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80 くちづけ 1(ミカ)

ミカ視点になります


 懐かしい日本語の文字、衣服。

 自分がかつて身に着けていた服や持ち物に、おそるおそる手を伸ばした。


 化繊をふくんだ布の感触。

 プラスチックのボタン。

 金具でできたホック。

 トートバッグの持ち手のミシンの縫製。

 図書館カードのプラスチックの硬さ。

 携帯電話のつるりとした感触。


 フレアにないもの。日本ではあたりまえにあったもの。

 でも、ここではずっと見なかった触ることができなかったものに触れて、手が小刻みに震えた。

 

 ――わたしの、もの。


 ぎゅぅと抱きしめた。

 


 そのとき。


「美香?」


 カーテンの仕切りの向こうで声がした。

 アランの声だ。無事だったんだ!

 駆け出そうとした瞬間、自分が抱きしめている「日本のもの」に気づく。一瞬迷ったものの、トートバッグに詰め込んで肩にかけた。

 それから仕切りをくぐって声をあげた。


「アラン! 怪我はっ!?」


 発光する棚のおかげで、アランの姿が見える。

 駆け出そうとすると、アランが手で制止して、彼の方がものすごいスピードで部屋の奥の私の位置まで走って来た。


「扉には近づかないで」

「どうしたの?」

「私に怪我はありませんが……扉に火がはなたれました」

「え? でも何も……」


 私が仕切りから顔をのぞかせて扉の方をみたものの、火も煙もみえないし焦げ臭くもない。

 すると私の疑問が伝わったのか、アランは扉をじっと見つめて口を開いた。


「結界があるおかげで、火も煙も熱も止められているのです。扉が燃え尽きた瞬間、結界はやぶれ、火が押し寄せてきます」


 アランの説明に、この部屋に入って扉がしまった途端外部の衝撃音が聞こえなくなったのを思い出した。


「出入口はあの扉しかないの? 隠し扉とか……」

「いいえ、あの扉のみです」

「そんな! そんなこと。キースが? キースが火をはなったの?」

  

 たずねると、アランは首を横にふった。


「彼ではありません。キースは……死を迎えました」

「――っ」

「戦いの最中……私の刃によって彼は致命傷を負いました。その際、以前のキースの意識に戻ったようで……バレシュ伯の意識を魔力ごと抱えようとして……最後は刃を自分に向けました」

「そ、んな……」

「あの火は……そのキースの亡骸もまとめて燃やすためもあるのでしょう」


 アランが苦しそうに言った。


 キースが……死んだ……。

 その衝撃に、言葉がでてこない。 

 ただ火をはなったのはキースではないなら……別の人が放ったということ。死を望まれているということ。

 

 アランがぎゅっと私を抱きしめた。

 彼の身体の熱さを感じる。

 胸に顔を押し当ててみると心臓の打つ音が聞こえる。

 アランは生きてる。いま、ここに生きてる。


 そうして心音を聞いていて、ふと彼が騎士服の上着を着ていないことに気づいた。

 腕の中で顔をあげると、彼のブラウスの片袖もない。のこった部分もこまかにやぶれ、傷ついている。

 ソーネット家でできた額の傷だけでなく、いろんなところが細かな傷を負っていた。

 戦ってくれたんだ。

 私を守ろうとしてくれたんだ。


「ありがとう、アラン。守ってくれて」

「……守れていません」

「ううん、こうして来てくれた。今もそばにいてくれる」


 私もアランの背に腕を回す。彼のあたたかさが伝わってくる。


「……ね、アラン、ここの周りにある棚、見て?」


 声をかけると、衣擦れの音がしてアランがぐるりと顔を回りに向けたのがわかった。

 

