115. 巨大なクジラ
レオンの思念体は、どんどんと高度を上げていく。まるで、見えない糸に引かれるように。
魔物の軍勢が、小さくなっていく――。
あれほど恐ろしかった黒い波が、蟻の行列のように見えてくる。
森が緑の絨毯のように見え、川が、銀色のリボンのように蛇行している。
山々が眼下に広がり、雪を頂いた峰々が白い宝冠のように輝いている。
そして、遥か向こうに――円形の構造物が見えてきた。
王都だ。
あの長大な城壁もこんな上空から見ると、まるでおもちゃのように小さく見える。
けれど、あの小さな輪っかの中には何十万もの人々が暮らしているのだ。
笑い、泣き、愛し合い、時に憎み合いながら、それでも懸命に生きている。
その全てがあの小さな円の中に詰まっているのだ。
その全てを守らなければならない。
絶対に。
何があっても。
◇
さらに、さらに高度が上がっていく――――。
空が、徐々に変わって見える。
青かった空が、徐々に濃い青になり、やがて紺色になり――黒くなっていった。
まるで、昼から夜へと時間が移り変わっていくかのように。
いや、違う。
これは、空の色ではない。
空を超えたその先の色だ。
見下ろせば地平線が、弧を描き始める。
まるで、世界が丸いかのように――――。
「な、なんだこれは……」
レオンは困惑した。
心臓が早鐘のように打っている。
今まで自分の世界は――平らな大陸が、どこまでも広がっているというイメージしかなかった。
地図に描かれた通りの、平面の世界。
けれど、こんな上空まで来ると、それが球面になっていることが分かる。
世界は、丸かった。
巨大な球体の上に、大陸があり、海があり、人々が生きている。
そして、青空の上は――漆黒の暗闇。
永遠に続くかのような、深い深い闇。
よく見れば、無数の星が点々と光っている。
宝石を散りばめたような、無限の星々。
美しい――――。
言葉では表現しきれない、圧倒的な美しさ。
ほわぁ……。
レオンは、ここで初めて理解した。
自分たちの世界は巨大な球体の上で、その球体は――広大な暗闇、宇宙空間に浮かんでいることを。
無限の闇の中に、ぽつんと浮かぶ、小さな青い宝石――。
それが、自分たちの世界の正体だった。
レオンは、しばしその壮大な景観に見入る。
息をすることさえ忘れて。
言葉を失うほどの、圧倒的な光景。
人間の営みが、あまりにも小さく見える。
戦争も、憎しみも、諍いも、全てが――この宇宙の前では、塵のように小さい。
権力を求める者も、富を求める者も、復讐に燃える者も。
皆、この小さな球体の上で、必死にもがいているだけ。
けれど。
だからこそ、愛おしい。
あの小さな青い球体の上で、懸命に生きている命たち。
限られた時間の中で、精一杯輝こうとしている魂たち。
その全てが、かけがえのないものに思えた。
守りたい。
心の底から、そう思った。
あの小さな世界を。
あの愛すべき人々を。
そして――四人の少女たちを。
その時だった――。
上の方で、何かが煌めいた。
星?
いや、違う。
それは、徐々に大きくなってくる。
他の星々とは明らかに違う、異質な輝き。
「な、なんだ……あれは……?」
レオンは、その輝きを凝視した。
必死に目を凝らす――。
やがて、その物体が――鈍く、赤く光り出した。
まるで、鉄を熱したときのような、不吉な赤。
灼熱の輝き。
地獄の業火を思わせる、禍々しい赤。
その不気味な様子に、レオンは本能的な畏怖を覚えた。
背筋が、凍りつく。
きっと、これが【運命創造】につながる何かなのだろう。
直感で、そう感じた。
五人の魂が呼び寄せた、運命の使者。
けれど、一体それが何なのか――ピンとこなかった。
物体は、どんどんと大きくなっていく。
徐々にまばゆく閃光を放ち始める。
大気との摩擦で、赤熱しているのだ。
まるで、天から降り注ぐ炎のように。
神話に語られる、天罰の火のように――――。
◇
かなり近づいてきて――その形が、はっきりと見えるようになってきた。
「クジラ……だ!?」
レオンは、信じられないという表情で叫んだ。
そう、それは――巨大なクジラだった。
全長数十キロはあろうかという、想像を絶する大きさ。
山よりも大きい。
城よりも大きい。
人間が作ったどんな建造物よりも、遥かに巨大。
けれど、それは生物ではない。正確には――クジラの形をした宇宙船だった。
「ま、まさか……」
レオンは言葉を失った。




