閑話 「憧憬」上 (ロイ)
騎士見習いのロイ視点です。
僕がアラン・ソーネット近衛騎士団長のことを知ったのは、もう十年も前になる。
僕は九歳、そしてアラン近衛騎士団長は十九歳だったと記憶している。
南に位置する僕の出身村は、畑作でほそぼそと暮らす鄙びたところだった。歩いて3時間のところに僕の出身村のような小さな村を取りまとめる役場がある街があって、そこからは王都につながる街道ができあがっていた。
街といっても、今、王都の城下に住む僕は、あのすぐに一回り出来てしまうようなところを「街」とよんでいいものか迷ってしまう。けれど、すくなくともあの頃の僕にとっては、露店があり買い食いなんかができて、食糧も衣服も雑貨も薬も買い求められる場所はあの街しか知らなかった。
また、何よりもあの頃の僕には、役場の隣にある小規模な騎士の宿舎と稽古場こそが、騎士の過ごす場所そのもので、憧れのすべてだった。
――……
――……
「父さん、父さん、まだ帰るまでに時間はある?なら、騎士見習いの練習場に行きたい!」
「ロイ、またかい。先月の買い出しの時にも見に行っただろう?」
「うん……駄目?」
ざわめく小さな街の商店の角で、僕は父の服の端をよく引っ張ったものだ。
僕の言葉に、父は仕方ないなぁというような微笑みを返し、薬や調味料、衣類や布などが入った包みを抱えなおして、手を引いてくれた。
「いいか、手をはなすなよ、迷子になったら捜すのに一苦労だからな」
「うん!」
「昼過ぎにはちょうど隣村まで行く荷馬車に近くまで乗せてもらえる手はずにしている。帰るときにはぐずらずに父さんの言うとおりに帰るんだぞ」
「はいっ!」
元気な返事をする僕は、期待と興奮で胸をわくわくさせて、父と手をつなぎ騎士見習いの練習場へと歩いていくのが常だった。
フレア王国のそれぞれ地方の街には、大小違いはあるが騎士と騎士見習いの練習場や寮がある。王都や大きな都市では騎士と騎士見習いの稽古場は別々に分けているものだが、地方都市の中小規模の街では合同稽古場となっていることも多かった。そもそも田舎になれば若手は漁業や農作業の重要な働き手になるので、家から通う下位の騎士も増えるので宿舎で生活するものは少数で、稽古場のみのところも多かったのだ。
王都で騎士団員を勤めたとしても、平民出の場合、途中から出世がのぞめなくなる場合もあって、出身地にもどり農作業をしながら騎士団に認可された自警団の顧問をしたり、武術や文字の読み書きを教える先生の役割を果たすなどして暮らすものもいた。
だが、どういう生活をしているのであれ、たとえ下位の騎士であったとしても、定期的な稽古は義務であり、練習場は常に開放されていた。
「見て見て父さん!今日は隊長が稽古場に出てるよ!」
田舎の街の騎士団の休日稽古は、半ば見世物に近く稽古の姿を見られるように門を全開にしていた。
これは、民に騎士の存在を印象付ける意図も含まれている。
特に幼い少年たちの見学は歓迎され、興味のある子どもは騎士見習いへの道を説明される場合もあった。だが地方のさらに奥まったところの小さな街は、門を開放してもほとんど見学にくる者もいなかったように思う。
僕のような地方の街のさらに奥の鄙びた山村から買いだしにでてくる子どもくらいが、その騎士団寮をのぞくのだった。
僕がこどものころ、あの街の騎士団寮のまとめ役をやっていた人は「隊長」と呼ばれていた。今になって気付くけれど、おそらく第四騎士団に属していた各地方の騎士隊の隊長だったのだろう。
当時の僕はそんなことは知らず、ただ「隊長」とだけ呼んでいた。
髭をはやした大柄な男だったと記憶している。
「こんにちは、ロイ君。今日も見学に来てくれたのかい」
「はい!こんにちは!」
僕が元気に挨拶すると、髭面のいかつい顔でにかにかと笑ってくれたものだ。
月一回あるかないかの街の買い出しのたびに、父子で騎士団の稽古場をのぞくものだから、隊長もきっと、僕と父の顔を覚えていたに違いない。それくらい見学者がまれな小さな稽古場だった。
だがその日はいつもと少しちがった。
僕がいつものように隊長やその部下たちの稽古を見ようと立っていると、
「なぁ、ロイ。今日、ここに来たのは凄く幸運なことだったぞ」
と、隊長はいつになく明るい声で言ったのだった。
「幸運?」
「何かあるんですか?」
