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29 雄弁な瞳-1(アラン)

アラン視点です。(星降る夜①のアラン視点になります)

 

 いつからか私の目は追いかけていた。

 最初は、窓から見える風になびく黒髪を。

 気付くと、食事やお茶の時間を共にするときの黒い瞳の、その視線の行く先を――……。

 

 私を見ているようで、見ない黒い瞳。

 微笑んでいるのに、泣きそうな瞳。

 軽く怒ったような口調で言い返してくるのに、寂しそうな瞳。

 黒く濡れたような瞳はいつも何かを探るようにこちらをみて、こぼれるような感情をあふれさせてくるときがある。

 その瞳にこたえようと、言葉と態度にして私からたずねようとすると、静かに突っぱねて距離を置かれてしまう。

 

 人に対しての表現としてはよくないのかもしれないが、

「猫のようだな」

と思ったことがある。

 こちらの気配に敏感なのに、その心情はあまりあかさない。

 貴族たちの一部で猫を飼って愛でることがあるらしいが、そういう飼いならされた猫というよりは、うまく立ち回って餌をもらってすり寄って来たかと思うと、すっと音もなく去っていく――……黒猫。


 明るさとしたたかさと、強さとを持ち合わせていて、接しやすい。

 媚びないが、こちらが思っていなかったところで喜び感謝の言葉と笑顔を向けてくる。

 育った世界、そこにおける文化の違いもあるのだろうが、小さなことに感謝して使用人のことまで気遣い、そしていつのまにか対等に友人のように接しあえている姿は、騎士団寮の中で身分差や自分の幼さのせいで人間関係にもがいた私にとって、眩しく美しい姿にうつった。

 


 美香――強くて、明るくて、でも可愛らしくて、からかいがいがあるけれど卑屈でない、前を向く強さのあるひと。


 初めて、手に入れたいと思った。

 ずっとずっとそばにいて、ともに暮らしたいと思った。

 こちらの国に馴染ませたかったし、いつか元の世界に戻ってしまうのではないかと恐れてきた。


 けれど、そうやって彼女を手に入れたいという想いに夢中になるうちに、私は大きなことを見落としてしまっていたのかもしれないと、ここ数日の出来事を重ねて気付いた。

 思い返せば、私がもっとはやくに気を配らなければならなかったことは、もうずっと前から転がっていたのかもしれないのに。


 

 急な婚約者の決定に不服そうな顔をしても、言葉では決して拒絶しなかったこと。

 楽しみにしていたであろう「外出」に対しても、決して行き先をたずねてこなかったこと。

 両親の墓石の丘での消えてしまうような儚げな微笑み。

 城下で殿下たちと合流した後、街を歩く中、そばから離れて戻ったときに表情がかわっていたけれども、とりつくろうように笑顔を向けていたこと。

 まるで堰きとめていた何かをあふれさせるように私の前で泣いたときでさえ……何も、語らなかった彼女。

 もっと細かなことでいえば、婚約者と決まって外出の話をしてから、私を「アラン様」と呼ぶようになり、言葉づかいをかえていこうとしていた……。


 私はそれらのことを、いつも少し違和感や疑問を思っても、深く考えることをしなかった。目の前の彼女が可愛くて、触れたくて、その時の自分の思いだけに流されて……。

 彼女のそのささやかな違和感ある態度には、古語どころか一般共用語までも学んで話せるようになりながら、自分の想いを言葉にしないという共通点があったのに。

 特に悲しみと怒りについて、まるでそれだけ拾い取るように言葉に表さなかった美香。


 

 その答えは、たった今さっき彼女の口からこぼれでた。


『いつもね、マーリやグールドさんがついていてくれるでしょう?会話に入らなくても、傍にひかえてくれている人が誰かいるというか……』

『アランは貴族生まれだし、そういうの当たり前で育ったんだろうけど……私の生まれ育ったところでは、そういう傍にいつも誰か控えてる経験ってなかったから。前の外出でも、馬車では御者の人がいるし、ディール様たちも合流したし……』

『こうやって二人なのは、初めてだよね』


 そして私の中でバラバラだったパズルのピースがはまっていくように、今までぼやけていた美香の姿がもっと明確なラインをもって見えてくる。

 

