91 美しき香り 2(アラン)
「先に運びこませてもらいましたよ」
家に戻ると、リードも来ていた。
リード宛ての荷を先にあけたのか、彼の周囲には新しい本や資料画がすでに散らばっている。
この家は聖地の島を守護する者が住まう用に建てられた簡素な家で、3部屋と共同の炊事場と入浴できる水回りがあり、2,3人住める形になっている。島にはこういう家が数軒立っており、元魔術師達がそれぞれ住んでいる。
この家は私とリードに割り当てられていた。だが、リードは聖晶石の研究に没頭したいからと聖晶石の採掘坑の横穴の一つに寝袋や食料品、備品を持ち込みそこで普段は寝起きしている。家の部屋で実験する必要があったり調べたい資料を読むときだけ帰ってくるのだ。
「リード、これがアランの館からのいつものやつ」
ユージンが木箱から麻袋を出していく。
「ちょうど満開時期だから、たっぷりあるぞ」
どんどん麻袋を並べると、なかなかの量がある。リードはそれによって袋の口をしばる紐をほどいて 中身を手ですくう――それは、真っ赤な花びら。
「鮮度がいい。助かりますね」
リードの礼にユージンが「いやいや……俺は、なにも」と頭をかきつつ、私にマーリとグールドからの手紙を渡してくれた。
まわりにことわってから、それぞれの中身に目を通すと、グールドから館は今もつつがなく維持できていること、ディールが時折顔を見せに来ること、奥方の部屋もきちんと維持していることなどが書かれていた。マーリの手紙には、さきほどロイとユージンから聞いた、見習い寮への講師のことなどが書かれていた。
「ユージン、マーリ嬢からの手紙におまえのことも書かれていたぞ」
ユージンの横顔がギクリと強張った。
「……なんて書いてあった?」
「古語の講師をしたときに、楽しくて面白い方と出会いました、と。騎士の指導総長だから厳めしい怖い人だと思っていたら気さくな方だったので嬉しかったそうだ」
話すと、ユージンの頬がゆるんだ。
「そ、そうか……」
思いのほか昔馴染みの友人が恋心が表に出るタイプだったことに驚いた。
だが、違うと気付く。
昔は――私自身が気付いていなかったのだ。周囲のそういった細やかな気持ちの動きに鈍感で察することができなかっただけだ。
「今晩返事を書くから、ユージン、またマーリ嬢やグールドに届けてくれるか」
「もちろんだ」
私が頼むと、ユージンは嬉しそうに即答した。
ちょうどそのとき、近くで麻袋を順に木箱からだしていたロイが首を傾げながら言った。
「それにしても、リードさん、この大量の花びらどうなさるんですか?」
リードはそれぞれの袋の口をあけながら、花びらの状態を確認している。
黄色や白、ピンクなどさまざまな色がある。
これは私の館――つまり、ソーネット家の別館の私が美香をともに住んでいた館のバラの花びらだった。
この島に来てから、バラの咲く時期になるとリードは私の館の庭にさくバラの花びらを集めるよう使用人に頼んだ。ソーネット家本家の庭の方がもっとすごい数の花びらが集まるはずなのだが、リードは本館ではなく別館だけの花びらを欲しがった。
花の盛りに切ってしまうのは館の者には申し訳ないと思ったが、どうやらキースのいない今、バラの手入れが細かく出来る専属の後任もなかなか見つからないらしい。株が弱るまえに一律満開の花を切ってしまうことにあまり抵抗がないらしく、庭師は渋ることなく花びらを送ってくれることを約束してくれた。
そして初夏と秋、花びらが集められ毎年届けられるようになった。
「それ、俺も興味がありました。何になるんでしょうかね、このバラの花びら」
ユージンも首をかしげる。
すると、リードが淡々と表情を変えずにいった。
「食べる」
「は!?」
ユージンもロイも目を見開いてリードを見た。
「嘘です」
リードはなんの声色も変えることなくそういうと、そのまま花びらの袋の口を閉めると肩をすくめた。
「魔力の流れを調べるのに、使う」
「はあ……魔力の流れ……。それも聖晶石の研究の一環ですか」
ロイの問いにリードは頷いた。
「聖晶石は魔力を貯める。私の体質もそれに近い。逆に兄さんは貯めずに通す。世のなかの万物それぞれ、微量ながら魔力を貯める性質のもの、また貯めずに通す性質のものなど魔力に対する性質があることがわかってきています。魔力は一旦蓄えられることがあっても、徐々に使われることで世に還元され、また長い時を経て絶えず動いているというのが基本見解です」
「へぇ……。あ、じゃあ、このバラの花びらも?」
「そうです。花びらも魔力を通したり貯めたり……ごくごく微量ながら繰り返している」
「なるほど! それで、魔力の流れを調べるために、このたくさんの花びらがいるんですね」
ロイの合点がいったという言葉をリードは肯定も否定もしなかった。
*****
夜はユージンが持ってきてくれた酒を酌み交わし、ほろ酔いしたロイの未来の夢語りや騎士になりたての失敗談をきき、ユージンと励ましたり慰めたりした。
リードは運ばれた花びらを研究に使いたいからと、こもりっきりになっている。めずらしく採掘坑の寝床に戻らないのだから、酒は飲まずとも共に話していかないかと誘ったが「調べたいことがあるので。騒いでもらっても大丈夫ですよ。没頭すると聞こえなくなりますから」と言い残し、部屋からでてくることはなかった。
久々に友と後輩と話し、あたたかい気持ちを思い出した。
夜も深まったころ、酒が回ったのかユージンもロイも寝入ったので、グールドやマーリへの返事、そして修練生たちにあてての手紙をしたためることにした。
