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40 零れた言葉 (アラン)

アラン視点です。

 


「このたびは視察だけでなく、貴重な稽古や模範試合をありがとうございました」


 騎士見習い寮に、馬車が着き、扉が開かれる。

 指導長であるユージンと騎士見習い代表のロイが、出迎えの時と同じように私と美香を見送るために出てきた。

 もちろん他の騎士見習いは整列しており見送る姿勢となっている。

 私の横に立つ美香は、こちらに来た当初のような緊張した瞳はしておらず、心もち唇に笑みさえ浮かべたような姿で皆の挨拶にうなづきで返している。

 ひととおり挨拶がおわり馬車に乗り込む。向かいではなく隣に座った私に美香は何も言わなかった。一瞬、小窓から見送りのユージンと目があい、目線で笑われた。

 

 整列した騎士見習いたちの行列の中央を、ゆっくりと馬車は進み始める。

 隣で美香が身動きする。少し小窓から外を見たようだった。美香の髪が小窓からの風に少しなびき、毛先が私の胸元にかかる。

 ちょうどその時、私とつないでない方の手が小さく外に向かって振られているのを目の端に捉えた。

 美香は私に半ば背を向けるような形で外に――騎士見習いたちに目を向けて、白い指先を揃えた小さな手を振っている。

 表情は私の角度からは見えないが、美香のまとう雰囲気は柔らかい。きっとその眼差しは笑みをたたえているだろう。


 ちりちりと心に刺すものがある。

 その正体は、わかってはいる。

 

 私は目を閉じた。

 目を閉じても、無邪気な少女の気配は――外を見遣る美香、手を振る気配はすべて……読みとれてしまうけれど。

 少なくとも美香がこちらを振り返る時、私の瞳に浮かぶ醜い色を捉えることだけは避けられるに違いない。


 私は美香とつなぐ指先に、少しだけ力を込めた。



*******************



 騎士見習い寮の門を出て、城下の街を馬車は進み始めるとき、美香はこちらを向いた様子だった。


「アラン?」


 不思議そうな声をかけられ、私は目を開く。向けた先の、黒い双眸を見つめ返す。


「疲れたの?」


 目を閉じていた私に気遣ったのか、そんな風にたずねてくる美香の言葉はまだ一般共用語だった。


「いえ、これくらいでは疲れませんよ」

「そうなんだ。……そう言えば、アランが鍛錬大好きだってユージンが話していたものね」

「……」


 美香の言葉に一瞬息がつまった。

 それは鍛錬を好んでいたと指摘されたからではなく、美香の唇からするりと自然に「ユージン」という言葉が流れ出たからだった。友とはいえ、自分が認め尊敬する男の名が何気なく会話に出てきてしまうことで、さらに胸が痛みを増やす。

 今朝までは、美香の世界は私の館の者達と家庭教師、殿下をはじめとする王城のほんのごく一部の人間だけのかかわりだったはずだった。少なくとも、このフレア王国内において。

 美香が何を知ったのか、何を教えられたのかはほとんどすべて――私は把握する立場にあった。監視という名のもとに。

 けれど、今日、彼女の世界は広がった――黒髪を風になびかせるように。さらさらと広がっていく。彼女の瞳にうつるものは、私の手からこぼれおちるほどに増えていく。――名前、人物、会話――……。美香の心に記憶に刻まれていく、新しい世界。

 

「アランがバリーと戦ったときは緊張したけれど……アランが強いということがすごくわかって良い機会だったと思う」


 そんな風に言って、美香は微笑んだ。

 

「どうしたの?本当に疲れたんじゃない?バリーとの試合に加えて、騎士見習いの人に稽古をつけたりもしたんでしょう。休憩する?」


 美香の言葉に、私はかろうじて首を振った。

 そして、つないだ手をぎゅっと握った。手のひらは互いに汗ばんでいて、すべるようなのに、その隙間さえすべて追い出したい衝動にかられた。


「アラン?」

「……騎士見習い寮の見学は、楽しかったですか?」


 自分の中に湧きあがるものを押さえて、結局そのかけらのような質問を落とす。

 無関心ではいられない。美香の関心を引いたものはなんだったのだろうか――それを知りたくて。 

 

「連れて来てくれてありがとう。知らない世界をいろいろ見ることができて、良かった……フレア王国って、大きい国なんだね」


 美香はそういって笑った。

 少し寂しげな気がした。


「大国なわけではありませんよ。島で構成されていますし……」


 美香の寂しげな笑みの意味を知りたくても、どうたずねればいいのかわからずにとにかく言葉をつむぐ。


「……十分、広くて大きいよ。私が思っていたより、ずっと、ね」


 美香はそう言って目を伏せてしまった。

 上滑りにするすると言葉は流れて、その奥の向こうの美香の姿がつかめない気がした。


 以前は――……。

 たぶん、夜のテラスで彼女の心の琴線に触れるまでは、「姿をつかめていない」ということにすら気付かなかっただろう。けれど、今は、毎晩彼女と話していて、この澱むことなく紡がれる普通の会話の向こうに、彼女の心が見え隠れしていることを、知っている。