「これは……」


 驚きを含んだ声をあげる。

 アランも見たことがないもの、見たことがない文字や模様やモノたちなのだろう。

 そのままアランは呆然とした雰囲気で周囲の棚にあるものを見ていた。


「アランも想像つくと思うけど……たぶん、いままでフレアに異世界から来たひとたちのものだと思う」

「到来者の……」

「うん。到来者ってね、私だけじゃなかった、キースだけじゃなかったんだよ。そして、フレア国はそれを知っていて、到来者だとわかっている人は監視したり、こちらに来たときに持っていた物や身に着けていたものを奪い、こうして残してきた」


 ぎゅうっとアランのことを抱きしめた。


「バラって花あるでしょ? あれもね、たぶん、私が元いた世界のバラを育てていた人がフレアに来てしまって育て始めたのがきっかけでフレアで広がったんだって。何年も何十年ももっと前に」

「バラが?」

「うん。変だと思ってたの。どうして私が元いた世界、しかも”日本”と同じ名前なんだろって……。キースの話だとね、フレア国はガタールのせいにしてるけど、実はフレア国自身が数百年前に聖晶石を乱獲して、それを魔術で大量消費してしまったんだって。つまり聖晶石の魔力がフレアで一気に消えたってこと。その消失部分を埋めようとして、異世界の人間がこの世界に引きずり込まれてしまうってバレシュ伯はキースに語ってたんだって」


 アランが私の身体に回す腕に力を込めた。


「つまり、ミカが落ちてきた一斉浄化の魔術の失敗のときのような魔力の大規模な消費がずっと前からあって、過去にも何人も異世界から来た人がいたと……」

「うん……バレシュ伯の研究ではそうだって」

「その到来者のものが王城の中枢部の宝物庫に保管されたこれらのものなんですね……。ここは王の許可がなければ、通常、絶対に入れない場所です。今夜は警備がいませんでしたが、そんなことは普段ありえない……王族の人が人払いしない限りは……」

「王の宝物庫だものね。……そして、今、そこに火が放たれた」


 私はアランの胸にこつんと額をあてた。ぎゅっと彼の背中のブラウスを掴む。


「……火、放ったのって、王様なんでしょう?」


 アランが息をのんだ。それだけで、予想が当たってることがわかった。

 私の死を望む人――薄々そうなんじゃないかと思ってたけれど。

 この国のトップの人が、さきほどの夜会でセレン殿下が持ってきた書状にアランとの婚約を許可すると言ってきていた人が――今は私の死を望んでる。


 ――なんてここは危うい世界なんだろう。


「王様に死を望まれちゃったんだね、私。夜会までは、この騒ぎまでは、アランの婚約者として認め監視するつもりだったけど……。騒ぎの中で違う方針になったということか」

「美香……」

「私、王様になんて会ったこともないのになぁ……」


 笑いがこみあげてきた。


 ――フレア王。


 会ったこともない。

 聖殿の魔術師やらセレン殿下やらを使って、指示して動かして、監視させているのに。こうして人がいる部屋に火を放つ。

 会ったこともないけど、会いたいとも思わない。

 

 だけど。

 アランまでここにいるのは――……。


「ごめんね」


 口からするりと出た。


「美香?」


 アランは、なぜ私が謝るのかわからないって声音で、上体を少し折り曲げ私の顔をのぞきこんできた。その眼差しから、本心からアランは私があやまる理由がわからないようだった。


「……王にもセレン殿下にも認められた騎士だったのに……私のせいでこんなことになっちゃったね」


 私の言葉にアランは目を見張った。


「美香のせい? そんなことは微塵も思っていないっ! あなたはフレアを何も攻撃していない、なのにいろんな責め苦をおっている。責め苦を負わせてくるのは、フレアだ」


 アランは私をかき抱くようにして腕の中に閉じ込め、私の肩に顔を伏せた。


「……そして、何より美香をこうして助けられずにいるのは、私が愚かだからだ……」


 嘆くような声が私の肩に響く。

 私は彼の金色に輝く艶やかな髪にそっと手を置いた。髪を指で梳く。

 ずいぶん年上で社会的にはしっかりしているはずのアランなのに、ふだんは強くてかっこいい人と感じてるはずなのに、こうして髪を撫でていると、なんだかとても可愛い人に思えた。

