第27話 「お腹すいた」
「ああ……、今日も暇だった」
店の窓から見える景色は、太陽が完全に沈んで暗くなった道を鮮やかな色の魔法の光源が照らしていて、美しく幻想的な雰囲気を醸し出していた。
俺は店のドアを開け、新鮮な夜風を店の中に入れる。冷えた夜風が俺の身体を優しく包み込む。これだけで、アルバイトの疲れが全て吹き飛んでいくようだった。
……座ってしかいないけど、たぶん、俺の身体は疲れてると思う。
グリフさんは工房に籠ったままで、今の今まで出てきていない。
いったいどんな作業をしているのだろうか?
フィリアは絵本を読んだまま寝てしまったため、風邪をひかないように適当にそこらへんから布を持ってきてかぶせてやり、俺の目の届くところで寝てもらっている。
けっしてフィリアの寝顔が見たいとかではない。やましい考えは一切なく、ただ幼い子供を目の届く範囲に置いておきたいという父性本能からだ。
フィリアの寝顔は確かに可愛らしいが、それだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。俺は、こんなにも可愛らしい純粋無垢な少女をヤラシイ目でなんて見るなんて心が痛んで無理だ。
よし、やっぱり俺はロリコンじゃないな。
「にしても、暇だ」
アルバイト終了時間まで残すところあと一時間。
客が来ないとはいえ、寝て暇をつぶすわけにもいかない。さっきまでやっていた、『一人しりとり』はもう飽きた。
何か他に、暇を潰せて尚且つ俺を楽しませてくれる遊びはあるだろうか?
………… いい事を思いついてしまった。
心が痛むが、バレなければ何も問題はないだろう。
俺は人差し指を立てて、幸せそうな寝顔をしているフィリアの頬をつつく。
「っ⁈」
俺の予想をはるかに超えて、フィリアの頬は柔らかかった。程よいぷにぷに感がとても心地いい。これがいわゆるモチ肌というやつか、おばさん達がモチ肌を手にしたいというのも頷ける。
「……これで一時間を潰すのか? もしかして、俺は馬鹿か?」
と言いつつも、俺はフィリアの頬をつつくのを止めない。
なんとなくだが、割とこれで一時間もつ気がしてきた。
……ダメだ、暇すぎて頭がおかしくなってきている。こんな事をして楽しんでいるだなんて、頭がおかしくなっている証拠だ。
(よし、これを最後にもう止め…………)
「…………いたいけな少女の頬を弄ぶそこの犯罪者さん、お仕置きが必要ですか?」
どうしてか、聞き覚えのある声がドアの方から聞こえてきた。俺はこの声の主を知っている。
恐る恐る振り向くと、俺の予想通り、眉間にしわを寄せながら拳を構えるニアがいた。
「お、お仕置きは必要ないですよ。それにだ、こんな可愛い寝顔を見させられたら、つつきたくなるのが男の性」
と俺が弁解を図るも、ニアは拳を更に強く握りしめる。
なんとかして話題を逸らし、ニアの右フック直通便から降りなくては。
「ま、待て! どうやって音もなく入って来れたんだ?」
「ドアを全開にしといて何言ってんの…………」
あ、ああ、俺が店のドアを全開にしていたんだった。
「ふふ、お仕置きが必要だよね?」
「ま、待つんだ。………………待つんだ」
まずい、この状況を打開できる良い言い訳が見つからない。
そもそも、どうして殴られなければいけないんだ! 理不尽だ!
……仕方ない、どうしようもないからフィリアの頬をツンツンして殴られるのを待とう。
「ふわぁあ。………………お腹すいた」
ツンツンしていたらフィリアが目を覚ました。夕飯を求めるように、俺の脇腹に軽く抱きついてくる。さすがのニアも少女の前で暴力沙汰を起こすのは躊躇われるらしく、ぐぬぬぬっと顔をしかめながら拳を引っ込める。やっぱり、少女は最高だぜ!
