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89 母 5(ミカ)



 お母さん、驚いていたな……。

 

 私はフレアのことを話した。

 それこそ、空から落ちてきたことから、帰還の術が行われたであろう、私が記憶ののこるその時までの長い話。すっかり夜中になった。

 母は明日も仕事があるから、いそいで順番にお風呂に入り、先ほどおやすみとそれぞれの部屋にわかれた。


 ぼんやりとベッドの上で寝転んだまま天井を見上げて、先ほどの母の表情を思い出す。

 髪が三日で異様に伸びていること、他のこまごまとした変化――何か不思議なことが起こっていると覚悟はしてたとしても、さすがに異世界に行っていましたという話はすぐにはのみこめなかったようだった。話を聞いてくれている間、ずっと母の表情がくるくると変わっていた。


「……その国は、この地球上じゃないの?」

「月が二つ、浮かんでた」

「それは、この太陽系の地球上じゃないわね……」

 

 びっくりしたり目を大きくしたり、ぽかんと口をあけてたり、でも涙ぐんだり、怒った顔になったり。

 そして話の最後――私がおぼろげながらにしか記憶に残ってない「美香」と名を呼んでくれたアランの話をすると、もう母の目は真っ赤になって瞼が腫れていた。


「……お母さんは魔法や魔術なんて見たことがないし、映画みたいなことが起こっているのかと想像しても限界があるから、ほんとのところわかったとはいえないけど――……とにかく美香はものすごく苦労もしたし、でもそれを支えてくれるひとたちもいたってことね」


 ティッシュを鼻にあててすすりながら、母はそう言った。


「うん」

「入院するときに、いろいろ血液検査もされたけど、感染症とかにもかかってなかったし、その怪我以外は健やかに過ごすことができていたのね」


 現実的な確認を話す母は、さすが父を亡くして、親戚もいない中、母ひとりで私を育ててくれたことだけのことはある。しっかりしたところがあるから、娘が突然怪我だらけで戻ってきても対応してくれるのだと思う。

 ひとつひとつ私の変化に目を留めて、考えてくれたんだとわかる。

 その母に、大きな心配と面倒をかけたと思うと、あらためて申し訳ないと思った。


「美香は……そのフレアという国に戻りたいと思うの?」


 お風呂に入るまえに、ぽつんとそう尋ねられた。

 

「……フレアに戻る方法がないし……」

「もし方法が見つかったらの話よ」

「……どうかな、まだわからない」


 母にはうまく言えなかった。


 会いたい――だから、戻りたい。

 だけど、それって母を置いていくということだろうか。母を一人にするということだろうか。

 そう思うと、母を前に「戻りたい!」となんて言えなかったし、私自身もその一つだけの気持ちに絞れるわけじゃなかった。


「そう――……」


 母は私のほうをじっと見つめ、また目を伏せた。


「……好きな人と二度と会えなくなるのは苦しいね」


 母の言葉が胸にしみる。

 父と会えなくなった。母と会えなくなった。友達と会えなくなった。母と会えたら、アランやフレアの親しい人たちと会えなくなった。

 母もまた、幼い私を連れて伴侶をうしなって――……きっとたくさんのことを感じてきたんだろう。


「お風呂、ゆっくりつかってね」

「うん」


 左腕の傷もずいぶんともう治ってきている。傷痕だけは残して。

 

 フレアでは――もう何日、何年経っているんだろう――…… 


 たとえばもしここでの時間の流れとフレアでの時間の流れが違うからズレが起こったんだとすれば、三日で一年半だったら、一か月で十五年くらい? じゃあ、もう帰還の術から二か月ほど経つ今、三十年経ってるのかな。

 そしたら、アランは……60歳前後?

 そんなことを考えて苦笑した。


 金髪の――かっこいいおじさまになってそうだなぁ……。


 60歳でも会いたい――?

 自問自答して――……

 会いたいよ、って答える自分がいて。

 ため息が出た。


 

 *****



 母に話した日から、私は少しずつ大学への通学も挑戦するようになった。

 最初はいろんなことを思い出すのに時間がかかったけれど、まわりは事故のせいでちょっとした記憶喪失になっているように受け取ってくれて、なんとか少しずつ人との関係も結べるようになった。


 学食でおしゃべりしたり。

 帰りにカフェに寄ったり。

 一人で図書館に寄ることもあった。

 たくさんの本を借りて、やっぱり、いつも魔術関係の本を手にとってしまった。


 ときどきぼんやりして外を眺めて、梅雨のしとしとふる雨に潤う紫陽花の花をみながら、フレアでは紫陽花はみかけなかったなぁなんて思ったり。

 レモンスカッシュを飲んで、クオレを思い出したり。

 そしてカレンダーをめくって、移ろう時間に、フレアでも時間が経っていると考えるとしたら――そしたら……と先を考えて苦しくなったりした。



 そうして梅雨が明けた。

 大学も夏休みに入る。

 スケジュール帳に予定を書き込みながら、この日本に戻ってきてやく三か月になると思って、気持ちがしずんだ。


 二か月で、60歳。

 三か月で……75歳?


