閑話 「ことばの裏側」(マーリ)
ミカ付きの侍女、マーリ視点です。
本編「10・11」後、「12・13」の前の様子です。
ミカ様が、泣き腫らした眼をされた朝。
アラン様とのぎこちない会話と、『だって、ファーストキスだったんだもの!』宣言……。
その時、私は思いました、思いましたともっ!
「アラン様、言ってたことと違うじゃありませんか!」
私がテーブルをダンっと勢いよくたたくと、向かいに座るグールドが、ピクッと眉をあげた。
ここは、食堂のテーブルのかたすみ。
ミカ様は早々とついた家庭教師にみっちりしごかれており、私は手持無沙汰になっていて、グールドを巻き込んで話につきあってもらっている最中。
アラン様はこれから王城の出仕で部屋で支度中のはず。
今、食堂には私とグールドしかいない。
「マーリ殿、テーブルがいたみます」
「いたみません! グールドさん、ひどいと思いませんか? アラン様、ほんのちょっと前に、こう私におっしゃったんですよ!」
アラン様は、ミカさまに厄介払いと言ったことをとがめた私に、切ない眼をむけてこうおっしゃったのだ。
『想いを募らせて伝えたとして……ミカは受け止められないでしょう。こちらに来てたった一年です。私の強い想いをぶつけたら、戸惑って苦しむかもしれない』
『彼女が苦しむのは、望んでいないのです。想いを告げるのは、もっとミカの心が安定してからで良いのです』
それが!
「どうして、ミカ様は、泣き腫らした眼でいらっしゃるんですか!」
「私にはなんとも」
「どうして、ミカ様がアラン様をかばうがごとく、『ファーストキスだった』みたいな言葉を口にしなきゃいけないんですか!」
「マーリ殿」
「グールドさん!」
私はキッとグールドさんのグレーの瞳を見た。
「これはっ! アラン様が暴走なさったとしか思えないでしょう!」
「……暴走」
「恋に不慣れというよりも、そもそも恋愛感情を育てるほど安定なさっていないミカ様に対して、アラン様が我慢きれず『手を出した』んじゃありませんかっ?」
私がもういちどダンっとテーブルをたたいたときだった。
「そうですね」
耳にするのは主の声。
思いもよらない声と返答に、振り返るとアラン様がいた。
さきほどの朝食時のブラウス姿ではなく、王城に出仕するときの近衛騎士の正装姿。
アラン様は声をあげていた私をとがめることなく、すでに立ち上がりアラン様の御用を聞く姿勢となっているグールドに話しかけた。
「グールド、もしミカが何か料理でも裁縫でも、何かをしたいと望んだら、あの部屋を使わせるように」
「御意」
その言葉に驚く。
『あの部屋』って……。
私は、この館でずっと掃除のみの入室しか許可されていなかった部屋のことを思い出す。
その部屋をお使いになっていた「アラン様のお母様」にお会いしたことはないけれど。
私の知る限り、とても大事に保たれていたその部屋を、ミカ様が使うようにアラン様が指示なさるなんて……。
その意味は。
この国の貴族が女性にあの部屋を許す、その意味は……。
家族になりたいと。
あなたが作るものを食べたいと、わかちあいたいと願うこと。
あなたが糸を通してくれるものを身につけたいと、願うこと。
あなたが用意する菓子や小物に毒や針が隠されていないと、信じること。
すべてを信用する、ということなのだ。
特別な特別な意味が込められている。
そうだ……あの部屋への許可は、「求婚」に値する意味を含むというのに……。
私は歯がゆい気持ちでアラン様を見た。
アラン様、そんなあっさりとグールドに指示していますけど、それって、まずはミカ様ご本人に説明しなかったら、ミカ様には、なんにもわからないじゃないですか!
アラン様がいくらミカ様を想っていても、口づけだけして気持ちをわかるように伝えなければ……。
それじゃ、ミカ様は。
ミカ様は…また泣き腫らした眼になるだけだ!
