112. 好きだけじゃ……ダメ?
「ありがとう……ありがとう……!」
シエルは、涙声で言葉を紡ぐ。
「ボク……ずっと、自分には価値がないって思ってた。家のための道具、結婚のための商品……それだけだって……」
その声が、悲しみと、そして今の喜びで震える。
「あの好色な老貴族との結婚を告げられた時、ボクは絶望したんだ。自分には、選ぶ権利すらないんだって……」
シエルの涙が、止まらない。
「でも、レオンと一緒にいると――何でもできるって、そう思えてくるの。ボクは、ボク自身として生きていいんだって……!」
「ああ、そうだよ」
レオンは、力強く頷いた。
「君は、シエル。誰のものでもない。アステリア家の所有物でもない。君自身だ」
レオンの声が、優しく、そして力強く響く。
「これが運命なんだって、僕は思う。出会い、一緒になることで、どちらも一人では届かなかった高みへ行けるんだ。それが、この世界に生まれた意味なんだ」
レオンは、シエルを優しく、優しく抱きしめた。
小柄な体が、レオンの腕の中にすっぽりと収まる。
「これからは、ずっと一緒だよ? 未来を一緒に作っていこう」
「うんっ! うんっ!」
シエルは、何度も、何度も頷きながら、レオンの胸で泣いた。
嬉し泣き。
幸せの涙。
長年抱えていた、令嬢という呪縛。自分が何者であるかの葛藤――――。
それらから完全に解放され、今、約束された輝かしい未来へと踏み出す。
「ボク……」
シエルは、涙を拭いながら、顔を上げた。
「レオンと一緒なら、どんな未来も怖くないわ! どんな困難も、どんな敵も、一緒なら乗り越えられる!」
涙で濡れた顔。
けれど、その表情は、希望に、決意に満ち溢れていた。
「一生、一緒だからね? 絶対に、絶対に離れないでね?」
「ああ、一生一緒だ」
レオンは、シエルの頬に優しく手を添えた。
「約束する。どんなことがあっても、君の傍にいる。永遠に」
そして――レオンは、シエルの唇に、優しく、愛おしそうにキスをした。
初めて触れる、柔らかな感触。
温かな、幸せな感触。
世界で一番大切な人との、誓いの口づけ。
瞬間――黄金色の光が、二人を包み込んだ。
祝福の光。それは、まるで天使たちが舞い降りてきたかのように、優しく、暖かく、二人を包んでいた。牢獄全体が、神々しい光に満たされる。
【運命を共にすると誓った者を確認――シエル・フォン・アステリア】
レオンの脳裏に、金色の文字が浮かび上がる。
三人目の運命が、結ばれた。
「ありがとう……レオン……」
シエルは、レオンの胸の中で、幸せそうに微笑んだ。
「ボク、生まれて初めて、本当に幸せだって思えた……」
その声は、喜びに満ち溢れていた。
もう、商品じゃない。
もう、道具じゃない。
愛される、一人の人間として。
それが、何よりも嬉しかった。
◇
「さ、最後は……」
ルナが顔を真っ赤にして、もじもじしていた。
その姿はいつもの勝気なルナとは違う、恥ずかしがり屋の少女そのものだった。
「ルナ……」
レオンはルナの前にゆっくりと膝をついた。
その仕草はまるで騎士が姫に忠誠を誓うかのように、丁寧で、優しかった。
「べ、別に!」
ルナは、慌てて声を上げる。
「あんたに結婚してくれって頼んでるわけじゃないんだからね! 世界を救うために、仕方なく……仕方なくよ!」
ルナはプイッと横を向いた。けれど、その耳まで真っ赤に染まっているのがよく分かる。
「ふふっ、そうだね」
レオンは穏やかに笑った。
「頼んでいるのは、僕の方だ」
レオンはそっとルナの手を取る。
小さく震えている手。
「ルナ」
優しく微笑むレオン。
「な、何よ!」
ルナがビクりと肩を震わせる。
「僕は、君が好きだ」
レオンはまっすぐにルナの緋色の瞳を見つめた。
「結婚してくれないか?」
その声はシンプルで――けれど真剣だった。
にっこりと笑顔で、ルナの緋色の瞳を覗き込む。
ルナはその真っ直ぐな視線に、一瞬固まった。
「……え?」
きょとんとした顔。
「そ、それだけ……?」
ルナは拍子抜けしたような様子で眉を寄せた。
「好きだから、結婚してほしいんだよ」
レオンは変わらず真っ直ぐな目で、ルナの目を見つめる。
「ちょっとぉ!」
ルナが顔を真っ赤にして叫んだ。
「何で他の子たちと違うのよ! エリナにも、ミーシャにも、シエルにも、あんなに長々と素敵な言葉をかけたじゃない! 私には『好き』だけ!? 手抜きじゃない!」
ルナは憤然とレオンに突っかかった。
その姿はまるで拗ねた子猫のようで、可愛らしい。
「『好き』だけじゃ……ダメ?」
レオンは少し困ったように、けれど伸びやかな笑顔で、ルナを見つめた――――。