 そういえば、くやしいと唇を知らぬまに噛んでしまったりだとか、小さなところで大人になりきれてない人だったなぁとぼんやり思い出す。

 手をつなぐ約束を守ろうとし続けて、変な言動になったり。

 私と話す時間を作ろうとして、城下中のいたるところのお菓子屋さんに出没するようになったり。


 ……近衛騎士団長として帯剣して多くの部下の人たちを従えているときは、勇壮で美丈夫で真面目で剣の技術の高い人なんだろうけれど。

 それも、偽りじゃないけど。

 それだけじゃないんだよね……。不器用で要領わるくて一途すぎて……可愛い人。


 アランの頭ごし、私たちの周りにそびえる棚に並ぶ、”元の世界から来たであろう物”に目をやる。

 そして、アランをさらにぎゅっと抱きしめる。


 元の世界にはこの人はいなかった。

 ここに来ないと、出会えなかった人なんだな――……。


 目をつぶる。

 アランと見た夕暮れの丘。アランのご家族の墓地。一緒に馬で抜けた林や森。歩いた城下。食べたクオレの飴。海風を強く感じた、あの青碧の海を見下ろす岸壁。

 フレア国の風景、そこにいたアランの姿、注がれたアランからの眼差し――……。


 ここに来たから、出会えた。


「アラン……私、フレアに来てよかったって、今は思えるよ」


 アランの頬まで手をすべらし、両手で彼の顔をそっとはさんだ。彼の顔が、綺麗に整っている顔がくしゃりと歪む。


「もう、泣かないでよ」


 私が笑っていうと、アランは拒むように首を横に振ろうとする。そして嘆くように口を開いた。


「……美香、美香っ! 何か、なにか、あなただけでもここから助け出す方法を……」


 そういう彼の頬をぎゅっと手ではさみこんで、こちらを向かせる。

 

「聞いて、アラン。大事なことだから」

「……大事なこと」

「うん、そう。アラン、私は、ここに来てよかったって思えるようになったの。アランに会えたからだよ」


 私の言葉にアランは目を見開いた。

 じっとその青碧の瞳を見つめる。


「この世界に引きずり込まれた、閉じ込められた、監視された、勝手に婚約を決められた、元いた世界のものを返してもらえなかった、審問の魔術を強制的にされた――……。されたことを数えるだけになってしまってたかもしれない私の時間、フレアを恨んで、周りを恨んで、自分の不運を嘆いて――それで終わってたかもしれない時間だった。だけど――アランがいてくれたから、それらは、意味が変わった」

「……美香、ちがう、それは……美香自身が努力して、心を添おうとして……」

「もちろん私は私自身の頑張りも認めたいと思う。だけどね、そこにはアランがいてくれたし、アランが少しでも私をわかろうとしてくれたし――……そしてね、私もアランをわかりたいと思ったから」


 見つめる瞳が揺れる。

 私の言葉の真意を問うように。

 だから、私は精いっぱいの気持ちを込めて、優しく、穏やかに、伝わるように願って言った。

 

「私が、アランを、愛したから――だから、ここに来たことにも意味があったと、ここに来た不運も悲しみも無駄ではないんだと――思えるようになった」

「み、か……」

「愛して愛されて、好きになってもらえて好きになって――……世界が変わった」


 無理やり前向きに明るくして、盛り上げて、自分の心に蓋をして。ドタバタしてる風を装って暮らしながら、実は心の中では殺されるんじゃないかと様子を伺って、びくびくして。この人は信じられそう、信じられなさそうと心の中でより分けて――……。裏がなくて居心地いい使用人たちの部屋に入り浸ってみたり、でもアランとの婚約は受け入れないとと思って従順になろうと頑張ってみたり……。

