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83 くちづけ 4(ミカ)

 

 突然の床の爆発。

 リードが手のひらを宙に向けて何か言葉を発した。

 ふわりとミントの香りが漂い、その瞬間、私を抱えるアランとリードの周りになにか透明な膜のような張られた。


「結界を張りました、だが強い魔力の塊があるのは近くにわかるが、動きを隠されてしまっている」


 リードの声が聞こえるけれど、私は胸をぐっと締め付けられるような力に目を開けていられなくなってただただ両手で胸元をおさえる。


「……た、ぶん……バレシュ伯の……」


 言いかけた時、私たちの右側が空気がビィィィィンと鳴った気がした。


「み、みぎ……」


と口にした途端、ドォォォンと右側の壁が割れて落ちてゆく。

 結界のおかげで音だけで済むものの、リードが張ってくれた膜が衝撃のせいかゆらゆらと揺らめいたのがわかった。

 アランが私を片腕で抱きしめながら、言った。


「どこから攻撃しているんだ……。姿が見えない……」


 その呟きに私も胸を押さえながら周りをみようとするけれど、何も人かげはない。

 ……そもそもキースは死んだはずなのに……生きているというの?

 そんな疑問を抱えたとき、リードが荒れ果てた床に手指で何かを描くようにしながら言った。


「……肉体はすでに失われているのかもしれません」

「どういうことだ?」

「キースは死んだのでしょう? 火も放たれた。肉体は失われたと考えた方が妥当です」

「じゃあ、この攻撃は……」

 

 言いかけたとき、また強い強い胸の痛みが襲う。アランの腕にすがった。

 

「キースに流されたバレシュ伯が魔術を込めた膨大な魔力――それが、キースの身体を失って、さまよっているのかもしれません」


 リードが両手を大きく回した。銀の髪がふわりと揺れる。


「ここか――っっ!!」


 リードが前方に手をかざした瞬間、私の胸の痛みを最高潮に達した。目がちかちかする中で、アランが私を胸でかばおうと全身で包み込む。


 爆風が襲う。アランの腕の隙間から見えるのは、リードの背。

 けれど、私の身体が全身で警告のように震えた。頭の上で鳴り響く―――ちがう、リードが向いている方じゃない、違う違う違う―――


「アランっ、リード、上ーーーつ!!!!!」


 叫んだ刹那。

 リードとアランが上方を警戒するように睨みあげた。


「どこだ――見分ける方法はないのか……」


 呟きが聞こえ、私も必死にアランの腕から見あげた。

 ゆるやかなアーチの柱と星空の天井画が描かれた美しい宝物庫。

 その天井にもやもやとした部分を見つける。

 その瞬間、目が合った。

 もやもやの中にぎょろりと目だけがあった。


「あ、ぁっ……」

「美香!?」

  

 恐怖で一気に身体が強張る。

 視線をそらせられないでいると、気持ちの悪い血走った目は――瞳は、黒くはないことに気づく。

 灰色の瞳――キースじゃない!

 アランとリードにはあの瞳は見えないみたいだった。

 私はアランの肩ぐちに顔を寄せた。


「アラン、リード……あの天井の隅に……目が、あるの……」

「目!?」

「もやもやの中に……ぎょろりとした目玉が浮かび上がってるっ」


 でも、そう言った瞬間、目玉を宙にうかばせた靄が消える。


「え、消えた――あ、左!」


 次は私たちの左上にブワッと現れた途端、爆風がこちらに向かう。リードが何か指をうごかし、結界らしい膜がぐっとガラスのように固定した。バンバンバンっと壁を叩くような音だけが聞こえる。

 リードは私たちの近くに片膝をついた。そしてアランの顔の近くで囁いた。


「騎士団長の剣で、ミカのいう靄を仕留めることができますか」

「結果はわからないが、やるまでだ」

「バレシュ伯の魔力の靄は、魔術のかたまりのせいで転移をし続けています。その転移を止める魔術がかけられた団長の剣で動きを止めることができれば、私がそれを封じ込めて霧散させることできるかもしれない。……ミカ、アラン団長に靄の場所を伝えてください」

