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87 母 3(ミカ)



 ほんの少しのきっかけで、気持ちの向きが変わるということはあると思う。

 私は、母との会話だった。


 



 それは、大学の事務室により、母と復学に当たっての手続きの話しを聞き、その後図書館に寄ったときのこと。


 復学なんてピンとこなくて、大学もひさびさで懐かしいでしょうと母に言われても、懐かしいというより遠い記憶で、ここに「戻る」という感じがなくて、私は困っていた。

 だから逃げるようにして図書館によった。

 母とはまた貸出ロビーで落ち合う約束をして、本棚に向かう。

 

 いつのまにか検索機で調べてしまう用語は魔術だとか魔力だとかの言葉。

 引っかかって検索結果に出てくるのはどうしても小説が多い。

 だけどそれだけじゃなくて、実際魔術ができるのかどうかの検証だとか、いろんな本があることがわかった。

 私はそれらの棚を探し、またそこから引用文献を探るっていうことを繰り返していた。


 母との待ち合わせの時間がせまっていることに気づき、いくつか本を抱え、ロビーまで降りてきた。

 そこで自分が図書のカードを持っていないことに気づいた。


「あら、カードは家かしらね。……じゃあ、その本はお母さんが借りようか」


 ロビーに居合わせた母はそう言って私が借りるつもりで持っていた本を手に取った。

 本のタイトルをみて母がちょっと眉を顰める。


「魔術読本――……? 神隠し研究……。ファンタジックな本を読むのね……」

「え……あ、うん……」

「まぁ……わかった、かりてくるね。玄関ホールで待ってて」


 魔力とか魔術とか――なにかどこかできっかけがないかって、無いとわかっていても、目がいってしまう。

 結局選んでいたのはそんな魔術だとか、海外の不思議な現象を集めたドキュメンタリーだとか、神隠しだとかの本ばかりだった。

 たしかに眉をひそめるのはわかる気がして、しまったなと思いながら、私はもういちど財布やポーチの中を探った。


 ――図書館カードを最後に見たのって……。


 そういえば、宝物庫でトートバッグにつめたときに、図書館カードも入れた気がする。

 プラスチックの硬質な感触が妙に懐かしかった。

 ということは、あのトートバッグに入っていたということだろうか。でもお母さんが出してくれたものにはなかったし……。


 私のかわりに貸し出し手続きをしてくれた母が戻ってきたので、「ありがとう」と手を振ったあと、何気なくたずねた。


「お母さん」

「なあに?」

「あの落ちてきたときのトードバッグの中身、前にだしてくれたけど、他にも何かなかった?」


 本当に何気ない質問だったのだ。

 けれど、聞かれた母は、一瞬で明らかに異様な雰囲気を放ち、バッとこっちを向いた。


「……何かって!?」


 震えたような低い声、真剣にたずねてくる眼差しに私はうろたえた。


「え……あの、カードとか」

「カード……?」

「図書館カード」

「あ、あぁ」


 突如、また母の雰囲気がふわりといつもの感じに戻った。


「図書館カードはなかったわ」


 母はそうするりと答えた。そして私が次の言葉を口にするまえに、


「本、重いでしょ、左腕痛いでしょう。お母さんが持つわ」


と言った。あわてて私は母の鞄に手をのばす。


「いいよ、持てるよ」

「遠慮しないの。お母さんができることなんてこれくらいなんだから」


 母はそう言って私の本を入れたバッグを肩にかけたままスタスタと歩きだしてしまった。


 その時、違和感がうまれたのだ。



 ―――『図書館カードはなかったわ』


 別に母の言葉はおかしくなかった。

 ただ私の中でふと疑問が生まれた。

 図書館カードはなかったとしても、他のものはあったとしたら――? 

 何かフレアに関する手がかりはないだろうか?


 母が何かを隠す理由はないと思う。そもそもトートバッグに入るもので、母がわざわざ隠すものが思いつかない。

 ただ母がきづかなくとも――何か、何か残っていないか――……。

 

 自分がここに――「フレアから日本に戻ってきた」――という証を探してみるということ。

 フレアの記憶が本当かどうか怯えるんじゃなくて――一度、本当にあったとして、フレアから私がここに戻ってきたんだという前提にしてみて、物事をみてみたらどうなるかということ。

 フレアで傷をうけて魔術で戻ってきたとしたら――そういう目でみたら、なにか手がかりがあるかもしれない。

 一度、自分の記憶を、からだの感覚を信じてみようと思ったのだ。


 


 思い立った私は、はじめ怪我をして倒れていたという庭の周辺を探した。

 何か落ちていないか――。

 救急車で運ばれたときの服装は私はふつうの日本の服だったと聞いている。血だらけですでに処分されているけれど。

 でも、じゃあ元に来ていたドレスは? たとえば何かリボンの切れ端でも……。

 たくさん探したけれど見つからなかった。


 次は、母がのこしてくれていたトートバッグや本、携帯電話を丁寧に見ていく。

 ページに何かはさまってないかって、なにかメッセージがないかって、一ページ一ページめくっていく。

 ポーチの中身も確認しなおした。 


 「フレアでの記憶は夢だったかもしれない」と怯えていたけれど、たしかに夢かもしれないけれど、逆に「あった」としたら、どういうことが起こったって考えられるだろう?と思うことにしてみた。

