64 捕らわれた者 9 (ミカ)
「フレア国の闇?」
私が聞き返すと、キースは頷いた。
「そうです、フレアは我々のような異なる世界からここに引きずり込まれた者を、認めない――……」
そして、キースは再び話し始めた。
****
――……バレシュ伯は、俺を書庫に連れて行き、いくつかの書物を開いてみせた。書物といっても、何か書き留めたようないくつかの紙束を製本したもののようだった。
「これはおよそ100年ほど前の王城の庭師による、花木の管理の記録帳だ。そして、この花木の絵は何かわかるかい」
そういってバレシュ伯は、俺にそこに描かれる絵を見せた。
それは、黒インクで書かれていたが、明らかに先ほど俺がバレシュ伯に差し出した花――バラの花の絵だった。
「バラの花ですか?」
「そう、先ほどおまえが私に渡してくれたバラだ」
緻密に描き留められているのはバラの絵だが、その周りに書かれる文字は走り書きだった。
一般共用語の文字をまだ自由に読み書きすることのできない俺は、糸がからまるようにつながった文字を読み取ることができず、バレシュ伯が説明してくれた。
「王城で、突然植えることになった花として描かれているのだ。栽培を依頼したのは――……当時、今より三代前の王。この周りの走り書きは、栽培方法を書き留めているようだ。この頃から、とても香り高い花として記されている」
「それが一体、俺が前にいたところで咲いていた同じ香りの花と何の関係があるのでしょうか?」
「まぁ、そう慌てずに聞きなさい」
俺がバレシュ伯の言葉の真意を読み取れないでいると、バレシュ伯はさらに詳しく説明してくれた。
バラの花は、突然フレアの上流階級で人気がでて栽培されるようになった花だと。
その出どころは、この三代前の王の時代――……それ以前に、まったく記録がない、と。
新しい花が、友好の印として他国から献上されることはある。それは友好の証として、王城で栽培され、少しずつ株分けされて広がる場合もある。
だが、この当時、ガタールとの戦いが終わって間もない頃であり、そういう新種がここにもたらされた記録はないというのに、それまで無かったような花が『突然』あらわれて栽培されるようになった。
もちろん新しい花が掛け合わせで作られることはあるが、このバラに関しては、その「以前」の花が無い、というバレシュ伯の説明だった。
けれど、いろいろ言われても、まだ俺には意味がよくわからなかった。
そんな俺に、バレシュ伯はゆっくりと告げた。
「庭師から聞いたことがあるだろう、バラの世話は手がかかると。そもそも種から増やすのが難しい種だというではないか。なぜ、こんな観賞用の繊細な花が、改良を重ねた経緯もないままに、急にフレアで咲き誇るようになるのか。不思議ではないかい?」
「それは、誰か花好きが持ち込んだとか……?」
「他の国から持ち込まれた様子もなく、フレアで品種改良された様子もない。そうすると、どこから持ち込まれたんだろうか?」
「……どこから……」
「別の世界から転移してきた、とは考えられないかい?」
「え?」
「……おまえのように、別の世界からこちらに来た者によって持ち込まれたのではないかと、私は考えている」
その時だけ、バレシュ伯が俺を見た目は、俺を息子だと思っていない目だとおもった。
バレシュ伯はいつも俺を亡き息子の名「ミシェル」で呼んでいたが、あの時は、そう呼んでいなかった。
「別の世界から突然こちらに来たものが、俺以外にもいるんですか!?」
「確証はない。……私は、転移の魔術についての構築を考えれば、『別の世界』『異世界』の存在については肯定的だったが、そこから人が移動してくるという結論までは得ていなかった。おまえに会うまでは、『そういう者』に出会ったこともなかった。だが、私は長年ずっと疑問に思いつづけてきた。バラ以外にも……たとえばこのヴィオリノもそうだが……。突然、この美しいかたちの完成形でもってフレアの歴史に登場してくる存在が不思議でならなかった。段階を経ずに高度な技術が突然道筋もなくもたらされるなど、あり得るだろうか、と……。それで一つの考えにたどりついた」
