19. 運命の分岐点
「行けぇぇぇ!」
シエルの魂の叫びが、矢に最後の力を与える。
ズブッ!っと湿った音と共に、破魔矢が嘴から喉の奥深くへと突き刺さった。矢は更に進み、延髄を貫通する。
ゴホォォォ!
コカトリスの瞳から光が消えた。巨大な翼が力を失い、巨体が重力に引かれて落下していく――――。
監視塔をかすめ、大地を揺るがす轟音と共に、森の奥へと消えていった。
「おぉぉぉ!」
「シエル殿ぉぉ!」
「すげぇ! コカトリスを倒しやがった!」
歓声が夜空に響き渡る。石化していた兵士も、魔獣の死と共に元の姿を取り戻していく。
その瞬間――。
ボゥッ!っとシエルの全身が、虹色の光に包まれた。
レベルアップ。神々の加護が降り注ぎ、存在そのものが一段階上昇する奇跡。魂が震え、肉体が生まれ変わっていく。
「えっ!? お、おぉぉぉ……」
体が熱い。力が、全身の奥底から溢れ出してきた。
視界が驚くほどクリアになり、闇の奥まで昼のように見通せる。筋力が増し、愛弓が羽のように軽く感じる。指先の感覚が研ぎ澄まされ、風の流れ、空気の密度、全てが手に取るように分かる。
そして何より――自信が、心の奥底から湧き上がってくる。
(ボクは、やれる。みんなを守れる!)
銀髪が風になびき、月光を受けて輝く。その姿は、まるで戦女神が地上に降り立ったかのような、神々しい美しさだった。
覚醒した視界が、新たな脅威を鮮明に捉える。
「まだだ! 敵襲! 二時の方向! 鳥女の群れ!」
醜悪な鳥女たちが、耳を劈くような不協和音を響かせながら迫ってくる。その歌声は呪いを孕み、聞く者の精神を蝕んでいく。
シエルは深く息を吸い込んだ。今までなら届くはずもない、二百メートルを超える距離。だが、今の自分なら――。
ヒュン!と矢が、音を置き去りにして飛翔する。
空気を切り裂き、風を味方につけ、まるで意志を持っているかのように、ハーピーの心臓に吸い込まれた。
「す、凄い……」
自分の成長が、全身を駆け巡る力として実感できる。血管を流れるエネルギーが、稲妻のように煌めいている。
もう、怯えて震えていた公爵令嬢ではない。
もう、顔を隠して逃げ続ける逃亡者でもない。
弓手シエルとして、新たな境地に達した瞬間だった。
この夜、シエルは襲来する魔物を次々と撃ち落としていく。
翼を持つ者は空から墜とし、地を這う者は頭を射抜き、闇に潜む者は心臓を穿つ。矢は止まることなく、まるですべての魔物を殲滅せんとするかのように放たれ続けた。
一射必殺。
百発百中。
神業の連続。
兵士たちは、もはや言葉を失っていた。ただ、畏敬の念を込めて、その月光を浴びて輝く銀髪を見つめるばかりだった。
「あれが……人間の技なのか」
「いや、もはや神の領域だ」
「俺たちは、伝説の誕生を目撃しているんだ」
夜明けまでに、シエルは千を超える魔物を屠り、幾度もレベルアップの光に包まれた。その度にさらに力は増し、技術は研ぎ澄まされていく。
東の空が白み始める頃には、もはや怯えていた令嬢の面影は微塵もなかった。
そこに立つのは、伝説の神弓手へと覚醒しつつある、一人の誇り高き戦士だった。
血と煙の匂いが充満する戦場で、シエルは静かに弓を構え続ける。その瞳にもう恐怖はなかった。
◇
時は少しさかのぼる――――。
月明りの中、火山への道を急ぐ三人の姿があった。
レオン、ルナ、そしてミーシャ。彼らもまた、運命の分岐点へと向かう。
岩肌から立ち昇る白い蒸気が、まるで地獄の吐息のように三人を包み込む。地面が灼熱を帯び、靴底越しにも焦げるような熱が伝わってくる。
火山の中腹に盛り上がる小高い峰に登ると、眼下に巨大な噴気孔が見えて来た。硫黄の匂いが、肺を焼くように鼻腔を突き刺す。
「くっ……」「うわぁ……」「ここ……ですの?」
ゴォォォォ……。
地響きと共に、熱風が吹き上がる。その先には、奈落への入り口のような、赤黒い亀裂が口を開けていた。マグマからの熱が、深淵から不気味に揺らめいている。
ルナの顔は青ざめていた。
「あそこに最大火力の魔法を……当てるの……?」
噴気孔に当たらねば噴火は誘発できないが、撃てるのは一発だけ。最大火力で撃てば魔力は空になってしまうからだ。成功したことのない最大火力の精密制御をこの本番でやり遂げる――それはとてもではないが無理に思えた。
「そんなこと……そもそも最大火力なんて……うっ!」
ルナは頭を抱えた。トラウマがフラッシュバックしてしまったのだ――――。
一度は挑戦してみようと山を登ってきたが、実際に撃つとなったら心の傷が開いてしまった。
かつて魔法学院で起こした暴走事故。親友を巻き込み、危うく命を奪いかけた記憶。あの時の絶望と罪悪感が、今も彼女の心を縛り付けている。
「ま、また暴走したら……」
ルナの手が、小刻みに震え始める。
このままでは、確実に失敗する。いや、それ以上に危険な事態を招くかもしれない。