 美香の心に引っかかる何か、彼女の関心を引いたものは何だったのか――それを知りたい。

 

「何か……不安になることがありましたか」


 考えあぐねて、私は美香にたずねる。私の耳は規則的に城下の石畳を進んで行く馬車の車輪の音を捉えているけれども、聞こうとして耳を傾けるのは美香の唇からこぼれる言葉ひとつひとつだけだった。

 

「不安というわけではないんだけれど……」


 美香はふっと息をついたあと、笑みを浮かべた。


「殿下……セレン殿下っていうのね。別名、和平の殿下と呼ばれてるって聞いた。まさかお忍びで変装して城下を歩く『サム』が、『和平の殿下』と親しまれている人とは思わなかったよ」


 突然、殿下のことを口にした美香の心の向きが、また私はつかめなくなる。

 どうしてここで、殿下のことが出てくるのか。私の戸惑いがつないだ指先からつたわったのか、美香が説明するように言葉を加えた。


「ユージンがね……話してくれて。アランが殿下付きの近衛になったことで、あまり王都にいなかった頃があるって。前にあったっていう戦いのこととか、わかりやすく説明してもらったの。家庭教師に習ったはずだったんだけど、正直よくわかってなかったし……ユージンのおかげでちょっと理解が深まった感じ」


 胸が軋む。 

 ユージンと、私の騎士団長に就任する前の話をしたということなのかもしれない。他国からきた姫君という前触れの美香に、それとなくフレア王国のことを話してくれたのかもしれない。ユージンは弟妹が多く、美香の面倒を見るのも妹と接するように気軽なものだったろう。

 けれど、美香にとってそうだとはわからない。


 ――どんな話をしていたんですか?

 ――何を、ユージンと話していたのですか。

 ――私が迎えに行くまでの木陰の下で、美香が微笑んだ姿を、私は何度も目の端に捉えていたのに、あなたが私を捉えることはなかったでしょう?

 ――美香は、なぜあんなに微笑んでいた?笑っていた?楽しそうにユージンと、何を話していたんですか?


 言葉がでかかって、あまりの子どもっぽさにそれは飲みこむ。


 『何を話してたの?』

 『何をしてたの?』

 『あの方はどなた?』


 そんな詮索は、過去に何度もされたことがある。自分が護衛した姫君や、声をかけてくる貴婦人、幼いころから知っているレイティにも。

 夜会に出て誘ってくる人も、私が他の人と話した後、おずおずと聞いてくる。


 ――お綺麗な方と一緒にいらしたわね。何を話してらっしゃったの?

 ――おたずねしたのに、お出かけ中と執事に言われたわ。どこに行ってらっしゃったの?



 その言葉が私はわかるようでいて不可解だった。

 ユージンなどは『可愛いもんじゃねぇか、アランを独り占めしたいんだろ?』などといって笑っていたが、なぜ家族でもなく上司でもない、ただ私を好きだと言ってくる女性が、私が他の人と会話しただとか出掛けただとか、訪ねた時に不在だったからといって「誰と?」「何を?」と詮索してくるんだろうか。

 何の意味があるというんだろう。

 いや、意味というならそれはわかる。

 「嫉妬」だとか「やきもち」だという類だということは。

 けれど、それを自らの身に置き換えた時に、ずっと長くよくわからなかった。


 ――なぜ、そんなに気にかかるんだろう?


 そう思ってきた。だから、尋ねてくる女性に微笑んで、「たいしたことではありませんよ」と答えつつも、そういう質問をしてくることそのものを、どこか嫌悪していたのだ。


 けれど、今なら痛いほどわかる――……。

 いや、ずっと知らしめられている、この一年。


 庭のすみでキースと話す美香の後ろ姿に。

 私が団長として王城に赴いて館を離れる間、彼女がどんな風に時をすごしているのかと思うたびごとに。

 彼女がこのフレア王国では食したことがないような薔薇のジャムを作りあげてしまったときに。


 美香は誰とどうしてどんな風に過ごしているのか――気にかかって、仕方がない。

 傍らにいないことが、見えないことが、不安で仕方がない。

 