「わかった」

 

 私が頷くと、リードは私とアランのことを交互にみた。


「アラン団長、剣で刺し貫いたらミカと必ず退避してください。私が攻撃態勢にはいります」


 私とアランは頷いた。

 左にいたはずの目玉の靄はもうない。

 どこ――胸は苦しいから、近くにいるはず――……。

 ビィィィィンッと音がした。背中側がぐっと熱くなる。


「うしろっ!」


 振り返った右後ろの空間がぐにゃりと歪む。私は目玉を指さした。


「ここよっ!」


 ぎょろりとした灰色の濁った眼玉と視線が合う。

 ――そらすもんかっ!!

 そう思った瞬間、アランはすでに跳躍していた。

 月光にきらめく長剣が私の指さす方向に的確に振り下ろされる。


 私の目の前で靄の目玉に剣がささる。

 

「靄に刺さったっ!」


 私の叫びとともにアランは後退し、私の肩をかき抱いてリードの後方に素早く移動した。

 リードは跪いて祈るようにして何かを唱えはじめる。私とアランが背後に回ったとたん、一気に両手を広げて勢いよく靄の方へと突き出した。

 突風が巻き起こり、靄の周りに竜巻のような風の渦が生まれる。

 風にまるで締め付けられるかのように、靄がぐにゃりぐにゃりとうごめく。靄に浮かび出ている二つの目玉が血走り、ぎょろぎょろと動く。

 

 同時に、ギィィィンンと弦をはじくような音がそこらかしこから鳴り始めた。

 鼓膜に響く不快な音に手で耳をふさいだ。


『……おぉ、のぉ……れ………』


 耳をふさいでも脳内に響くかのように声が聞こえる。

 アランとリードもその声に反応して、竜巻のような風がおこる方を見つめた。


『………二度も……うぉぉぉぉ』


 しわがれた声が呻きをあげる。リードの手が動き、風で靄を締め付けたようだった。

 リードが立ち上がった。


「バレシュ伯よ……貴方はもう死んでいるのです」

『死……死……! 笑わせるものじゃ。はっ……おまえも……魔力の……匂い……あふれ…て…おるではないか……。む……かし……の儂のよう……じゃ……』

「……」

『……おまえも……儂の……ように……な……る……』


 バレシュ伯のしわがれた声が誘うようにねっとりとした湿り気をおびた気がした。

 ぐつぐつふにゃりと靄が広がる。

 リードはさらなる力を込めるようにして、手のひらを靄にかざした。 


『……ぐぅぅ……儂を封じようとするか……じゃ、が……おまえも……それだけの魔力をもっておれば……見るも聞くも歩くもすべて魔術で済むのに……身体など不要ではないかと思っておるだろう……』


 靄から響く声がそう言ったとたん、びくりとリードの腕が揺れるのがわかった。

 リードの動揺が伝わるように、靄をしばりつけるような竜巻の風が一瞬弱まる。

 その瞬間を見計らっていたかのように、バレシュ伯の魔力の靄がまたボワリとかさを黒々と戻す。


『……おまえも……いずれ……儂のように……なる……肉体……から離れる欲……我らを認めず……疎外するこの世に復讐する欲……』


 そう靄が語り始めたとき、私の中でカッと熱くなる気持ちがあった。

 ――リードはすでに自分の身体と魔力の兼ね合いをずっと悩んで生きているのに! コントロールできない前提で、自分と重ね合わせるようにして語られるのが、ものすごく苛立った。

 バレシュ伯なんて知らない。

 だけど! 


