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34 知らざる姿 2 (ミカ)

ミカ視点です。

 騎士見習いの整列によってできた道を、緊張しつつアランと歩いていくと、列が終わるところは、敷地内にある中でも一番大きな建物の前の石畳となっていた。

 こんなテレビで見る有名人の結婚式だとか、王族のお出迎えみたいな状況、初めてのことで、緊張しないようにしろっていう方が無理。

 私はうつむかないようにするのと、怖気づく足をとにかく前にすすませるのが精一杯だった。

 

 アランが立ち止まったので、私も歩みを止めた。手をつないだままアランの隣に立つ。

 するとまたどこかから号令がかかり、今通ってきた整列した騎士見習いたちの身動きする足音が聞こえる。おそるおそるちょっと顔をかたむけて後ろをみると、私とアランの背後には騎士見習い達が一人も乱れることもなく並びなおされ、今通って来た人の整列できた道が閉じ、すべての騎士達が私たちのいる方を向いていた。

 そのピシッと統率された一挙一動に気おされて、私はあわてて前を向いた。

 号令直後の足音がなくなると、広場はまたしんと静まりかえった。


 前に立っていた深緑の騎士服姿の大柄な騎士と、10代後半に見える紺色の騎士服を着た青年が、私達を迎えるように歩み寄ってきた。

 背後にこんなに大勢の人の存在を感じるのに、聞こえる音は、前から歩み寄ってくる二人の騎士の足音と、歩くたび剣の鞘がベルトでこすれるかすかな衣ずれの音だけ。

 そのあまりに統率された空間に、私はますます緊張する。

 

 歩いてきた二人の騎士は、アランと私の前に立つとそれぞれ右手を左胸につけている何かの紋章のようなバッジに当てて、二人揃って礼をした。

 二人は顔をあげると、大柄な騎士の方が、

「近衛騎士団長アラン殿、寮生全員、首を長くして待っておりました」

と少し笑いながら言った。

 アランに向けられる雰囲気が、なんとなく親しげだなぁと思っていると、そのまま私の方に身体を向けて目をあわせてきたのであわてる。

 遠目には大柄で一見強面に見えた騎士だったけれど、実際はその眼差しは険しくない。

 

 少しほっとしながら私が騎士の顔を見上げると、

「修練生指導総長のユージン・フィーです。以後、ユージンと」

と私にも少し微笑んで自己紹介してくれた。大柄な身体に似合う、低くてしっかりとした武人という感じの声だった。

 私はあわてて「ミカです」と一般共用語で返事をして、空いている方の手で少しスカートをつまみ膝を軽く折る礼をした。

 

 私の名乗りを聞いた後、ユージンはアランと私の前に隣の青年を少しひきよせた。それにこたえるように、隣の青年は「修練生代表、ロイ・アスカムです」とはきはきと答える。青年のロイは、見るからに憧れを込めた眼差しでアランを見上げている。

 アランはそんな眼差しに照れるわけでもなく、穏やかに頷くだけの答えをし、顔をあげて周囲を見回すようにしながら、柔らかな言い方なのに不思議とよく通る声で言った。


「出迎え、感謝する。こちらは美香、私の婚約者だ。遠き地よりフレアに来た姫で事情があり家名をあかしていない。だが、後見人は我が兄ディール・ソーネットである。それ相応に遇するように」


 その言葉に、目の前のユージンは一瞬、ピクッと眉をあげた。

 だがすぐに平静な表情になる。


 どうしたんだろう……。

 私は、ユージンの一瞬の表情の変化に動揺してしまい、とっさに隣のアランをわずかにみあげてしまった。

 

 アランは悠悠とした態度で周囲を眺めていたけれど、私のわずかな動きに気付いた。そして、すぐに顔をこちらに向けた。

 注がれる青碧の視線。 


 ――……あ。


「美香……どうしました」

 アランは、小さな声でそっとたずねてくれる。

 優しく呼ばれる名前。そして、アランの眼差しは、とてもやわらかくあたたかく、どこか甘さがあった。

 今のいままで、横から見上げていた眼差しは、全てをみすかすような何か大きなものを感じさせる雰囲気だったのに、今、私に向けられている瞳は……いつもの、アランだった。気遣うような、こちらをのぞきこむような、問いかけと甘さに満ちた瞳。


 そのことに、ホッとして、私は軽く首をふった。

「いえ…」


 アランの瞳がこちらを心配するような色あいを見せたので、私はあわてて意識して笑みを浮かべる。この心配性なところは、本当にいつものアランだ。


「大丈夫、あまりに皆さんの動きが立派だから、凄いなぁと思って圧倒されただけです」

 

 そう言うと、アランは「それならいいのですが。もし疲れたのなら、すぐに言ってくださいね」と、微笑んだ。

 