少し窓を開け、酒の匂いのこもった部屋に風を通す。
涼やかな夜風を感じながら、机に灯りをもってきて、筆記具の用意をした。
私は――アラン・ソーネットは、現在王都では「災いの夜」の被害者とも、王や王城を守れなかった無能者とも呼ばれている。
実際、近衛騎士団長として私は無能だった。王を死なせ、王城の多大なる破壊を止められなかった。その責任から団長を退位し、騎士団を退団した。爵位の返上は現王セレン様によって止められ、領地の一部の返上にとどまった。
現王――セレン殿下は、おそらく気付いている。美香の帰還の術がリードの手によって行われたことを――多かれ少なかれ気づいているだろう。
だが何も言わなかった。私にもリードにもそれについての処分を表向きにも裏でも言及せず、罰を下さなかった。
ただし、宝物庫にあった残りの到来者の物も翌朝にはなぜか焼失していた。美香の帰還の時でさえ、あの宝物庫そのものは出火していなかった。けれど、私たちが助け出された直後、なぜか火事が起こり、階下は燃えていないのに宝物庫のものだけは完全に焼かれていた。
キースについても、結果的には王城と王都を破壊した魔術師とは別の者であったということにされていた。キースは巻き込まれて死を迎え、キースのふりをした魔術師が王都、王城を破壊したという話しが流布していた。
よって、ソーネット家はキースの雇用者としてのお咎めはもちろんなく、逆に被害者として現王のセレン様より慰労があったくらいだ。
言葉にはしない――だが、リードも私も、おそらくディールも、到来者の証拠を隠蔽しているのだということはわかっていた。
そして、この到来者に関することについての隠蔽を最後に、セレン様の打ち出す政策は何についての情報も公開する姿勢へと大きく変わったのだった。
破壊された城を見学させるといったことをはじめ、今まで貴族内でうちうちに決めていたこと、機密事項なども機密の期限を設け、それを過ぎれば過程を民に文書にて知らせる方向を打ち出したのだ。
また、過去の王家の文献なども公開範囲は限定されているものの、申請すれば複写を読むことができるかたちとなった。歴史学者たちは大いに喜んだ。
もちろん騎士への教育の強化も然り、民への史資料の公開も然り。
現王セレン様は、彼の方法で、武力を使わず圧政をしかぬ形での和平の道を歩もうとしているのだろう。
この平和の形を独自に築きつつあるフレアにとって、四年前の「災いの夜」は大きな転換期だったともいえる。
そして、そこにいたアラン・ソーネット騎士団長は婚約者を亡くした被害者の面もあるが、王家をまもれなかった無能な者。このような人間とは関わらないのが得策だ。聖なる島の守護になるべく海を渡った私と、以後交友関係を断ってしまう人がでても当たり前だ。
けれど、ユージンやロイ、マーリやグールド、そして幾人かの修練生や元騎士たちは、こうして時折手紙や連絡のやりとりをしてくれるのだった。
返事をしたため、感謝の意で締めくくる。
机上の蝋燭を消し、寝床にうつる。
「……おやすみ、美香」
服ごしに首から下げるカードに手を当ててから、私は身を横たえた。
開けていた窓から空が見える。
今日も二つの月がのぼっている。
――美香は一つの月を眺めているのだろうか。
*****
翌朝、ユージンとロイは二日酔いになることもなく、朝から私の作った朝食をすべてたいらげた。
「アラン様の手料理を口にできるとは! 私は……私は…私も、料理のできる騎士になります!」
「この島来て一年目のときは塩抜きしていない干し肉を噛むのが朝食でどうしようかと思ったが、野草料理までできるようになるとはなぁ! 次に来るときの上達も楽しみにしているぞ!」
そんなことをいいながら、配送の船に便乗させてもらい、二人は本島へと帰って行った。
静かになった家。
書いた手紙も忘れず二人に託したし、ひとまず部屋の清掃をしてから、日課の島の見回りに出かけようと段取りを考えていたところに、リードの部屋のドアが一気に開いた。
「あぁ、おはよう、リード」
声をかけると、リードは「……おはようございます」と小さく答え、そのまま外の井戸のところへと言った。顔を洗っているような水音がする。
リードは研究のことで頭がいっぱいなのだろう。そっとしておこうと見回りの準備を始めようとしたところ、
「兄さん」
と戻って来たリードに呼び止められた。
「なんだ? 朝食か? パンは残っているんだが、他はつくりなおさないと……」
「朝食はいりません。それよりも、一緒に部屋に来てほしい」
「部屋?」
「……昨日運ばれてきたバラの花びらで、だいたいの区切りがつきました。これで、この島でこの数年取り組んできたことを兄さんに話すことができる」
「取り組んできたことって、魔力の流れの研究だろう?」
昨日、ロイとユージンに話していたのを私も聞いていた。
だがリードがほんの少しだけだが眉を寄せた。
「それはそうですが、それだけではありません――。兄さんの双剣の残った方を私がお預かりしているのを覚えていますか」
「あぁもちろん」
美香のバッグに双剣の右手側を入れた。左手側は、あの災いの夜から半年後、研究のために貸して欲しいと言われて預けている。
「あの双剣にも関わることです。今まで集めていただいたあの花びらの意味も話します」
リードが何かを頼むことは珍しい。そもそもほとんどこの家にいないのだ。
私は見回りの時間をずらすことにして、リードに向かって頷いた。
「わかった、話を聴く」
リードは私の答えに心なしか微笑んだ気がした。眼帯のない方の目が、ほんの少し細められたから。