 ……フレア国では、なかなか難しい年齢。


 ――……アランは生きてる?

 ――……やっぱり、もう会えない?


「美香、夏休み、グループで遊びにいこうよ。 よかったらいい奴いるんだけど、紹介するよ?」

「あ……うん……。……ごめん、まだ、やめておこうかな……」


 大学の友達に誘われることも出てきた。

 怪我のことや事故のことも深く詮索するでもなく、気持ちよくつきあってくれる友達に感謝してる。        

 でも、彼氏とかを作る話しになると、どうしても深入りできなくて、男性が関わる誘いには関わらない自分がいた。

 

 過去になにかあったと察して追求せずにはいてくれる。

 でも同時に、やはり、何も知らない周囲から見れば、私の気持ちは「過去になにかあった」という過去の出来事にとらわれてる人なんだって突きつけられることでもあった。



「……まだ過去じゃないんだけどな……」 


 夏休みになってしまうと、独りでぼんやりすることも多くなった。

 天井から、今度は自分の机の上の布で巻いた塊に目をうつす。

 前に母にすべてを話した日、受け取った双剣の片方がそこにある。

 気軽に持っていていいものじゃないだろうけれど、あなたの大切な人のものだからと布で巻いて私に返してくれたのだ。

 信じてくれたんだな……と思う。私の話も、私自身のことも。

 あれからずっと母は、私の心に寄り添ってくれた。

 ふいに私がフレアの思い出話をしても嫌な顔をせずつきあってくれたり、クオレの話をしたからか、レモンのキャンディーを買ってきてくれたり。

 私の表情をよみとってから、


「……会いたいんだね」


 と心に寄り添ってくれたり、だとか。

 

 ――うん、そうだね、会いたい。たとえ、60歳、70歳になっていたとしても。


 私は起き上がってその剣の包みを手にとってみた。

 ずっしりと重い。

 そおっと布をはずしてみる。

 部屋の電灯に照らされて美しく輝く鞘。双剣のどちらの手で持つ用なのか私にはよくわからない。そもそもこれを片手で持ってあんなに軽々と扱えたんだと思うと、アランの腕力ってすごかったんだなぁと改めて思う。

 でも出来るのは、いつもここまでだった。眺めていると、切なくて会いたくて、辛くなってきて、私はまた布を巻いてしまってしまうのだった。

 

 なのに、今日は違った。

 昼間、今日で約三か月――もうアランがもしかしたら……フレアにすら……いない年齢かもと思ったことが大きかった。

 

 そっと右手で柄を持ち、左手に鞘をもってみた。

 アランはホルダーに入れていて、服に手をいれたらスッと取り出していたことを思い出す。

 そんなこと、本当によくできたなぁ、考えてみたら服や肌を切っちゃいそうだよね、そんなことを考えながら。

 気をつけながら、カーブにそうようにして、私は剣を鞘から抜いてみた。

 電灯に煌めく刀身。


 ――……あぁ、アランの剣だ……


 きらめきの美しさ。

 この刃が陽光に照らされて、バリーと戦ってくれたあの一瞬を思い出す。バリーは髪を切られちゃったけど……。

 手をつなぐのにすごくこだわったアランだったなぁ……。

 そんなことを思って、刃をじっと見つめたときだった。


「あれ?」


 煌めく刀身、その磨かれた刃に、何かが映る。

 最初はぼやっと。

 それからゆらゆらと何かが浮かびあがりはじめた。

 ゆらゆらと映る何か――……。

 最初は電灯に照らされた私が、刃の部分が鏡になって映ってるのかと思った。


 だけど――……


 その揺らめいていた像がだんだんとはっきりかたまってゆく。……黒い服……片目を黒い眼帯……刃の輝きに溶け込むよな白銀の髪。


「リード……」


 思わず、その姿に呟いた。


 ――その瞬間だった。




 ブワッッッッッッッッッ



「なっ……」



 やわらかな何かが突然剣から風と共に舞い上がってきて、思わず目をつぶった。

 剣を握る手に力を入れて、その風の勢いに負けないように踏ん張る。

 

 ブワブワブワッーー…… 


 風はすぐさま止み、私はおそるおそる目を開いた。

 ちょうどその時、


「美香? 今、何か声と物音がしたけど……」


 母がノックと共にドアを開けたのと重なった。


「え……」

「あ……」


 母も。

 そして私も。

 目の前の光景に呆然と立ち尽くす。


 ピンク……赤、白、黄色……色とりどりの花びら。

 まるで結婚式のフラワーシャワーのように。

 部屋に花びらが降り積もっていたのだ。


 私の部屋がバラの香りに包まれ――そして色とりどりのバラの花びらの絨毯がしきつめられたようになっていた。



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