 自分がこんなに、誰かをその時間や心に踏み込もうとしてまで知りたいと願う人間だとは――思わなかった。

 一生、口にすることなんてないだろうと思っていた。

 けれど、私は――我慢が出来ずに。

 あまりに幼くこどもっぽいとわかっているというのに、何気ないふりを装って、唇にのせてしまった。


「……ユージンと、どんな話を?」


 こんなに胸が軋んで紡ぐ言葉だとは知らなかった。つないだ指先から、手をつないでいなかった美香の時間を少しでも知ろうとしてあがくようにたずねる――欲しくて、知りたくて。触れ合っていなかった時を取り戻すみたいに。

 けれど、私のそんな震えを押さえるような気持ちとは対照的に、美香は不思議そうな顔をして気軽に答える。


「え?うん、だからフレア王国と隣国のガタールとの戦いがあったこととか、今、殿下のおかげで和平が進んでいることとか……。たぶん基本的な歴史の話で、たいした話じゃないよ」

 

 美香の言葉に……「そうですか」と答えながら、私は小さく息をついた。


 『たいした話じゃない』

 それは、私がなんども過去に私のことを詮索してくる女性達に答えたことばそのままで。

 私は何も知らなかった。気付かなかった。気付こうともせずに答えていたのだ。

 自分のいない時に、好きな人がどう過ごしていたか――それは、とても大切なことだったのに。

 気にかかって、寂しくて、その傍にいられなかった時間を取り戻したいからたずねる。


 浅はかな独占欲かもしれない。

 幼いやきもちかもしれない。

 けれど、それはこんなにも胸を焦がして、気にかかることだったのだ。

 

 私はいつのまにか、握っていた手に力を込めていた。

 

「アラン?」


 美香がこちらをのぞきこむように声をかけてくる。

 その黒い瞳にうつるのは、今は自分だけ――……。

 そのことに、どこか安堵の息をつく。


「美香、これからはずっと一緒です」

「え……あ、うん」


 私の言葉に白い頬がうっすらと赤く染まるのを見て、やっとちくちくと刺していた胸の痛みが和らぐ。

 頬の下の赤い唇に口づけを落としたい――けれど、それはきっと、美香をまた怖がらせてしまう。

 私は、つないだ美香の手をもちあげて、その組んだ指先に軽く唇を触れさせた。

 ぴくりと隣の美香の肩が揺れる。


「……シエラ・リリィの店、楽しみですね。きっと綺麗に仕上がっていることでしょう」

「うん」


 美香の神経が私の唇が触れる指先に集中していることが、隣にいてもわかる。

 緊張するように、ときめくように意識して、私とつなぐ手を見つめている。

 美香の意識が私に向ききっていることで、やっと私の内部がなだめられていく。

 

「ユージンにフレア王国とガタールの戦いを聞いたのでしたら、聖地の話は聞きましたか」

「聖地を巡って戦いが起こったことは教えてもらいました。奪われた聖地の島は返還されたけれど、力は戻らないとも話してたかな。でも、聖地と言われてもよくわからなくて」

「えぇ、そうでしょうね。今は唯一この王城の隣から広がる聖地のみが聖魔力を残すところです。では、シエラ・リリィの店のあとに、最後に残る――わたしたち騎士とリードのような聖殿が守る聖地の近くをたずねてみましょうか」


 私がそう促すと、美香は驚いたように目を見開いた。


「聖地ってそんなに簡単に行けるの?」

「いえ、傍までです。ちょうど、高台になるところがあってそこから海も眺められますよ。」


 美香の耳が私の言葉を捉えようと集中し、美香の瞳が驚きいっぱいに私を見つめる。

 それが嬉しくて仕方がない。


「聖地って……よくわからないんだけど、なんなの?」

「聞いていませんか」

「うん」

「森と湖です。あと岩山もあります。広大な……果てのみえないような土地です」

「森と湖に岩山?」

「正確にいうならば力が宿った森と湖と岩山です。私には感知できないのですが、水が流れるように、火が熱いように、風が吹くように、土が大地を覆うように、魔力という何かが存在しているらしいです。木々や水と共に」

 

 私は自分自身には魔力が流れていないので、それらは感知できない。

 けれど、昔リードが言っていた。


「見えないけれどもそこに存在し、その魔力に働きかけることで水や火、風、人間の聴覚や目や触れるものに作用させることができるらしいです。その魔力が石に宿ったものが聖晶石と言われる石で、聖地の岩山や土の下から採掘されています」

「よくわからない」

「私も魔力がないので、実感として、その力は感知できません。けれど、そうですねたとえばこの近衛騎士団長が授かる剣……」


 私は自分の脇に携えていた近衛騎士団長の証である長剣を少し持ち上げて美香に見せた。

 

「この持ち手の背に石がはめ込まれているでしょう?」


 私が剣のとってを美香に近づけると、美香は黒髪を揺らしてそっと覗きこんだ。


「うん。模様かとおもったけれど、ぜんぶ石なんだ……」

「これが聖晶石とよばれる石で、魔術師による術がかけてあります。この術のおかげで、この剣とそれを持つ私は転移の魔法がかかりません」

「転移の魔法がかからない?」

「そうです。連れ去られることがないということです。また、奪われても、この聖晶石に込められた魔術をたどって、行方をさがすことができます」

 