バレシュ伯は机の隅にあった紙とペンをとり、紙にインクで大きな円を二つ並べて描いた。
「この一つの円は、フレアのある世界としよう。この空のつながる世界だ。そうしてもう一つのこの隣の円が別の世界、わかるかな」
「はい」
フレアの方の円に、バレシュ伯は小さな点を描き込み、ぐるぐると回した。
「たとえば、このフレアの世界のこの一か所に集中して、聖魔力が考えられぬほどの量が一気に消費された場合どうなると思う? かつてない圧倒的な力でもって、大きな力が使われた場合、この世界の聖魔力の均衡が崩れ、聖魔力が消費されたこの地点は一瞬無になるだろう。すると、その”無”は別のところから何かを引きずり込もうとする力を生むのではないかと考えた」
「引きずりこむ?」
「そう……言い換えれば、転移だ――この隣の円からの」
バレシュ伯のペン先は、フレアのある円とは別の隣の円に点を描き、フレアの一点と結び付けた。
「多大なる力が動いたとき、別の一点から、存在を引きずりこむ。つまり異なる世界から人をひきずりこんで、均衡を保とうとする」
「それは俺のような者のことですか!?」
「おそらくは、おまえはこのフレアの聖魔力の均衡が崩れたひずみにひきずりこまれ、この世界に来たのだ。だが、この転移は時間が一定しない」
「時間?」
「――……引き寄せる時間の軸が前後する。これは私の仮説でしかなかったが、おまえがここに来てくれたことで、仮ではなく真となった」
「どういうことだ!?」
「たとえば、このバラをおまえは渡してくれたね」
バレシュ伯は、俺が渡したバラをもう一度手にした。
「実に良い香りだ。……おまえは、かつての遠き地で、このバラの香りでありながら、形はもっと質素である花を知っているといったね?」
「知っています」
「……私はそれを聞いてね、おまえのよく知っている故郷の花こそ、この”バラ”の原種なのではないか、と直感が働いたのだよ」
「原種?」
「そう、おそらくは、おまえのよく知る故郷の花は、いずれ、この”バラ”の姿に改良されるのだろう。香りはそのままに、花付きは良く、花びらもこのように華やかで艶やかな花の姿に――……。そして、その改良された花の苗を持つ者が、先ほどの説明のようにフレアに引きずり込まれたのではないかと考えたのだよ」
「俺の世界では未来に生きる者が……このフレアでは今より過去に来たということですか!?」
「そうだ」
そうして、バレシュ伯は頷きながら、茫然とする俺の手にバラの花を持たせた。
*****
キースの言葉が区切れたところで、私は思わずたずねた。
「キースつまり、それは、このフレアで栽培されている”バラ”が、異なる世界からもたらされたってこと?」
どんどん新しいことを知らされて、頭の中がパンクしそうなのをこらえてキースの返事を待つ。
キースは先ほどの魔力の暴走の疲れもあるのか、少し足を崩しながらも、律儀に頷いてくれた。
「バレシュ伯の考えによれば、そうです。おそらくはヴィオリノもその可能性が高いと言っていました」
返事をしてくれることにホッとしつつ、私は今聞いたことを整理してみる。
「私……ちょっとこんがらがってるんだけど、えっと……私の元いた世界では、たしかに、このフレアで咲いている”バラ”は普通に咲いていたの。もっといろんな色や形があって、細かな名前もそれぞれついてて……。たしか、原種から改良されたって聞いたことはあるけれど、原種もまだちゃんと咲いていたはず。それでも、キースの元いたところよりも未来の可能性があるってこと?」
「あくまでバレシュ伯の話す”可能性”です。さっき言ったとおり、俺はミカ様は俺が暮らしていた世界よりも未来に生きていたのではないかと思います。また、”バラ”をもたらした者も、俺より未来の者だったのでしょう。それに、ミカ様は、”バラ”の花を、元いた世界でも”バラ”と呼んでいたと言ってたことがありましたね?」