 今までなんども過ごしてきた、お茶の時間。  

 バラのジャムをもらったときの、二人でソファに座って頬に口づけた時間。

 馬車の中で手をつないでよりそっていた、時間。

 彼女の涙を受け止めた時間。

 夕暮れの丘で抱きしめて口づけた時間さえも。


 ――……彼女にとって、「私と二人きり」な時間ではなかったという事実。

 私以外の存在を常に気にしていたということ。

 美香は――……自分がいつも誰かに見られ、そして自分の発する言葉がいつも誰かに耳を傾けられていると、常に感じながら過ごしてきたのだ。一年間も。

 それで本心を言えるはずがない。

 気が休まるはずがない。


 そんな当たり前のことを、私は見過ごしてきた。

 それが今、彼女のふとつぶやいた『こうやって二人なのは、初めてだよね』という言葉で表わされてしまった。

 私と同じ状況にいても、感じていたものが違ったというのに。 

 美香と私には一緒にいても、見えて感じる周囲の状況が、違うものだったというのに。

 ……今の状況に彼女がどう感じ思っているのか、私はひとつも……かけらさえも尋ねてこなかったのだ。 



 騎士団寮時代、同期の見習い騎士たちに揶揄されたことを思い出す。

 ――……おぼっちゃま、アラン。


『こいつ、いつも誰かが仕えてくれてると思ってるんだぜ!』

『お~い誰か、添い寝してやれよ~!おぼっちゃんはひとりでなぁんにもできないからな。寂しくて夜泣きされたらかなわないからなぁ』

『洗濯を教えて欲しい?自分でそんぐらい、横で見て試して学べよ!なんで洗濯のしかたをいちいち時間をとって教えないといけないわけ?』

『お坊ちゃんアランが唇かんでるぜ!』

『ははは!血が口紅みたいで、なかなか綺麗な顔で良いんじゃねぇ?』


 騎士団寮の少年部は、それまで暮らしてきたこの伯爵邸の生活とはまったく違う暮らしだった。

 身の回りのことを自分ですべてして、相部屋でごったがえして暮らす生活は、騎士団寮の少年部に騎士見習いで入寮したほとんどの者にとって、「当たり前」の暮らし方だった。洗濯、ベッドシーツの準備、衣服や靴の手入れ、宿泊演習のときの料理、テント張り――……。

 同じ寮に入寮し、同じ生活をしていながら、それまですべてを使用人にまかせて剣術の稽古だけをしていればよかったような私にとって、この騎士団寮での生活は、学習と失敗の繰り返しの初めてだらけの生活でしかなかったが、他のおおくの少年たちにとっては「食いっぱぐれのない、騎士になる鍛錬に集中できる恵まれた生活」であり、捉え方に大きく差があった。

 その差をからかわれ、暴言もあり、時に取っ組み合いのけんかもして、私は周囲にすぐに馴染んだとはいえなかった。

 だが結局のところ、「正騎士になる」という共通の想いが、私にもまわりにも見習い騎士みんなにあった。その中で、価値観の差をうめていくことができたし、気持ちを交えていくことはできたのだ。

 

 でも、美香には何があったのだろう?


 言葉は通じても、つかわれる言葉そのものは異なる。

 もちろん文化は違い、歴史も環境も違う。 

 彼女がこちらに来たときの衣服も持ち物も、王城と聖殿の方で分けて管理されている。彼女の手元に何も、残っていない。

 そんな美香が、何をもってこちらに馴染んだというのだ。

 ――…そう、彼女のもてる存在のすべてで、私たちとやりとりしてきたのではなかったのか。

 つまり、行動、態度、心遣い、発言で自分の今の居場所をつくりあげたのだ。

 たったひとりで。

 心はどれだけ、どれだけ……孤独だったろう。

 


 ランプに照らされた夜のテラス。

 気持ちのよい風がそっと頬をなでていくテーブルにつく私と美香。

 ほのかなオレンジ色の明かりが親密な雰囲気を作り出してくれる空間で、私は目の前にいる美香の、明るさと素直に見える喜怒哀楽の表情の向こうにある、たった一人で戦う美香の孤独に――初めて思い当たったのだった。





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