父と僕は隊長の言葉に同時に首をかしげた。
すると、隊長は少し声をひそめた。
「もうしばらくすると、準備ができてこちらにいらっしゃるはずだ。こっちに席を用意するから、今日は座ってゆっくり見学していくといい」
いつも立ち見で見学する僕と父は、隊長に促されて、なんと稽古場になっている外の広場の横、よく見えやすい位置に小さな丸椅子を用意してもらって座ることになった。
こんなことは初めてだった。
クオレのジュースが欲しくなるような差すような日差しが稽古場の地面を照らしていた。
僕と父はすすめられるままに座り、まわりを眺めた。
すると、いつも見学する稽古場と違うことが子どもの頃の僕にもよくわかってきた。
「父さん、皆、騎士服をきちんときているね。いつも着崩したり、普段着の人もいるのに……」
「あぁ、誰か騎士団のお偉い人でも来ているんじゃないか?」
ひそひそと話していると、隊長が笑いながら言った。
「そうだ……こんな辺鄙な街に、なんと昨秋の王都の剣技大会で優勝した方がいらしているのさ」
「剣技大会で優勝!?」
僕は声をあげた。
「おぉそういえば、ロイは剣の稽古を見るのが一番好きだったな」
「うん!」
あまりの興奮に「うん」と気軽に返事した僕に、隣で父から「返事は『はい』だ!」と注意の声が飛んできた。
すると、頭をかくようにして隊長が笑って言った。
「ははは、お父さん、今日ばっかりは許してやってください。王都の剣技大会優勝者の剣なんて、実は俺だってみたことないんですから、俺もそうだし、皆、実は興奮している。ロイだけじゃないんですよ」
「……いやいや、それでも騎士様にむかって『うん』はいけません。それにしても、なぜまたそんな凄い方がこの街に……」
「なんでも、この春に近衛騎士団に配属されて、皇太子殿下の地方視察に同行されているとのことです。今日は、特別にここまで足を伸ばし、活を入れにきてくださった」
隊長の言葉に、僕の隣の父も声を驚きに声をあげたのを、僕はいまだに覚えている。
「ではまさか、皇太子殿下もこちらにっ!?」
そんな父の声に、隊長は笑って首を横に振った。
「さすがに皇太子殿下がいらっしゃるには、設備や警備の点でもここでは不安があるので、皇太子殿下は南部の領地にある離宮で今日は過ごされているとのことです。剣技大会優勝者の方は、騎士数名と友人という貴族の方お一人と共にいらっしゃいました」
隊長がそう説明してくれている間に、こちらの部下のものが慌てふためく足取りで隊長に寄ってきて、
「じゅ、準備が整ったとのことです!」
と、伝えた。
それを聞いて、隊長は頷き、
「では、ロイ君、お父さん、また後ほど」
と言って去っていった。
そうしてしばらくして、現れたのが――……。
金の髪に白の騎士服、夏の日差しを跳ね返し、まさに輝くようにして現れた長身の青年――アラン様だった。
僕はその時、初めて騎士服にはいろいろな色があることを知った。特に、白を基調に、金と銀の刺繍が施される騎士服は近衛騎士団の団員のみに許されるということ、その煌びやかさを目の当たりにした。
それまで僕は、緑の騎士服と紺の騎士見習い服が騎士服のすべてだと思っていたのだ。
加えて、胸につけた飾りの数。国と騎士の胸章、階級章以外にも、さまざまな勲章というものがあるということも、その時に知った。
毎月憧れの眼差しで見ていた街の騎士団の稽古場が、それまで以上に輝いて見えたのを、僕は今もはっきりと覚えている。
きらきらと九歳の僕の前に、アラン様はまさに貴人として現れた姿。
それは今でも目を瞑ればすぐに思い浮かべることができるほどだ。
そして、次に団員達を相手に剣技の披露が始まった、その冴えわたる刃の動きと身のこなし。
それらは色あせることなく、僕のまぶたに焼き付いている。
――……
――……
今、王都の騎士見習い寮の稽古場に、鮮やかな金の髪が舞う。
騎士服の上着を脱いでいるアラン騎士団長は、一見、白のブラウスで軽やかに見える。
だが、実際はその腕の角度も首から背にかけて伸ばされた姿勢も、上体を支えつつ、タイミング良く歩を進める両足の動きも、すべてが計算されつくしたかのように相手の技量に合わされている。
僕は、今、まさにアラン騎士団長の剣技を間近で見て――……感嘆のため息をつきそうになる。
けれど、必死にこらえた。