我慢しきれず、私はアラン様を呼んだ。
「アラン様!」
アラン様はこちらに目を向けた。さっき暴言を吐いていた私なのに、とがめもしない。
受け入れるかのような眼差しに、私は差し出がましいのを承知で叫んだ。
「アラン様、ミカ様にはっきり告げるべきです!」
「……」
「好きだと、そのままに!」
私の言葉に、アラン様は小首を傾げた。
「アラン様のあふれるような想いと行動は、周囲からすれば一目瞭然でも、ミカ様からすれば恐怖に違いありません」
「恐怖……つまり、こわい?」
アラン様は、私の言葉に何かを思い出すように呟いた。
「そうです、こわがらせているんです! 完全に押し殺せるならともかく、漏れっぱなしの想いを断片だけ浴びせて……。その根本の思いが何なのかをはっきりおっしゃらなかったら、ミカさまからすれば、翻弄されているだけですわ! 見知らぬ世界でたったひとりで!」
「……そうですね」
「アラン様の行いが、ミカ様への想いゆえだと、お伝えください! そうでないと、そうでないと……」
「……何が起こるというんです?」
「ミカ様は、きっとおひとりでお泣きになります! そして、泣き腫らした眼で、私たちには笑いかけるんです!」
最後の言葉、私は無礼とはわかっていても叫びに近かった。
ミカ様は、こらえたように涙を流す。
こぼすように流す。
けっして、声をあげない。
そしてすぐに押し殺して、せきとめる。
たぶん、ひとりで泣くのだ。
見せる、数粒の涙は、貴重な…止めようとしても止められなかった気持ちの片鱗。
そして、わたしたちには、笑う。
元気に話しかける。
顔を上げて、明るい笑顔で。
たしかに、それもミカ様の魅力。
でも!
「館の者は、一年前に突然に現れたミカ様を最初は疎んじました。古語を話すけれど、こちらの常識は何も知らない。まともな労働はしたことがないだろうということは、その細い身体つきや手足の綺麗さでわかるものの、やんごとなき姫君のような楚々とした立ち振る舞いをなさるわけでもなく……はっきり言えば、不可解で迷惑な存在でしかなかったことでしょう!」
「……」
「戸惑い、嘆きにあるであろう少女のミカ様に対して、親しみをこめたお世話ができなかった者も多いと聞きます」
「……」
「けれども、皆、変わりました! ミカ様は、ぶしつけな視線も迷惑がる視線も、壁を作らんとする言葉にもめげなかった! 私は付き添っていませんが、王城や聖殿での審問も耐えられたからこそ……屈辱を感じることがあった日でも、顔をあげてきたからこその、今のミカ様のお立場です」
私がそう言いきったとき、アラン様はそっと目を伏せた。
「……わかっています」
「おわかりになってませんわ!!」
私は、はしたなくもアラン様に言い返していた。
「ミカ様は、明るいだけではありません! 寂しさも涙も持ってらっしゃるのに。朝、枕がしっとりと濡れていることも、眠れなかったのかお顔のお色が悪い朝だってたくさんあるのに。食欲のあまりない日もおありなのに! それでも、一度だって、朝食のテーブルにおつきにならなかったことも、言いわけをして家庭教師から逃げ出すことも、お茶や夕食を避けられることもありませんでしたわ!」
「……」
「それは、この一年……ミカ様が静かに努力されていたからです。どんな者だって、休みます。休日がございます。休憩をいれます。でも、ミカ様は全力で今までこられたのです。このフレアで生きるために!」
「……えぇ。ミカは……そうですね、とても頑張っている」
アラン様は切なげに微笑まれた……まるで、ミカ様のそのけなげな姿を思い出すかのように。
私はその微笑みに、願いを込める。
「ですからですから、どうか、ミカ様に憩いの時を……お与えくださいませ」
「憩う…」
「そうですわ。甘やかせてあげてくださいませ」
私がそう告げると、アラン様は苦笑された。
「甘やかせる……難しそうですね」
「そんなことありませんわ。恋人同士は甘いものです」
私が言い返すと、アラン様は少し考えるようにしてから言った。
「……ありがとう。とても大切なことを聞いた気がする。…まるで、マーリの方が私より年上のようだ」
「そんな! ご無礼をいたしました」