「え? ……たしかに、バラは”バラ”だったけど」
「古語でもないのに、なぜ、それだけ同じなのか不思議ではありませんか? しかも、この花の形で名付けられている」
キースに言われて思い出した。たしかに私は、このフレアにきた当初、アランの館でバラが咲き誇っていることが、不思議だった。タンポポもスミレの言葉も花もないのに、どうして「バラ」だけ「バラ」なの、と。
バラという花が「バラ」と呼ばれていること――つまり、それは、フレアにバラの苗をもたらした人がこの花を「バラ」と呼んでいたとすれば、日本語を話す人だったのかもしれない。
キースが私のいた日本のあの時代より過去の人なのかどうかまではよくわからないけれど、すくなくとも国は違うのがわかった。
私はひとまずキースの言うバラの花のことと、過去と未来のずれの可能性に納得することとして、別の質問をしてみることにした。
「バラがもたらされた可能性と、異なる世界からフレアに引きずりこまれるとき、過去と未来が一定じゃないことも、ひとまずわかった。でも、バラだけがこちらの世界に引きずり込まれたってことはないのかな?」
私がたずねると、キースは首を横に振った。
「”バラ”は種や苗で空から落ちて、勝手に定着して広がるほどに強くはない。手入れをして初めて、増やすことができる。この百年でバラが広がったのは、もちろんその後バラの手入れの仕方も含めて庭師に知識が伝わったからなはずです――ならば、その出どころはというと、バラの育て方を知る者に他ならない。それはまた、バレシュ伯はヴィオリノにも言えると言っていました。ヴィオリノという楽器を作るには特殊な木の加工の過程があるが、それがフレアのもともとあった知識とは考えられにくい、と。ヴィオリノに相当する楽器を作る職人が過去に到来したのではないか、と。もちろん演奏の仕方も含めての知識がある者が来たということです」
「……ねぇ、それなら。今までフレアに何人も別の世界からの到来者がいたってこと? 私は、キースのことを知るまで自分が初めての到来者だと思ってた。ディールも殿下もアランも、みんな、そういう風に私を扱ってたし……」
私がたずねると、キースは少し目を伏せた。
「バレシュ伯の仮説では、何人か引きずり込まれているに違いない、と」
「どういうこと? そうだ、さっきの説明でも不思議だった。引きずりこまれるのって、私は一斉浄化の魔術師の失敗と聞いてるけれど、そんな失敗が頻繁に起こるってことなの?」
「違います。ミカ様が到来した理由は、その一斉浄化の魔術の失敗だったのかもしれません。けれども、そもそも私のような者やそのバラの苗をもたらしたような者が到来した理由については、バレシュ伯は別の理由を俺に話してくれました」
「どういうこと?」
「それは……」
キースは一度言いよどみ、眉を寄せた。そして顔をあげると、私ではなくリードの方を向いて強く睨んだ。
「魔術師リード。おまえは知らないのか? それとも知っていて、そうやって聖殿に仕え続けているのか?」
「キース、突然どうしたの!?」
キースの唐突な厳しいリードへの態度に驚いたけれど、リードはいつものごとく顔色を変えない。
「……なんのことです?」
「フレアの歴史で話されるガタール国による『聖地の島』の聖晶石乱獲……あれがでっちあげに近いってことを、だ! 『聖地の島』の荒廃は、ほぼガタールのせいにされているが、フレアもまた乱獲を進めたということを知っているか!?」
「え?」
キースの言葉に私は息をのんだ。リードも、今度の言葉には、少し身体を起こした。
「……どういう意味だ?」
問い返すリードに、キースは訴えるように叫んだ。
