129. 佐藤絵里奈
「す、すごい……」
エリナの黒曜石の瞳が、珍しく驚愕に見開かれている。
いや、それだけではない。
どこか、懐かしそうな――切なそうな色が、その奥に揺れていた。
「き、綺麗……」
ルナが、食い入るように夜景を見つめている。
緋色の瞳に、無数の煌めきが映り込んでいる。
まるで、瞳の中に星空が生まれたかのように。
その横顔は、いつもの勝気な少女とは思えないほど、無防備で、純粋だった。
「こんな世界が、あるの……?」
シエルが、信じられないという顔で周囲を見回している。
貴族の令嬢として、数々の豪華な城や館を見てきたはずの彼女でさえ、この光景には言葉を失っていた。
その碧眼には、驚きと、そして――微かな憧れが宿っていた。
「こ、ここは……?」
レオンは、そのどこまでも続く夜景を見回しながら、呆然と呟いた。
地平線の彼方まで、光の海が広がっている。
終わりが、見えない。
人の手で、これほどのものが創れるのか?
「ふふん、ここは僕のお気に入りの街だゾ? ここはみんな平等で貧困もないゾ。どう?」
シアンは、ドヤ顔でレオンの顔を覗き込む。
その碧い瞳が、得意げに輝いている。
ゴォォォォォ……!
その時、轟音が空を切り裂いた。
「へっ!?」「はぁっ!?」「うひゃぁ!」
巨大な影が、頭上を通り過ぎていく。
銀色の翼を持った、巨大な……何か。
鳥ではない。
竜でもない。
金属でできた、巨大な飛行物体。
その腹には、無数の窓が並んでいる。
中に、人影が見えた気がした。
それは、遥か彼方の地平線に向かって、優雅に降下していく。
「な、何だあれは!?」
レオンは、思わず叫んだ。
心臓が、激しく脈打っている。
あれほどの巨体が空を飛んでいるのに、魔法の気配はまったく感じられない。
ならば、一体何の力で?
「ひぇぇぇ……!」
ルナが、レオンの腕にしがみついた。
小さな身体が、ガタガタと震えている。
「ま、魔物……?」
シエルが、反射的に弓を構えようとして――自分が丸腰であることに気づき、蒼白になった。
「落ち着きなってぇ。ちょっと、説明してあげて。佐藤絵里奈さん?」
シアンは、クスッと笑うと、エリナに水を向けた。
その言葉は、あまりにも唐突で、あまりにも異質だった。
「へ?」「はぁ?」「エ、エリナ?」
みんなの視線が、一斉にエリナに向けられる。
サトウ、エリナ。
それは、聞いたことのないタイプの名前だった。
大陸のどの国にも存在しない、異国の響き。
エリナは――頭を抱えた。
「う……、うぅ……」
苦悶の声が、漏れる。
まるで、何か重いものが、一気に押し寄せてきたかのように。
黒髪の間から覗く顔が、苦痛に歪んでいる。
こめかみを押さえ、膝から崩れ落ちそうになる。
「ど、どうしたんだ、エリナ!」
レオンは、慌ててエリナの元に駆け寄り、その身体を支えた。
冷や汗が、額に浮かんでいた。
「だ、大丈夫……。思い出した、だけ……」
エリナはそう言いながら、冷や汗を額に浮かべながらよろよろと立ち上がった。
黒曜石の瞳が、涙で滲んでいる。
けれど、その奥には、確かな光が宿っていた。
何かを、受け入れたような。
「ここは渋谷……日本という国の、街の一つだわ……」
エリナはそう言うとキュッと口を結んだ。
「に、日本……?」
聞いたことのない国名だった。
大陸には存在しない国の名前。
「そう、私はあそこで仕事をしていたの……」
エリナは、懐かしそうな眼をして、遠くに見える新宿の高層ビル群を指さした。
夕暮れの空を背景に、無数の塔がシルエットとなって立ち並んでいる。
それは、まるで巨人の墓標のようにも見えた。
「あ、あそこで? ま、まさか……」
レオンの脳裏に、一つの可能性が浮かんだ。
ルナがリナの転生者だったように。
エリナもまた――。
「そう、私は転生者だったわ」
エリナは、静かに告白した。
その声は、どこか遠くを見つめているようだった。
過去と現在の狭間で、揺れているような。
「前世は、ここで暮らしていたの。毎日、満員電車に揺られて、あのビルまで通っていた……」
レオンは、少女たちと顔を見合わせた。
誰もが、驚きに目を見開いている。
エリナの過去。
彼女自身忘れていた、心の奥底に封印された記憶。
それが今、この場所で解き放たれようとしていた。
封じられていた扉が、ゆっくりと開いていく。
「働きすぎで、ふらふらしてて……そのまま交通事故でね……」
エリナは、自嘲気味に笑った。
けれど、その笑みは、どこか痛々しかった。