「あの怖い女の人、誰?」
フィリアが俺に抱きついたまま、上目遣いで聞いてくる。まったく、可愛い奴め。
「この人はな、何かあるたびに理由をこじつけて、理不尽に人をぶん殴る怖い人だよ」
「ち、違うわよ!」
ニアが大きな声で即異議申し立てをする。いや、あながち間違ってはいないと思うんだけどな。
大きな声にビックリしたフィリアは、俺に更に密着して腹部に顔をうずめてくる。
ナイスアシストだ、ニア。
そういえばニアはどうしてこの店に来たのだろうか。この店はオーダーメイドで剣を製造する鍛冶屋のはずで、ニアが用があって来るような場所ではないと思うのだが。
まさか、俺に会うためだけに来た訳ではあるまい。まあ、ニアも上流階級の貴族だし、何かしらの用があるのだろう。
「この店に、何か用があるのか?」
本当は聞くつもりなかったが、なんとなく。
「うん。ちょっと、グリフさんに用事があってね」
ニアはそう言うと、店の奥に入っていく。きっと、工房に行ったのだろう。もしかしたらグリフさんの店は、剣の製造の他に魔術関連の何かを作っているのかもな。などと俺が考えていたら、フィリアによる腹部への締め付けが強くなった。
「お腹空いたぁあああっ!」
空腹が限界に達しているのか、フィリアが大声で喚く。
再び、「お腹すいただぁ? ったく、俺のお稲荷さんでも頬張ってろ!」という決め台詞に近い何かを言う絶好の機会が来たわけだが、やはり純粋無垢な少女に言うのは躊躇われて口では言えなかった。
まったく、俺はいつから性犯罪者予備軍に成り下がってしまったのだろうか。もう少しまともな人生を歩んでいたらなぁ、と思いながら本日二度目となる料理をすべく、店の奥のキッチンに向かう。
◆◇◆◇◆◇◆
「おい、いつの間に仲良くなったんだ?」
俺がそう問いかけるも返答は返ってこない。
今、俺はニアとフィリアと共にニアの屋敷で食卓を囲んでいる。
せっかくフィリアのために作った俺のお稲荷さんは、「飽きた」とフィリアが不満を漏らしたことで、グリフさんの夕食となった。
その光景を見ていたニアが、「なら私が作るから、私の家で一緒に食べようか」と言い出し今に至るわけだ。
俺の目の前には、姉妹のように仲睦まじく接し合うニアとフィリアがいる。
さっきまでフィリアはニアのことを怖がっていた筈なのにこの変わりよう、何か薬でも盛られたのか?
俺だけとり残されている感がすごい。今から店に戻って、グリフさんと一緒に俺のお稲荷さんを食べてこようか迷ってしまうぐらいだ。
「お姉ちゃんの作る料理は、そこの人が作ったのより美味しいね!」
悪かったな料理が下手で。いや、そもそも俺が作ったのはお稲荷さんだ、お稲荷さんでなければもう少し美味しく出来たはずだ。とは言っても、ニアの料理にはたぶん勝てないだろうけどな。
にしても、そこの人呼ばわりは酷くないですかね。散々人のことを、「お兄ちゃん」と呼んでこき使っておいて。女は生まれた時から女と言うが、まさにその通りだ。
悲しくなってきた俺はさっさと料理を食べ終え、
「ご馳走様」
食器を片付けて、ソファーにダイブして踏ん反り返る。
二人とも俺に少し遅れて食べ終わったようで、「ご馳走様」と聞こえてくる。
……今日も疲れた。……椅子に座っていただけだが。
こんな時は、目を閉じて少し寝るのが一番だ。
「ひゃっほーう!」
フィリアが何やらはしゃいでいるな。
「少し寝るから風呂の時間になっ、グェッッ! うっぐ!」
食べ物を収納し終えたばかりの胃に腹部に、強烈な衝撃がはしる。その衝撃で胃が揺らされ、食道の中間あたりまでさっき食べた何かの肉が戻ってきた。突然のことすぎて頭が追いつかなかったが、とりあえずリバースしないよう無理矢理呑み込む。
危ない、ギリギリセーフだった。
「フィリアよ、俺は死にかけたぞ…………」
「死んでないから問題なし!」
俺の腹部に馬乗りになっているフィリアは、グッと親指を立てる。
「いやいや、問題ありまくりだから! 俺が耐えなかったら、お前ゲロまみれになってたから!」
「食後直後に汚い話は止めなさい……」
俺の隣に座ってきたニアに怒られた。
怒る対象が違くないですかね?
甘やかすのはどうかと思うんだが……。まあ、いいか。
フィリアが俺の膝の上に座っているこの状況を加味して、プラマイゼロにしておいてやろう。
…………俺は心が広いな。って自分で思うあたりが俺の悪い癖だな。
「少し経ったら、一緒にお風呂に入ろうか」
三人仲良くソファーに座っていたら、ニアがそんなことを言ってくる。
「うえっ⁉︎ えっ、いいの⁈」
「レイジじゃないわよ! フィリアちゃんに言ってるの!」
なんだ、残念。まあ、そんな気はしてたけどさ。
「お姉ちゃんと一緒に入るー!」
フィリアは相変わらず元気な声で言う。
…………俺も元気な声で言えば、ノリでいけるかもしれないぞ。
乗るしかないよな、このビッグウェーブに。
「俺も、お姉ちゃんと一緒に入るー!」
「…………」
「…………」
空気が一気に冷たくなった。ニアとフィリアは無言で、蔑むような視線を俺に送ってくる。マゾヒストなら泣いて喜んだのだろうが、あいにく俺はマゾヒストではない。かと言って、サディストでもないが。兎に角、二人の視線が痛い。
俺が悪いのか? ……俺が悪いんだろうな。
「…………なんか、ごめん」
しっかり謝ったのだが、空気は冷たいままだった。
「さっ、フィリアちゃん、お風呂に入りに行こうね」
母親が子供に悪影響を及ぼすものを見せないようにする感じで、ニアはフィリアを連れて風呂場に向かっていってしまった。
一人になった俺は特にすることもないので、ソファーを独占して軽く眠ることにした。