「ガタール国ではなく、フレア国こそが、莫大な聖晶石を一気に聖魔力化しようとしたせいで、聖魔力の均衡がここまで崩れ去っているということを知らないのか? ガタールも聖魔力化しようとはしたが、魔術が到達しなかった――そこまでは歴史どおりだが、フレアがその後、ガタールの行為を隠れ蓑にして自分たちこそが聖魔力を得ようと画策していのだ! これこそが、フレアの深い闇の根源だ」
キースは、そこまで一気に叫ぶように言うと、また、疲れたのか大きな息を吐いた。キースが叫んだ内容も驚きだったけれど、キースのあまりの顔色の悪さに目が離せなくなった。眉を寄せて息をついた表情はあまりに辛そうで、私はあわてて近寄って顔色を見る。
「キース。……ちょっと休む?」
たずねると、キースは首を横に振った。どこか痛むのか、何かをこらえるようにぐっと目を瞑り、キースはまた力をこめるようにして顔をあげた。
「……ミカ様。さっきの質問ですが――……この世界に異なる世界から人が引きずりこまれるようになったのは、ガタールとの戦い以降だとバレシュ伯は話していました。『聖地の島』もしくは『聖なる島』と呼ばれる、あの島での聖晶石の乱獲、そしてそれを聖魔力に一気に変えようとして――それがあまりに莫大すぎた、と。普通では考えられぬ聖晶石の量が一気に消費され、圧倒的な力が『聖地の島』に圧縮された。あまりに大きな量が一点に集中したせいで聖魔力の均衡が、この一点を中心に崩れてしまった――そうして、その均衡を保つために、別の世界からの存在をひっぱってしまう『転移の術』が勝手に引き起こってしまう嵐をフレアにもたらした――それが、バレシュ伯の考えでした」
「つまり、戦争の結果なの? 使いきれないほどの聖晶石と聖魔力を使おうとして制御できなくて、均衡が崩れたの?」
「そうです。またバレシュ伯は言っていました。自分のような無尽蔵な魔力を蓄える人間も、かつての歴史を紐解くと存在していないのではないか、と。つまり、バレシュ伯のような類まれな魔力の容量を持つ者もまた、この世界の聖魔力の均衡を保つために生れ出てしまう異端児なのかもしれない、と」
はっとして、リードを見ると、リードはひんやりとした目をほんの少し細めていた。バレシュ伯の言葉は、もしかするとバレシュ伯に相当するという魔力の容量を持つリード自身にも響いたのかもしれない。
「だが、フレアは、自国が聖晶石を使いこもうとした結果招いてしまったことを、認めない! もちろん、引きずりこまれてこちらに来てしまった人間を、公けに受け入れるわけでもない。ミカ様は、一斉浄化の魔術の失敗という明らかな理由があったがゆえに、認めざるを得なかった特例でしょう」
特例と言われ、ドキッとした。こうして認められて、生きている自分が特例ならば、その逆もあるということだ。
「……バレシュ伯は、こうして異世界とフレアの関係を説明を俺にした後、俺が、このフレアで生きている限り、いつか俺のように異なる世界から到来する者と出会うかもしれないと言いました。その時、相手はきっと言葉が通じず、意思疎通に困っているだろうからと、他者に分けられるくらいに強い魔力を俺に流してくれた――……。だから、ミカ様が空から落ちてきた時、俺はミカ様に言葉が解るようにする微かな魔力を流し込んだんです」
「キース……」
「バレシュ伯は……その日以降は、また、俺をミシェルとして扱いました。理路整然と話し、俺を『おまえ』と呼ぶ”魔術師”はもう彼に現れませんでした。そうして共にくらす内に、彼の持病は悪化していった。そして死がもう間近という時に、俺を『ミシェル』という息子と思い込んだまま、息子に魔力を分け与えるつもりで注ぎ込めるだけの魔力を注いでくれました。魔力が息子を守るように、と。残していく”息子”が寂しくないように、と。それがきっと先ほど俺の内側からあふれ出てきた魔力なのでしょう。……本当にバレシュ伯は、俺によくしてくれたんです」
そう語って、キースは、疲れたように自分の立てた膝に額をつけるようにして俯いた。