美しいその動きは、子どもの頃に見た、あの姿以上に研ぎ澄まされている。
息をついている間に、その俊敏な動きの一つでも見落としてしまったらもったいないと思った。
それはきっと僕だけの想いじゃない。
僕の横にも後ろにも、多くの見習いたちがいるが、皆、息をつめたように静まり返っている。
先ほどのバリーとアラン団長との戦いの時のような野次は一つも出ない。
出しようが、ない。
完璧に、アラン団長の動きは的確に相手の動きを封じ――……
「終了!」
アラン団長の剣が相手の剣を押さえこんだ時点で、審判役を務めていた騎士見習い指導者の声が響いた。
アラン団長は剣の動きについて、幾つかの説明と指導を加えた後、他の稽古を見るために離れていく。
その背を見送ったときに、背後でため息が聞こえた。
「やっぱ……すげぇな」
「あぁ。バリーじゃないけど、俺もアラン団長が女にうつつ抜かしてるって噂、ちらっと聞いてたし……今日も突然婚約者連れてくるっていうし、正直、良い印象がなかったんだ。でも、今の見て、俺が間違いだったってわかる」
「……無駄がねぇ、ほんと、何、あのまとまった動き」
そんな会話までもが聞こえてくる。
だがそれらの話に少しずつ翳りが見えてくる。
「生まれが貴族でさ、顔もよくって、剣の腕も良くて……選ばれた人間っているんだなぁ」
「だよなぁ。もちろんアラン団長が鍛錬の時間を減らしてないっていうのはあるだろうけど……それだけじゃなくって、生まれもった才能ってあるのかもな」
僕は、もう一度ため息を呑みこんだ――今度は感嘆のため息でなく、失望のため息だったが。
それから気を取り直して、振り返った。
「ほらほら、話はもう切りあげろ。もうしばらくしたらアラン団長と美香さまの見送りとなるはずだ。それまでに武具を片づけなきゃいけないだろ、行こう!」
早口でそうまくしたてると、少し愚痴がまじりはじめていた見習い達が、時間がせまっていることに気付いたのか「いけね!」と言いつつ、バタバタと動きはじめた。
その流れを適度に誘導しながら、僕は心の中で、昔を思い出していた。
アラン様の輝けるその姿は、決して、天から勝手に降ってきたわけではない。人知れず、飽かぬ稽古を続けているからだということを。
それは単なる鍛錬という言葉にまとめることができないくらい、誠実に真摯になされている――その小さくとも綺麗な時を積み重ねるからこそ、あんな風に輝くんだということを。
――……
――……
僕と父が、隊長が促してくれた丸椅子に座って、アラン様の剣の技を見た後――そして、少なくともあの頃の僕が知っていた街の騎士団の稽古場で一番強いとされていた隊長が、少しのせめぎ合いの後あっけなく負かされた後――アラン様は稽古場のすみに座る私たちに気付き、近づいてきた。
咄嗟に、父と僕は立ち上がる。
隊長が、
「いつも見学に来てくれるアスカムさんと息子のロイ君です」
と、さっと紹介してくれた。
近づいたアラン様は、遠くからみるよりも、ほっそりしているように感じた。
当時の僕からすれば見上げるような長身だったけれど、農夫として日焼けして逞しいからだつきをしていた父と、やはり大柄で髭もじゃの隊長がそばにいて身比べると、アラン様は頬から顎、また肩から腕にかけての線も細く見えた。
それに、剣を交わしている時にはもっと迫力ある雰囲気だったのに、父と僕の前に立つアラン様は、物語に出てくる王子様か貴族様という雰囲気だった。
「初めまして。アラン・ソーネットです」
律儀にそう名乗ってから、アラン様は少し笑みを浮かべて言った。
「……ロイ君は何歳ですか」
「は、九歳です!」
緊張のために、僕は勢いよくどもってしまった。
声も変に裏返ったようになり、いっきに赤面したのを記憶している。
「そうか……。剣に憧れて見学を?」
「はい!」
僕の返事に、アラン様は軽く頷いた。
そして、すっと目線を動かして父を見た。
「私もこのロイ君の年頃から剣を学び始めたので……懐かしく思いました」
そう言って、アラン様はすっと手を差し出した。
父は一瞬、きょとんとした。
だが、その仕草の意味に気付いたのか慌てたように、手を服でごしごしとこすってから――アラン様が出してくれた手と握手したのだった。
「お会いできて良かった」
そう言って微笑み、一度軽く握りあうと、握手は終わった。
僕は感動していた。