 聖晶石そのものが勝手に力を発動させることはないが、魔力をもつものがその石に魔術を施せば、その石は魔術を作動させる。いわば小さな魔術師を抱えることになるということだ。


「希少なものなんだ……」

「まぁ、そうですね。ほとんど手にすることはないでしょう。私も騎士団長になるまでは目にしたことがありませんでした」

「……殿下を……、国が和平の殿下と称える人を守る剣だものね、そりゃ、すごいものはめ込まれているわけだよね」


 美香がじっと剣の取ってを見つめた。

 その時だった。馬車がゆっくりととまる。

 御者の声がかかった。


「アラン様、シエラ・リリィの店に到着いたしました」

「降りる準備を」

「はい。踏み台を用意いたしますゆえ、しばしお待ちください」


 その返事を聞いてから、私はそっと美香を見つめて、微笑んだ。


「いきましょうか」

「……うん」


 剣の取ってを見つめていた美香は私に視線を移してから、一度、目を瞬かせた。

 私がエスコートするように、手を引き上げると、美香も姿勢を正す。

 その時、美香はふわりと口元をほころばし、微笑んだ。


「アラン――……、ありがとう」

「え?」

「ずっと、手をつないでいてくれて」


 美香は少しだけ首をかしげるようにした。

 

「本当は――……騎士見習いの寮とか、思っていたよりも規模が大きくて不安だったの」

「美香……」

「ユージンがしてくれた前の戦いの話とかも……私のいた世界とはまったく違うものだし」


 私が美香の言葉に茫然としていると、美香は目を伏せた。長いまつ毛が伏せられ、いつもまっすぐに向けられる黒の双眸を隠した。


「いろいろ怖気づきそうになったとき、アランが手をつないでくれて……つなぎ続けて、約束を守ろうとしてくれて……バリーからもかばおうとしてくれて……」


 そこで美香はいったん言葉をきった。

 ふっと気配が動き、美香は今度は私を見上げてきた。

 私はまるで縫いとめられているように、美香の一挙一動に視線を追い続ける。


「私、嬉しかった。アランがいてくれて、良かった」


 美香の唇からこぼれる言葉は、私に向けられる。

 私だけに――……。


 さきほどあんなに知りたいと思った、美香の心が、寮で過ごす間の彼女の心の不安を見せてくれた。

 信頼するように、私の手を握りしめて。


 ここでこそ、何か良い言葉を紡ぐべきだと、頭の内で主張する自分がいる。

 けれど、咄嗟に。

 女性に対して優しい言葉はいつでも言えていたはずの私が、その時咄嗟に口にしていたのは――。


「――……約束しましたから」


 そんな、素っ気ない言葉だった。

 ここでこそ甘い言葉をつむいだらいいのかもしれない――そんなことを頭の片隅で思うけれども、私の手も口もそれ以上は動けずにいた。

 自分がそばにいなかった時に何を感じたのかを、美香自身から伝えられたことが、私を心を静かに熱くしていた。言葉など何も上手く選べそうになかった。


 私のそっけない返事に、美香は綺麗に微笑んだ。


「うん。私との約束を守ろうとしてくれたことが――嬉しかった」

「……堅物ですから」

「ん、アランって華やかな外見だし、器用で要領良さそうなのにね。意外だよね」

「……不器用ですし、要領もよくありませんよ」


 私の口からは、さらにまるですねたようにぼそりと言葉が零れてしまう。あまりの己の無様さに、私はふっと美香から顔をそむけた。

 そんな私に向かって、まるで追いかけるように、美香が言葉を紡いだ。


「でも、そんな不器用なところ――……好きだよ」


 ちょうど美香の言葉を私の耳が捉えた時、馬車の扉が開いた。


「アラン様――…準備が整いました」


 御者の声が響くと、美香が御者の方に視線を投げかけ、促すように

「行こう、アラン?」

と、私に声をかける。


 ――まるで、何もなかったかのように。


「美香……い、ま」

「ん?――……アラン、お店に行こう」


 私は美香の言葉と真意を問いたくて彼女の瞳を見返す。

 けれど、もう、彼女の黒い瞳は明るい笑みだけをたたえていて、私に問い返す余裕を与えてくれない。

 

 ぎゅっと、つないだ手を握り返すと、美香は少し目を伏せた。けれど、それだけだった。

 彼女の唇はそれ以上――何も紡がなかった。




次話は第1~3章までの登場人物・あらすじとなっております。

次々話から第4章スタートとなります。

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