 あのバレシュ伯の魔力が靄になって、アランが剣を刺してリードが術をかけて――光を放って。

 その後私の記憶は途切れている。

 でも私がここにいるんだから、帰還の術をおこなったのはたしかだと思う。


 アランは光の爆発の中で。私は「アラン!」って叫んでた――……。

 そして、最後にアランも「美香」って呼んでくれた、その声が聞こえたように思う。


 苦しいけれど、一つ一つ自分の記憶を思い出してみる。

 入院中、怖くて、自分が信じられなくて、思い返さないようにしてしまっていたこと。

 もう忘れてしまったこともあるけれど、ひとつひとつ思い出してみよう――……


  

 トートバッグを撫でながら、ポーチを眺めながら、あの宝物庫の出来事を思い返してみると、一つ希望がみえた気がした。

 帰還の術を行ったのはリードだろうけれど、アランが生きていたから――あの靄を倒して、剣もアランも無事だったから帰還の術が行えたんじゃないのかってことに気づいた。

 最後に聞こえた「美香」っていう声は幻聴じゃなくて、私に向けられた声だとすれば、アランは元気なのかもしれない。

 

 帰還の術を行えたのは、団長の剣があったからだとすれば、あの靄の光の爆発でもアランも剣も無事だった――だから帰還の術を行ってくれたんだとすれば……アランは無事だということだ。


 もしアランが生きていてくれるなら――……それは、すごく嬉しい。本当にうれしい。

 

 もし私が単に狂ってて、幻想の中にあるフレアを妄想の中の人物を生きてるだとか生きてないとかだとかで一喜一憂してるのだとしても――それでも、私は嬉しい。

 世界のみんなが私をおかしいと思ったとしても、私は、アランが生きていることの方が嬉しい。

 

 そう思ったら、もしかしたら――……もしかしたら、だけど。

 アランとリードもまた、怪我をした私を生かすために帰還の術を行ったんじゃないかって思えた。すくなくともあの場所より安全だとか医療が進んでるとか――何かの理由で。日本に帰そうとしたのかもって。

 私を生かそうと思ってくれたかもしれない。

 そう思うと、生きていこうと思える気がした。

 

 

 すこしずつ魔術の本や神隠しだとかの本も読み進めた。

 異世界に移動するわけじゃないし、そもそもフレアという国の情報もない。

 だけど、自分の記憶が本当にあったことだと自分自身だけでも認めてあげられると、自分にとっての一年半が無駄にならない気がした。


 その後、また通院の日が来た。

 母はまた仕事を午前休をして付き添ってくれた。


 医師は、腕の傷痕は自然には消えないだろうということを話してくれた。怪我としては治っているけれど、傷痕を綺麗にしていくという治療だと、また別の方法を考えていく必要があるという。

 若いし、外見的なことを考えて、もし傷痕をすこしでも小さくしたいと考えるならば、形成外科への紹介状を用意するという話しもしてくれた。

 でも私は即座に断った。

 母が隣で渋い顔をしたのがわかったけれど。


「この傷はあったほうがいいんです」


 私がそう言うと、ちょっと医師は困った顔をした。


「なにか、ここに運ばれたときのこと思い出したのかい?」

「……いいえ、先生。ベランダから落ちたことだけです」


 私が言うと、医師は「意志が強いね」と苦笑いした。





 待合の廊下で母が私の顔をのぞきこんだ。


「……本当に形成外科はいいの? お金の心配なら……」

「ううん、本当に、私はこの傷が大事だと思うからそう言ってるだけ。日常生活にあまり支障ないし」

「でも……この先、例えば恋人とかできたら……」


 母がそう言って私を見た。

 

 ――恋人。


 恋人かぁ……。

 私はふと青碧の瞳を思い出す。

 もし彼が私の傷を見ても、もちろん痛ましげに心配はするだろうけれど、傷そのものも受け入れてくれる気がした。

 

「……お母さん、私ね、結婚したい人いるの」

「け、けっこん!?」

「うん、でもその人は、この怪我の傷とかでいろいろ言うひとじゃないし――……実際、もう会えないし……」

「どういうことなの」

「うん、だからお母さんが心配するようなことないってこと」


 私がそう言うと、母は泣きそうな顔をした。


「美香……」

「お母さん、ごめんなさい、いっぱい心配かけてるのわかってるの。でも、言葉にできないことなの……。だけど、大丈夫。傷痕はあるけれど、私は生きているでしょう? 同じように私の心も、言葉にできないぽっかりした穴があるんだけど、でもちゃんと生きていけるの、お母さんとかお医者さんとかいろんな人に生かされたし――たぶん、ここにいるのは、生きて欲しいと願ってくれた人がいるから、だから助かったから――……」


 私は母に安心して欲しくて精一杯の笑顔を浮かべて母を見た。


「私、たくさんの人に大事にされてきたよ。お母さん含めて。私の命、望んでくれてありがとう」


 母がぽろりと一粒の涙をこぼした。


 頬を伝っていく滴。

 母の唇がわなわなと震えていた。

 母はそのまま俯く。

 ハンカチを渡そうと差し出すと、それを受け取ったものの母はハンカチを握りしめたまま、震えていた。

 しばらくすると、母は目元を拭き顔を上げた。


「ごめん、待たせたね。……会計番号が表示されたわ。支払って……帰りましょう。美香にね、見せたいものがあるし、聞きたいことがあるの」



 母の目が毅然としていた。

 それは、父を亡くした後、一筋の涙を頬に伝わせたあとしばし私を抱きしめて立ち上がったときの、凛々しい横顔を思い出させた。 


  

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