今、あの剣を握っていた――神聖ともいえるあの手が。
父の手を握ったのだ。
思わぬ出来事に茫然と立ちつくす父と私に、再び微笑みかけた後、アラン様は隊長とともに、また団員の前へと戻っていった。
その後、父が荷馬車を使う知り合いと話をつけているので、それにも間に合わないといけないこともあり、父と僕は早々に稽古場を後にすることになった。
稽古場を出て、しばらく歩くあいだ、僕らは無言だった。
僕はアラン様の剣の姿、また父と握手してくれた姿に興奮していた。夢のようで、言葉に出来ず、足がスキップするような気持ちだった。
だから隣を歩く父の足取りが重いことに気付くのに遅れた。
僕らが住む村の隣までいく荷馬車の待ち合わせは、整備されていない砂利と泥の道の傍だった。村までの道は、街から王都へと続く道と違い、石で舗装などされていないのだ。
そこで荷馬車を待つ間、ぽつりと父はこぼした。
「天から与えられたものが違うんだなぁ」
「え?」
「ロイ、父さんは……もしお前が望むなら……あんなに騎士達の稽古を毎月毎月飽きることもなく眺めるお前だから……もう少し大きくなれば、騎士見習いになるのも一つかもしれんと思ってた」
思わぬ言葉に、僕が顔をあげて父を見ると、父はうつむき加減でぼんやりと道の傍に生える草を見ていた。
「父さん、どうしたの」
「ロイは賢いし、体力もある。ちゃんと稽古つけてもらえば、いっぱしの騎士として……それなりに名を馳せて、国のため、民のために働いて、出世できるんじゃないかって思っていた。そうすりゃ、母さんも喜ぶだろう?……馬鹿みたいに、夢見てた」
父は、ふっと笑った。
「でもなぁ、ロイ。今日、剣技大会の優勝者だとかいうアラン様みたいには……なれねぇな」
「……」
「九歳で、剣を握ったってよ?」
父はくしゃくしゃの顔で笑った。
「俺は、お前に……剣、ひとつ、買ってやれねぇ」
「父さん」
「平民出の騎士のなれの果てなんて……結局は、地方で埋もれていくだけじゃねぇか」
「父さんっ!」
「あぁいう、天分の才能、貴族の金持ちの家柄、お綺麗な顔……すべて引っ提げて生まれてくる、そんな奴らが王都を守ってんだな」
僕は声を荒げて。
「父さん、やめてよ、なんだよその言い方!」
僕は、父の暗い影を含んだ言葉が胸に突き刺さっていた。
今さきほど見た、アラン様の輝かしい姿を汚すような言葉に、腹を立てた。
「父さん、アラン様と握手してたじゃないか!アラン様は、優しい言葉をかけてくれた、どうしてっ、どうしてそんな言い方するんだよっ!」
僕の怒鳴り声に、父は反射的に僕の方を見て、強く言い返した。
「だからだっ、曇りがなかったからだっ!」
僕は茫然とした。
父は、大きく肩で息をしていた。
僕が父の目を見ると、父はギラギラとした瞳を一瞬みせたが、すぐに伏せてしまった。
そして――……。
目を閉じた。
「アラン様と握手したとき、その時のあの青碧の瞳……なんの侮蔑もなかった」
「父さん……」
「そりゃあ、綺麗な瞳だった。平民の俺に、明らかに貴族出身とわかる所作の坊ちゃんが、剣だこのできたものすごく硬い手で俺の――……父さんの手を握ったんだよ。ためらいもなく、敬意すら含ませて」
「……」
「金も家柄も才能もあって、しかも心根も良いなんて――……なぁ?」
父は、肩を落とした。
「俺は……ちっぽけだな」
傾いた陽が、父の表情に影を作った。
今なら――十八になった僕なら、その時の父の苦しいような気持ちを少しは思いやることができる気がする。
父もまた、圧倒されたのだろう。
だが、あの頃の僕のようにアラン様の容姿の輝きや剣の力に圧倒されただけでなく、自分の住む世界、暮らしの狭さに気付かされ、そこに漂う王都の気配に圧倒されたのだと思う。貴族の暮らし、豪華さ、贅沢――それらのものを、大人として嗅ぎ取った。そして、我が身のつましい暮らしがみじめにすら感じたんだろう。
けれど、それは今だから思うことであって。
あの頃の僕は、まだ九歳で。
そういう愚痴のようなものを零す父の姿は――正直言って、哀しい醜さとしかうつらなかった。
だから、愚かな僕は、荷馬車が来てくれて、父が積み荷を乗せて次に僕を馬車に引き上げようと腕をのばしたとき。
父の腕を払いのけて、街に向かって、走り出してしまったのだ。
父に背をむけて――……。
無我夢中で、小さな街へ。