 私がアランの言葉にうなづくと、私とアランの会話を聞いていたユージンが「ミカ様」と声をかけてきた。

 

 ユージンを見ると、

「ミカ様にお褒め頂ければ、修練生達ももっと士気が高まるんですが…。もしよかったら、皆に向かって言ってもらえませんかね」

 

 意外な言葉にユージンの顔を見つめてしまう。厳つそうな眉を少し困ったようにひそめた。

「正直なところ、皆……もともとアラン団長の視察に浮足立っていたところに、その婚約者様もいらっしゃるということで、興味津々といいますか……」

 私はユージンの率直な言葉に驚き、返事につまった。

 そのとき、隣のアランがすっと低い声で、

「ユージン、美香は人目にさらされるのに慣れてはおらぬ。そこまでにしろ」

と、ユージンの次の言葉を遮った。 

 アランの私を守るような言葉に、ユージンはふっと口元を緩めた。私に向けていた困っている表情はそのままに、苦笑を浮かべている。


 私はなんだか申し訳ない気持ちと、突然見学に来た自分の立場も思って、

「わ、私で役にたつなら……」

と声をあげた。

 今、ここまで歩いてくるのにも必死だったのに何を言っているんだろ……と、心の半分では自分の言葉に呆れているんだけど、残りの半分がこうやって出迎えてくれるからこそ、ちゃんと挨拶しなきゃと思った。

 行列の中を通りぬけて、アランが騎士の中の騎士、近衛騎士団長という立場を背負っているんだとまざまざと感じさせられた。

 だからこそ、私にもわかったことがある。


 ――……うつむいて、おびえているわけにはいかないんだ。

 

 これから――……黒髪黒眼というだけで「見られる」だけじゃなくて、「近衛騎士団長」の婚約者として「見られる」んだってことが、このほんの数分でもよくわかったから。

 アランの婚約者としてこの国にいたら、黒髪黒眼という外見の問題じゃなくて、もし私がフレア王国出身の女性の外見だったとしても、きっと同じように注目されるんだろう。たとえば日本で有名な芸能人やスポーツ選手の結婚が注目されてテレビ報道されたりして、みんなが知るところとなるように。


 それくらい、近衛騎士団長――……騎士団の立場は、このフレア王国で重要な位置なんだろうなって、今、みにしみて、皆の視線を受けてわかった。


 今なら、婚約が決まった途端に私に届けられた、たくさんの見知らぬ貴族たちや街の娘たちからのプレゼントも、当然の成り行きなんだって思える。

 前の外出で、黒眼黒髪を隠した姿の私とアランが手をつなぐのを、ディール様が途中で変わってきた理由も。

 

 本当にアランは、「有名人」で注目される人だったんだ……。冗談や言いすぎじゃなくて。

 そんな凄くふだんから注目される立場にある人が「婚約」するとなったら、婚約者である私の一挙一動もすごく大切になってくるはず。

 日本で婚約報道や結婚報道がテレビであったときに、お相手の人が仏頂面で逃げ回っていたら、どんどん不仲説を呼んでしまうように……。

 今ここで私がうつむいていたり、前のように黒眼黒髪を隠して自分以外の姿になろうとしたりして逃げてしまえばしまうほど、どんどんいろんな憶測を呼んでいくだけ。

 そして、アラン自身の評判を落とすことにつながる――……。 

 

 私はちょっと息をすって、ゆっくりとはいた。


 星の降る夜のテラスで、私はのばされたアランの手に自分の手を添えた。

 唇を受けた……。

 アランと寄りそっていくのを、いやじゃないって――……伝えた。


 ――……帰りたい。

 でも、帰れない。  

 どこにも行く場所がない――……アランだけが、私の名を「美香」と大切に呼んでくれる。


 まだ、「好き」と言えるわけじゃない。

 今抱える気持ちが恋かどうかなんて、私には正直よくわからない。

 でも、信じはじめているんだ……。たった一人、この人の言葉を。


 この人の言葉は――……いつも、一途だ。

 態度や行動は、紳士だったり子どもだったり、すねたり、統べる人の堂々とした姿だったりとらえどころはないけれど。


 でも、アランの言葉は、ずっと変わらず同じことを伝え続けてくれるから。


 私のことが大事だって……。

 守ろうとして、守りきれないといいながらも、必死にいつも私のことを考えてくれる……。そうやって、一途に私に気持ちを向けてくれるのは、この眼差しから伝わってくるから。

 この海のような煌めいた青碧の双眸に、バラの深い香りのような甘さがただよって、私に届けられるから。

 この言葉は、もしこれから先はどうなるかわからなくても、今この瞬間はアランの気持ちそのもの、嘘のないものだって……信じられるから。

 だから――……。



 私は、意識して口角をあげ、目の前の今、自己紹介したばかりのユージンとロイの瞳を順に見る。騎士らしい強さと逞しさを備えた薄茶の瞳のユージン。きらきらと希望と憧れがあふれ出ている明るい青い瞳のロイ。

