13. 英雄たちの産声
その光景を、ギルドの窓から冒険者たちは息を呑んで見つめていた。
つい先ほどまで嘲笑していた男たちの顔が、次第に歪んでいく。それは羨望と後悔が混ざり合った、苦い表情だった。
――若者たちの純粋な決意。
――死を前にした、美しい絆。
――そして、自分たちがいつの間にか捨ててしまった、魂の輝き。
片腕を失った老冒険者が、震え声で呟いた。
「……俺にも、あんな時代があった」
隣の男が、酒臭い息を吐きながら頷く。
「仲間と共に、不可能に挑んだ日々が……いつから俺たちは、保身に走るようになった?」
沈黙が、罪悪感のように重く垂れ込める。
五人が城門へと歩いていく。その背中を見送る冒険者たちの瞳にはもう蔑みなどなかった。
代わりに浮かぶのは、憐れみと、嫉妬と、そして――魂の奥底から湧き上がる、本物の敬意。
カツン。
誰かが、ゆっくりと拳を胸に当てた。冒険者の敬礼――それは、英雄に捧げる最高の礼。
一人、また一人と、敬礼の波が広がっていく。
昨日まで他人を蹴落とすことしか考えていなかった者たちが、今、若き戦士たちに魂の敬礼を捧げている。
それは、死地へ向かう若者たちへの餞であり、自分たちが失った勇気への哀悼でもあった。
◇
「泣き虫リーダー! ふふっ」
エリナが肩を小突きながら、くすくすと笑う。復讐に染まっていた黒い瞳に、初めて年相応の悪戯っぽい光が踊っていた。
「うっせぇ!」
レオンが涙の跡を慌てて擦りながら、照れ臭そうに怒鳴る。その必死な様子が、また少女たちの笑いを誘った。
「でも」
エリナの頬が、朝焼けのようにほんのり染まる。視線を逸らしながら、小さく呟く。
「悪くない」
その一言に込められた温もりが、レオンの胸を熱くする。
ミーシャが優雅に金髪をかき上げ、空色の瞳を細める。
「うふふ、素敵な涙でしたわ。本音を言えば、私も少し……」
聖女の完璧な微笑みに、一瞬、本物の感情のひびが走る。慌てて取り繕うが、もう遅い。
「あたしも、ちょっと泣いちゃった」
ルナが真っ赤に腫れた目を必死に袖でごしごしと擦る。でも緋色の瞳には、もう魔力暴走の恐怖はない。代わりに宿るのは、仲間と共に戦う決意の炎。
「ボクも……ちょっとだけね」
シエルが銀髪で顔を隠しながら、消え入りそうな声で告白する。男装の鎧の下で、公爵令嬢の繊細な心が、初めて仲間のために震えていた。
五人は自然と肩を並べ、西の城門へと歩き始める。
石畳を踏む足音が、まるで運命が刻むリズムのように、力強く響いた。
◇
城門が近づくにつれ、空気が変わる。
遠雷のような地鳴り。それは三万の魔物が大地を踏み砕く音。理性を失った獣たちの咆哮が、死の風となって吹き寄せてくる。
門をくぐってくる避難民たちの顔は、絶望に染まっていた。
血まみれの農夫が、虚ろな目で呟く。
「村が……一瞬で消えた……」
子供を抱いた母親が、涙を流しながら走る。
「もうダメよ、この街もすぐに出ないと……」
老人が杖にすがりながら、諦めたように首を振る。
「二十年前と同じだ……また、全てが灰になる……」
誰もがおびえていた。この街も、やがて魔物の胃袋に消えることを。
三万の魔物。
千の牙。
万の爪。
凄まじき暴力の津波が、全てを飲み込もうと迫っている。
普通なら、足がすくむ。
普通なら、逃げ出す。
普通なら、諦める。
でも――。
レオンの翠色の瞳に、迷いはない。むしろ、より強く輝きを増していく。
「行くぞ!」
静かに、しかし雷鳴のような力強さで告げながら城門をくぐった。
「僕たちの物語を、始めよう!」
「行こう行こう!」
エリナが剣の柄をぎゅっと握りしめ、戦士の笑みを浮かべる。
「伝説を作るわよー!」
ルナが杖を天に掲げ、小さな体で大きく叫ぶ。
「やってやるんだから!」
シエルが弓を肩に担ぎ、碧眼を輝かせる。
「畜生たち、お手柔らかにお願いしたいものですわ……うふふ」
ミーシャが毒舌を込めた本音を漏らしながらも、その瞳は期待に満ちている。
五人の足音が、石畳に響く。
逃げ惑う人々の流れに逆らって、死地へと向かう若者たち――――。
その姿は小さい。
装備は新品で未使用品。
経験もない。
実績もない。
でも――。
朝日が彼らを包み込む。
黄金の光が、まるで祝福のように五人を照らし出す。
避難民たちが、ふと足を止める。
「あの子たち……」
「まさか、砦へ?」
「正気か?」
みんな振り返り――そして、静かに手を合わせた。
門番の老兵が、震える手で敬礼する。
「……ご安全に!」
涙声だった。




