血を注げば呪いが飛び出し、どんな者もその力を失うと聞いた。


「ぎゃぁぁぁぁっ!」


 セリナの悲鳴が響く。


 なんとバングルが彼女の生気を吸い始めた。みるみるうちに頬がこけ、顔にはしわが浮き上がる。若々しかった肌が、まるで老婆のように衰えていく。若さと引き換えに、力を放つ――それが、この呪具の恐ろしさだった。


「セ、セリナ、何をしてる! やめろ!」


 その異常な行動に、レオンは不穏なものを感じて叫んだ。こんな展開は【運命鑑定】では提示されていなかったのだ。何か想定外のことが進行している予感にゾクッと寒気が走る。


「な、何って……ハァ……ハァ……。生意気な小娘に、罰を与えてやるのよ……。お前が悪いのよ! 死ねっ!!」


 セリナは憎悪に歪んだ顔で、バングルのドクロマークをエリナへと向けた。


 その瞳にはもはや狂気しかない。嫉妬と憎悪だけが、彼女を動かしていた。


 ヴォォォォ……。


 ドクロマークから、禍々しい紫の霧が射出される。それはまるでドクロの形をした生き物のように、うねりながら、一気にエリナに迫っていく。


「危ない!」


 シエルが慌てて弓を引き絞り、矢を放つ。


 シュッ! シュッ! シュッ!


 だが、矢は霧を素通りするばかりで効果はなかった。物理攻撃が通用しない――呪詛そのものに、矢は無力だった。


 ひっ!


 エリナはいきなりの横からの攻撃に、対応が遅れた。カインとの戦いに集中していた彼女の視界に、死の霧が迫る――。


「エリナっ!」


 レオンがとっさに駆け出し、体を張ってエリナの前に飛び込む。


 その背中には、迷いがなかった。ただ、仲間を守る――それだけの想いで。


 ズゴォォォッ!


 紫の霧がレオンを包み込む。瞬間、パキン!という繊細なガラス細工が砕けるような澄んだ音がレオンの中で響きわたり、全身を激痛が襲った。


「ぐっ……あぁぁぁぁっ!」


 レオンが倒れる。


 まるで全身の骨が砕かれるような、内臓が引き裂かれるような、筆舌に尽くしがたい苦痛。それは肉体だけでなく、魂そのものを蝕む痛みだった。


「レオン! レオンっ!」


 エリナが悲鳴を上げる。


 その声は、五年前に家族を失った時以上の絶望に満ちていた。


 セリナは虚ろな目でその場に崩れ落ちる。


「はぁ……はぁ……レオン……なんで、邪魔するのよぉ……」


 自分も生気を吸われ、もう立っていられなかった。髪は色を失い、白く変色している。


「ハハハハッ! お前らの大好きなレオンがやられたぞ? ざまぁみろ!」


 カインが高笑いした。


「あぁ、レオン……。くぅぅぅ……。もう、怒った! 絶対に許さない!」


 エリナの黒曜石のような瞳には、抑えきれない殺意が燃え上がる。大切な人を傷つけられた怒りが、彼女の全身を支配していた。もう、容赦はしない。


「お前を……絶対に、許さないっ!」


 エリナは剣を構え直すと、猛ラッシュで一気にカインに襲い掛かった。


 その速度は、先ほどまでとは比べ物にならない。怒りが、彼女の潜在能力をさらに引き出していた。


 キン! キン! キキキンッ!


 剣戟の音が、夜に響く。


 火花が散り、金属がぶつかり合う音が途切れることなく続く。


「ぐっ……うおぉっ!」


 必死にさばくカインだったが、どんどん速度の上がるエリナのラッシュに耐えきれず、あちこちに手傷を負っていく。


 ザシュッ!


 腕を斬られ――。


 ザクッ!


 肩を斬られ――。


 ザンッ!


 胸を斬られ――。


 そして最後に、足を深々と斬られて――。


 ドサッ!と、カインは倒れ、カランカラカラと太陽の剣が転がっていく。


 かつて輝いていた英雄は、今や無様に地に這いつくばっていた。全身から血を流し、もはや剣を握る力すら残っていない。


「勝負……あった、な……」


 レオンがよろよろと立ち上がりながら、苦しそうに呟いた。


 その体は今にも倒れそうなほど衰弱していたが――その瞳だけは、まっすぐにカインを見据えていた。



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