私は恥ずかしくなって、うつむく。
「いや、心から感謝しています。ミカのことを考えれば、私の心を開けて伝えることはとても大切なのでしょう。とはいえ、今は時間が迫ってますが」
アラン様の言葉に呼応するように、横からグールドが告げた。
「そろそろ出仕の時刻です」
「わかった、グールド、では、ミカにあの部屋のことを……頼む」
「御意」
******
グールドと私は、アラン様の出仕を玄関扉まで見送った。
騎乗で去ってゆく、白き近衛騎士のアラン様の姿は、日の光を浴びて後ろ姿ですら神々しくうつる。
門を出てゆく姿は、堂々とした美しき騎士そのもの。
近衛騎士団騎士団長アラン様ならば、望まれればどのような女子も傾きそうなものなのに。
見えなくなった姿を思い、隣のグールドに話しかけた。
「アラン様は、お綺麗で、美丈夫で、お優しくて、有能で、剣技は国内随一なのに……なぜ、あんなに恋の駆け引きに疎いのでしょう」
私はため息をついた。
そんな私にグールドが静かに言った。
「……奥様が……アラン様のご生母様が、亡くなる前に言われたのです。『男子たるもの、年老いた者・婦女子は何においても守るべき』と。そして『騎士道精神をその身に叩きこむように』と」
「なんですか、それ」
「アラン様はね……今では想像もつきませんが、本当にいたずらっ子だったのです。あの金色の髪にたくさんの枯葉や小枝をからませるようにして、森や庭園をはしりまわっていました」
グールドは、遠く懐かしむような瞳をした。
「よくイタズラもなさいました。カエルを侍女のポケットにいれたり、トカゲをぶらさげたり……」
想像もつかない。あのアラン様が?
「奥様は、お元気な頃はそのやんちゃぶりもあたたかく見守られていましたが、病床にあり先が長くないとわかると、心配されたのです。この先、このやんちゃなままで育ってしまってはアラン様がどうなるかと」
「……」
「それで、先ほどの言葉を残されました。そして、まだ12歳でありましたが騎士団入団を旦那様……当時の伯爵さまと決定されました」
「12歳で?ソーネット家の次男がですか」
「そうです。さらに、それが、結局のところ、遺言のようになってしまわれて…。アラン様は、自分のイタズラややんちゃが奥方様の心労となり死を早めてしまったのではないかと、誤解するようなありさまででした。もちろん周りはアラン様のせいではないと、説明し、責めるようなものだっておりませんでした。ですから、頭の中ではおわかりなのでしょうが……根本では怯えておられるのです。母との約束を違えては、また大切な人を失ってしまうと」
私は返事できなかった。
子どものアラン様が、約束を守らねば大切な人を失うと思い込んでしまう切なさが苦しかった。12歳といえば、うそをついたりいろいろ失敗したりして、叱られて成長する年ころじゃないの?
「おそらくアラン様の根底に、婦女子を大切にしなければならいと思う気持ちが強くあるからこそ、不審きわまりないミカ様が空から突然落ちてきたときに、身を呈して受け止められたのです。結果的に、アラン様はミカ様に夢中になりましたが……。ミカ様に夢中にならなくても、きっと婦女子というだけで、放りだすことはできなかったでしょう……それは心からうまれる優しさとは違います」
私は、アラン様のいなくなった庭園から門につづく道をグールドと眺めた。
私はまだ17で、実はミカ様よりも年下で。
知らないことは多い。
知らない気持ちも多い。
今あることがらには、その裏にはたくさんの人の想いや生きざまがあったりするんだ。父の研究している歴史と同じように。
「アラン様…ミカ様にお気持ちが伝わるといいですよね」
私が言うと、グールドはほほ笑んだ。
「大丈夫です。私たちの主人、アラン様ですから」
グールドの自信に満ちた微笑みに、私も頷く。
「そうですね! ミカ様もきっとアラン様の魅力に気付いてゆかれますよね」
きらめく太陽のもと、やさしい風が頬をなでていった。
どうか、お二人が形だけの婚約者でなく、一方的な片思いの婚約者でもなく……。
お二人が想い合った婚約者、そしてご夫婦となれますように。
私は心に強く願った。




