122. は?
「で? どこを焼くんだって?」
シアンは、楽しげに首を傾げた。
まるで、今日の夕食は何にしようか、とでも聞くかのような気軽さで。
レオンの背中を、冷たい汗が流れ落ちる。
十万の命。
それは、レオンたちが滅ぼした魔物の数だ。
つまり――イザベラは、魔物たちに街を襲わせ、そこで殺した人間の命を贄として熾天使を呼び出し、世界を火の海に沈めるつもりだったのだ。
イザベラの計画は阻止した。
しかし、皮肉なことに、レオンが滅ぼした魔物たちが贄となってしまっていた。
結果として彼女の術式を完成させてしまったのだ。
運命の皮肉に、レオンは歯噛みした。
「せ、熾天使様ということは、女神様に仕える執行者……ということですか?」
レオンは、必死に情報を集めようとした。
相手を知らなければ、対処のしようがない。
「そうそう、女神さまのお手伝いをするお仕事。天界のぶっ壊し屋だよ? きゃははは!」
シアンは、無邪気に笑った。
その笑顔は子供のように純粋で、花のように可憐で――。
けれど、その言葉の意味は、あまりにも恐ろしかった。
天界の、ぶっ壊し屋。
つまり、女神の命令で世界を破壊する存在。
星を砕き、大陸を焼き、文明を灰燼に帰す、終末の使者。
そんなとんでもない存在が、今、目の前に立っているのだ。
しかも、楽しそうに笑いながら。
レオンは、頭の中が真っ白になりそうだった。
どうすればいい。
何を言えばいい。
こんな存在を相手に、いったい何ができるというのか。
「と、とりあえず……」
レオンは、震える声を絞り出した。
「スタンピードは滅ぼしましたので、頼むことはもうなくなってしまいました……のですが……」
沈黙が、落ちた。
空気が、凍りつき――シアンの笑顔が、ゆっくりと消えていく。
「は?」
その一言に、空間そのものが軋んだ。
途端に――シアンの身体から、鮮烈な青い光が噴き出した。
それは、憎悪のオーラだった。
純粋で、混じりけのない、剥き出しの怒り。
肌を刺すような冷気が、さらに深まる。呼吸すら苦しくなるほどの、圧倒的な威圧感。
少女たちが、息を呑む気配がした。
「何? この僕を追い返そうっての?」
シアンの碧い瞳が、ギラリと光った。
その瞳の奥に、星が爆ぜるような激しい光が渦巻いている。
「ふざけんじゃないわよぉぉぉ!」
シアンは、ブン! と腕を振った。
ただ、それだけ。
腕を振っただけ。
けれど――。
刹那、青い閃光が辺り一帯を駆け抜けた。
ズン! という衝撃音が、腹の底まで響く。
エーテルの結晶が割れ、大地が裂けた。
まるで紙を引き裂くように、あちこちに壮大な地割れが走っていく。
数百メートルはあろうかという亀裂が、蜘蛛の巣のように広がっていく。
地面が隆起し、岩が砕け、土砂が舞い上がる。
「うひぃ!」「きゃぁぁぁ!」「な、なに……!?」「いやぁぁぁ!」
少女たちの悲鳴が、轟音にかき消される。
腕を振っただけで、大地はズタズタ。
その圧倒的な破壊力に、一行は完全に圧倒された。
これが、熾天使の力。
これが、世界を創った存在の、ほんの気まぐれ。
レオンは、全身が震えるのを止められなかった。
滅ぼされる――――。
本能が、そう叫んでいる。
この存在の怒りを解かなければ、大陸もろとも文字通り消し飛ばされる。
「あ、い、いや……っ」
レオンは、必死に言葉を探した。
冷や汗が、顎を伝って落ちていく。
心臓が、破裂しそうなほど激しく脈打っている。
何か言わなければ――――。
「お、お願いしたいことは山ほどあってですね! こ、こんな機会二度とないんですから!!」
声が裏返った。
情けないほど必死な声だった。
けれど、それでも、レオンは叫び続けた。
「そうよ? あったり前じゃない!」
シアンは、フン、と鼻を鳴らした。
「僕が出てくる時は、たいてい星ごと焼き払う時なんだから。こんなふうに願いなんて聞かないわ」
星ごと、焼き払う――――。
その言葉にレオンは背筋が凍りついた。
この存在にとって、星を一つ滅ぼすことなど、日常茶飯事なのだ。
人間が虫を踏み潰すように、彼女は数多の命ごと星を焼き払う。
それが、熾天使という存在なのだ。
「お、お願いできるのは破壊……だけなんですか?」
レオンは、震える声で問いかけた。
シアンの眉が、ピクリと動いた。
青いオーラが、わずかに和らぐ。
怒りが、少しだけ収まったようだった。
「うーん……」
彼女は、人差し指を顎に当てて考え込む。
その仕草は、どこか人間臭くて、不思議と親しみを感じさせた。