 落ちてきたこのフレアの、その中でも小さな小さな世界で、だけど私なりに必死だった。

 そんな私を丸ごと好きになってくれたのは――ちぐはぐでドタバタしててただ生きることに必死だった私を、ただ一心に好きでいてくれたのは、アランだ。

 その不器用すぎるアランの眼差しが、態度が心をやわらげてくれた。

 世界の見え方を変えてくれたんだ。 

 

 彼の頬をゆっくりと撫でる。額にはまだ肉の見える大きな傷。そのときに切れたであろう一部分が不揃いな髪先。細かな擦りきず。

 彼は身体を張ってくれた。ちっぽけな私のために。

 

「帰還の術が完成したとしても、私、帰るつもりないの。リードにもそう伝えたの。それは、無理をしてるんじゃなくて――……私がアランと一緒にいたいからなの」


 告げると、アランはぐっと眉を寄せた。瞳が揺れる。その瞳を隠すように瞼を伏せた。


「私は……愚かだ。……守りたい守りたいと叫ぶけれど、守れない、そればっかりだ」


 小さく小さく呟く声。

 アランの嘆き、心の隅を吐き出したような声だった。


「……美香に守られて、救われてばかりな気がする」


 自嘲的なその言葉のあと、アランは「俺は……」と続けた。


「俺は、ただ美香に会えて幸せで。幸せをもらったから……だから、美香のことも幸せにしたかった。美香に幸せになってもらいたかった」


 アランの呟き、それは声がかすれていた。

 守れなかったと嘆く一方な姿に私は苦笑を浮かべる。

 ――気付いてないんだなぁ

 そう思って。

 

 だから、私は。

 扉が燃え尽きて結界が破れて炎がここに来る前に――……最後と思って、そっとアランの頬に手を添えたまま自分の顔を近づける。

 

「幸せなら、もうもらってるよ」


 告げて、アランの唇にそっと口づける。

 少しだけ乾いた、でも柔らかな感触。

 

 いつまでこうしていられるかわからない――きっと、もう時間はない――……。

 苦しまずにすめばいいのに、なんて都合のよいことまで思って。


 アランと私、どうか――……最後まで一緒に――……







 そう願ったとき。




 ドォォォォオオンッ



 身体が跳ね上がるような地響きと共に。


「――っっ」


 私の胸が一気に圧迫され、息ができなくなった。

 その一度に押し寄せた強い圧迫感に思わずアランから手を離し、膝まづく。


「美香!?」


 アランが膝をつき私に寄り添う。

 私は彼の支えに身体を預けるようにしながら、苦しい胸に手を当てる。


 結界が破れたの――?

 でも、焦げ臭さも熱さも感じない!?


「あ……ら、ん……扉は……?」


 私を抱えるようにして、アランは首をふった。

 

「微妙に結界はたしかに弱まってはいるかもしれませんが、まだ崩れていない! 美香っ」


 グラグラっとまた部屋が揺れた。拍子に棚からモノが落ちてくる。

 アランは私を庇うようにして抱き寄せる。


 またグっと胸が圧迫される気がした。

 と思ったら、ドォォォォンンと爆発音と部屋の揺れ。


 ――結界は、廊下の音を遮断するけれど、王城全体の崩壊の揺れや振動までは遮断できないのかも。


 そしたら……この、圧迫感は――……


「アラン……もしかしたら……」

「美香!?」

「……バレシュ伯の魔力がまだ……どこかで……」


 そうだ、リードが言っていた。

 バレシュ伯の魔力を私なら感じ取れるって。

 この部屋に入って結界があったから、廊下のバレシュ伯の魔力は感じ取れなかったけれど、炎で結界が弱まってきている今――感じ取れるのかもしれない。

 だとすれば、こんな大きいな圧迫感――……。


 思わず恐怖でアランの手にしがみつこうとした。

 ちょうどその時。



 ガダガダガダッ……ドドドドォォォン


 

 ことさらに大きな地響きとともに。

 壁や床が――……崩れて。


「美香――っっっ!」


 私たちの入る宝物庫そのものも――……いや、王城全体が――……。



 崩壊した。 

 

 


 


 

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