「リードはあなたのようにはならないっ!」


 私は、大きく鋭い声を上げていた。

 ぴたりとリードの身体が固まったように動きを止めるのがわかった。


「あなたもリードも魔力溢れ、才能豊かで、共通点はあったとしても! リードの魔力は膨大であったとしても、たとえ魔力が人生に多大な影響を与えたとしてもっ! リードの人生の中心となっているのは”魔力”じゃないっ! リードは魔力に振り回されない!! リードは、人を大事にすることを知っているもの!!」


 私が言い返したとき、わずかに私を振り返った。

 髪がさらりとかかり、私からはリードの顔は見えなかった。すぐにリードはまた前方の靄を向き、大きく両腕をゆったりとまわした。

 月に照らされた白銀の髪がぼわりと宙に浮き、ミントの香りがフッと強く香りはじめる。


「バレシュ伯、あなたは哀れだ」

『な、に……』

「……キースを大切にすればよかったのに。キースはあなたのことをとても信頼していたのに」

 

 リードの声がしんと響いた。

 リードが再び回した手を一気に靄の方に突き出す。

 瞬間、指さきから何か光の筋が一気に靄の方に飛び出す。それはシュンシュンと靄に突き刺さった。靄であるのに、なにか実体があるかのよう。

 幾つもの光の針に刺され、まるで待ち針をたくさん刺されたピンクッションのようになってしまった。


 そして、針を受けた靄は、次にぐつぐつとまるで沸騰しているみたいに泡立ちはじめた。

 さらにまるで生き物が苦しみもがくように動きはじめる。靄の目玉がぎょろりぎょろりとしながら、タラりと靄から垂れ始める。

 同時に、その動きによって、アランが刺し貫いていた剣がぐらぐらとしはじめた


「剣がっ……靄からはずれそうっ」


 私が叫んだときには、私の隣から飛び出し、アランが剣の柄に飛びついていた。

 アランはぐっと両手で柄を握り、靄の中に剣を固定したまま踏ん張るようにして姿勢をかためた。

 剣に刺し貫かれた靄は明らかにぐつぐつぐつと煮えたぎるように光を放ち、バチバチといいはじめた――まるではじける前のように。


「――兄さんっ! まずいっ……離れて――っ」

 

 アランが険しい表情をしたまま、靄を固定するよう柄を握りこんだまま振り返った。

 

「リード、美香っ……逃げろ」

「兄さんっ……」

「アラン――っ」


 叫んだ中で、バレシュ伯の魔力の塊の靄が―――四方八方に光を放ち、はじけた。

 同時にグラグラグラッと大きく揺れ動く。


 アランははじけ飛ぶ光の中でさえ――……剣の柄を離さなかった。見習い寮で私の手をずっと握っていたときのように。馬鹿みたいに――もの凄い爆風と発光の中でもただただ一心に柄を両手で握っている。

 弾けた靄はまるで一つ一つが攻撃の礫のようだった。

 飛び散るそれらが、彼の腕、身体に傷を作っていく。その度に血飛沫があがる。

 飛び散った破片のひとつひとつさえも強く強く発光していく。光の渦になり、明るすぎて彼の姿が見えなくなる。


「アラン――っっ」


 絶叫を上げてアランの方に走りだそうとした。

 けれど。

 はじけ飛んだ靄がまるで爆弾のようにバチバチバチをはじけはじめると、剥がれ落ちる天井のタイル、倒れてくる石柱――……

 

 ドゴッ

 バラバラバラッ


 何かが――私の肩に強く当たった。続いて、頭も背中も腕も―――……何か硬いものがドンドン打たれてゆく。

 

「ミカーーっ……」


 リードの声がした。

 アランの方にかけよりたい。

 それなのに――光が見えなくなってゆく。

 身体から力がするすると抜けていく。 


 アラン――――……生きてて――……



「美香―――っっっ」



 最後に、アランが私を呼ぶ声がしたように思った。  

 そのまま、すべてが真っ暗になった。






 

 

 

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