 私はできるだけ一般共用語でミスがないように心しながら、ゆっくりと言った。


「私は、こちらフレア王国についてまだ知らないことが多く、また騎士団についても未知なのです。こちらのみなさんにどのようにお話したらふさわしいか、もしアドバイスがあるならばいただきたいのですが」

 

 言い終えてから、一生懸命笑みを浮かべた。

 ちょうど、夏の日差しの中でほっとさせるような涼やかな風が吹き抜け、風によって私の黒髪がなびき、とりわけ強い風が吹き抜けたとき、髪がいちだんと舞った

 それにユージンが一瞬目を少し細め、ロイが一面食らったような顔をした。

 黒髪が珍しいか不快だったのかと思って、私はすこし首をかしげた。


「ユージンさま、ロイさま?」


 私が声をかけると、ロイはいっきに赤面して、

「あ、あの、ロイと、名は呼び捨ててください!」

と叫んだ。

「え……あぁ、ごめんなさい」

 私が苦笑してあやまると、ロイはぶんぶんと首をふる。するとユージンが、ロイの腕をがしっとつかみ「おちつけ」と小声で言ってから私にむかって、


「ミカさま。アラン団長の婚約者さまですから、私のことも敬称はけっこうです。そして……修練生には、ミカさまがアラン団長と並ばれにっこり微笑まれて、さきほどお褒めくださったようなことをつけ加えてくだされば……それに、軽く手でも振ってくだされば、それで、すべて良いように向かうかと」

と、ちょっと笑いながら言った。

 ユージンのその笑いが、アランが私をからかうときの微笑み方と似ていたので、私はなんとなく安心する。そして「良いように向かう」という言葉が妙にストンと心に落ちて、気にいった。


 ――……良いように、向かう、かぁ。

 

 私はふたりに頷いて、アランを見上げた。

 アランの眼差しは気遣わしげで、そして不思議と切なさそうな目をしていた。

 私は微笑みをアランに向けてから、少し呼吸を整える。


「一緒に、みなさんの方に向いて、ごあいさつを」


 アランは頷いて、私と手をつないだまま、整列している騎士見習いの修練生の方に向いた。

 

 皆の眼差しがいっきに自分に注がれるのを感じて、その瞬間、息が詰まる。

 でも、アランがそっと繋ぐ手を強めてくれて、先に皆にねぎらいの言葉をかけた。

 その良く通る、私と話すときよりかはもっと力強い話し方のアランの声を聞いていると、だんだんと心が落ち着いてきた。

 アランの言葉が終わったとき、私も顔をあげて、並ぶ青少年達を見る。

 心持ち声を高く大き目にだそうと意識する。


「ミカです」

 

 私は名乗ってから、一度言葉をきった。

 次の言葉を言う前に、心の中で……

 

 ――……おかあさん


 母を、呼んだ。


 ――……ごめん、おかあさん。帰るチャンスを見つけたら……必ず、お母さんのところに戻るから…。忘れたわけじゃないの。忘れようとしてるんじゃないの。

 ――……でも、いま、ここで生きている間は、生き抜く間は…アランのそばに立つことを、それを言葉であらわすことを……。

 ――……ゆるして。


「皆さまも、一糸乱れぬ整列、とても美しかったです。近衛騎士団長アラン様との……婚約者として、こちらを見学させていただけますこと、とても嬉しく思います」


 『婚約者として』と言葉にしたとき、つないでいる手にキュっと力を込められた。

 剣の稽古を重ねて剣ダコをいくつも重ねたようなアランの節張った大きな手が、さらに私をすっぽりとつつみこむ。


 ――ここは、お城なの?

 ――フレア王国、どこそれ?知らないわよ……世界地図もってきてよ…。

 ――魔術師?魔力の有無?そもそも魔法なんて、私は使えない!使える人なんて……会ったことすらないよ…。

 ――近衛騎士団長?それ、どういうものなの?


 何も、わからなかった。

 たった一人だった。

 今だって……、よくわからない。私はどうしてここにいるのか。

 知らないし、わからないし……もう、いいかげん覚めて欲しい悪夢かもしれない。


 でも、ぎゅっと握られた手のあたたかさ。

 目の前に広がる、整然と並んだ青少年たちの眼差し。

 吹き抜ける風、輝く太陽。


「美香……」


 小声だってわかる、心をこめられて呼ばれる……私の名前。

 私は背筋を伸ばして、そして、できるだけ優雅に見えるようにゆっくりと空いた左手をそっとあげて、微笑みながら、手を振った。


 ――……アランの隣で。婚約者として。




次回もミカ視点つづきます。


11/19 誤字訂正

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