125. いるじゃん、そこに
「一度リセットした方がいいって、ずっと思ってたんだ」
「リ、リセット!?」
レオンは、信じられない思いで叫んだ。
「か、彼らだって必死に生きているじゃないですか! 毎日を懸命に、家族を養い、子供を育て、明日を信じて……!」
脳裏に浮かぶのは、街の人々の姿だった。
市場で威勢よく声を張り上げる商人。
路地裏で笑い転げる子供たち。
夕暮れの中、疲れた足を引きずりながら家路を急ぐ労働者。
病床の母のために、必死で働く少年。
彼らは確かに、目先のことしか見てないかもしれない。
おかしいと思いながらも、日々生きていくために考えるのを止めていたかもしれない。
けれど、それぞれが必死に、懸命に、自分の人生を生きている。
それを、失敗作だなんて。
それを、意味がないだなんて。
ところが――。
「うん、だからさ」
シアンは、あっけらかんと言った。
「いったん死んでもらって、転生させた方が幸せになるんじゃない?」
「へ? て、転生……?」
レオンは、予想外の言葉に目を瞬かせた。
「そう。死んだからって終わりじゃないよ」
シアンは、人差し指を立ててニコッと笑う。
「魂は次の人生に引き継がれるからね。今の人生がダメでも、次があるの。だから、そんなに深刻にならなくていいんだよ?」
その言葉はどこか甘く、優しく響いた。
神の視点から見れば、死は終わりではなく、ただの通過点に過ぎないのかもしれない。
魂は永遠で、肉体は器に過ぎないのかもしれない。
けれど――。
「いやいやいやいや……」
レオンは、激しく首を振った。
胸の奥で、古い傷が疼いている。
七年前の、あの日の記憶が。
決して癒えることのない、心の傷が。
「妹のリナは幼くして人生を閉ざされたんです! もう会うこともできない……。そんな事態を招くことは、やっぱり駄目です!」
声が震え、目頭が熱くなる。
忘れたことなど、一度もなかった。
あの日。
目の前で倒れた妹。
血の海の中で、冷たくなっていく小さな身体。
助けを呼ぼうとしても、声が出なかった。
身体が動かなかった。
ただ、震えながら、妹の名前を呼び続けることしかできなかった。
リナ、リナ、リナ――。
何度呼んでも、妹は目を開けなかった。
何度触れても、その身体は冷たくなっていくばかりだった。
あの日から、レオンの中で何かが壊れた。
血を見ると動けなくなる。
大切な人を守れなかった罪悪感が、今も胸の奥で燃え続けている。
自分がもっと強ければ。
自分がもっと早く動けていれば。
そんな後悔が、七年間、一日も休むことなく、レオンを苛み続けてきた。
ところが――。
「え? リナちゃんならいるじゃん、そこに」
シアンは、不思議そうに首を傾げた。
何を当たり前のことを言っているの? とでも言いたげな表情で。
そして、何気ない仕草で――ルナを、指さした。
「何言ってるんですか! 彼女はルナです! リナは七年前に死んだ僕の妹のことです!」
レオンは、猛然と抗議した。
当然だ。
ルナとリナは、別人だ。
髪の色も、瞳の色も、まったく違う。
似ているところなど、どこにもない。
しかし――。
「リナちゃん、何とか言ってやって」
シアンは、あきれ顔でルナに振った。
まるで、隠し事をしている子供を諭すかのように。
「……へ?」
レオンは、慌ててルナの方を振り向いた。
そこには――キュッと口を結んで、うつむくルナがいた。
いつもの勝気な表情はどこにもない。
どこか居心地悪そうに、視線を泳がせている。
その姿は、まるで――秘密を暴かれた子供のようだった。
「ど、どうした……んだ? ルナはルナ……だよね?」
レオンは声が震えてしまう。全く意味が分からなかった。
なぜルナは、シアンの言うことを否定しないのだろう?
なぜ、「違う」と言ってくれないのだろう?
「ちょ、ちょっと……。ど、どうしたの?」
胸がキュッと締め付けられた。
本当に――ルナは、リナなのだろうか?
ルナは、相変わらずうつむいたまま、何も言わない。
その沈黙が、何よりも雄弁に真実を物語っていた。
「え? 本当に……リナ……なの?」
レオンは、信じられないという風にルナの顔を覗き込んだ。
心臓が、激しく脈打っている。
もし本当なら。
もし、ルナがリナなら。
七年間、ずっと抱え続けてきた罪悪感は、どうなるのだろう。
ずっと会いたかった妹は、こんなにも近くにいたというのか。
初めて出会った時から、ずっと側にいたというのか。
「あたし……」
ルナは、ポツリと呟いた。
その声は、いつもの元気さからは程遠く、小さく、か細かった。




