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12 奥方の部屋(ミカ)

ミカ視点です。

 午前中の歴史の家庭教師が帰ったころ、私のもとにマーリが、おおきな花束を抱えてやってきた。


「ミカ様。こちら、キースから預かったのですけれど…」


 バラ。

 見事な赤いバラばかり。

 マーリから受け取ると、華やかで少し甘くてうっとりする香りにつつまれた。


 よく見てみると、枝のトゲはすべて綺麗に抜かれている。キースがしてくれたその作業を思うと、花弁を料理に使うのはもったいない気がする。

 本来なら飾っておくべき、大輪の薔薇だ。

 昨晩、キースにバラが欲しいっていったとき、先輩庭師のドンがキースがバラの香りを食べてみたいって言ってたと話していたなぁと思った瞬間、バラの香りというキーワードに連結したように、アランが朝に私の手に口づけて言った言葉を思い出した。


『ミカは花開き始めた、初々しいバラのようですね。…甘い香りが漂う』


 あのときは、アランのむせかえるような甘い言葉に、びっくりした。さすがにあんな風に言われたら、驚くというか、どうしていいかわからない。

 フレア王国の価値観がいまいちよくわからないけど、とにかく私にとっては恥ずかしい言葉だった……。初々しいバラって何!?って感じだ。

 思い出していっきに頬に熱が集まるのを感じつつ一人照れていると、となりからマーリが心配そうな顔でこちらを見た。


「あのミカ様、なぜこんなにたくさんのバラをキースに頼まれたのですか?」


 マーリの言葉に、はっと我にかえる。

 いやいや照れている場合ではなかった。


「うん、このバラでね、料理するつもりなの。正確にいうと料理ってほどでもないかな……。ジャムにするんだよ」


 私は、朝のアランの妙に印象に残る姿を忘れるように意識しながら、マーリに答えた。


「え?」


 マーリはびっくりした顔でこちらを見ている。

 やっぱり、こちらではバラの花を食べるってことがないみたい。ジャムみたいな食べ物はでてくるんだけど、いつも果物を煮詰めたものなんだよね。

 ま、日本でもバラジャムってそうそう見かけるものではなかったけどね。


 私は腕まくりしながら、マーリを振り返った。


「というわけでね、マーリ。あのね、ちょっと厨房を貸してほしいの。もちろん皆さんの仕事に困らない時間、厨房が空いている時間帯でいいから」


 私の言葉に、マーリが戸惑いながらも、


「執事と女中頭に確認してまいります」


と言ってくれて、退室していった。


 バラの花は傷んでしまうし、香りがとぶから出来るだけ早い方がいいなぁ……と思っていると、すぐにマーリは戻ってきた。


「こちらへ。バラは私が持ちます」


と促してくれる。


 私が、今朝もらったクオレの籠と、使用人籠から拝借していたエプロンをもって自分の部屋を出ると、執事グールドが先導してくれる。

 後についていくと、館の一階にある厨房と食堂の前を通り過ぎ、奥の突き当たりの扉まで行った。


「え、あの私が用があるのは、厨房なんだけど…」


と慌てながら言うのに、グールドは「こちらへ」と言って扉の方までスタスタ歩いていく。

 私は、グールドが連れてきてくれた場所に戸惑う。


 奥の小部屋に通じるこの扉は、いつも鍵がしまっているはずの場所だった。

 この扉の向こうの部屋は、15年ほど前に亡くなった前伯爵夫人……つまりアランのお母さまが使用していたと聞かされている部屋なのだ。

 でも、こちらに落ちてきて、この館に居候してる間、一度だって中は見たことがなかった。


 グールドさんは、扉の鍵を錠前に差し込んだ。ガチャリと音が鳴る。

 彼がゆっくりと扉をあけると、その部屋の中は薄暗くてあまりよく見えなかった。

 窓のカーテンがしまっていようだ。

 一歩中に入っていいのか戸惑う私の横で、グールドさんが言った。


「ここは、亡き奥様であるアラン様のご生母さまがお使いになっていた部屋でございます。……館の厨房は料理人や菓子職人の仕事場でありますゆえ、奥様はこちらの部屋でさまざまなものをお作りになっておりました」


 グールドさんは、「失礼いたします」と私に断ってから先に中に入り、部屋のカーテンを開けていく。

 光が差し込み中が見えたとき、私は「あっ」と小さく声をあげた。


 光に照らされた部屋の内部。

 そこは、綺麗に片づけられて掃除もされ、おそらく当時そのままに大事にされていることがわかる部屋だった。

 壁際には、火が入れられる窯や火口があり、通気口にそって煙出しの配管もされている。

 書棚には本がたくさんならび、ライティングデスクもあった。

 揺り椅子があり、まるで今まで編み物をしている人がいたかのように、毛糸がそのよこに籠に入れておかれている。


 時を止めたかのような……ちょっと前まで誰かが使っていたかのような室内。

 その綺麗に「そのまま」保たれた様子に、だれかの思い出が詰まっているのがすごく伝わってくる気がした。

 この部屋の主人を大切に思う人が、大切にここを残してきたのが、何も知らない私ですらわかるような部屋。


「こ、こは、とても大切にされていた場所なのでは?」


 私は、気遅れしてしまって呟いた。

 グールドさんは、私の方を見つめた。


「……アラン様から、もしミカさまが何かつくりたいとおっしゃるようなことがあったら、ここにお通しするように言われております。朝、クオレをお望みになられたので、何かミカ様がお作りになると考えられたのだと思います。」


 アランの察しの良さには驚いた。

 クオレを欲しがっただけで、私が何かを作ると思ったの?まぁ、食べるとは思わないか…こんなに酸っぱいし。


 それはともかくとして、この部屋……。

 私はぐるりと部屋の中を見回してたずねる。


「ここは、アランのお母様のお部屋でしょう?」

「はい、アラン様のご生母さまのお部屋です。普段の寝室・居室は上階に別にございましたが、お菓子やかんたんなお料理、または糸やハンカチの染色に火が必要な時や使用人の手伝いが必要な作業が多い場合は、こちらをお使いになったのです」


 やっぱり、きっと思い出の部屋に違いないないのに……。私が使っていいんだろうか?


「伯爵さまのお母様でもあるのに、アランのお兄様の伯爵の許可はいらないんですか?」

「ここの館に関しては、アラン様にまかされておりますから…。アラン様が、ミカ様がお使いになることを、お望みなのです」


 グールドは、きっぱりと言った。

 その物言いに、私は遠慮していることの方がいけない気がしてきた。


「……わかりました。では、厚かましいのかもしれませんが…ここを使わせてもらいますね」


 私がそう言うと、グールドさんは不思議なほど、ホッとした顔をした。



 *******



 バラとクオレをテーブルにならべていると、下男が火種をもってきてくれた。

 そして後から、コックと菓子職人がそれぞれ鍋やビンを持ってきてくれる。


 コックと菓子職人の目はバラとクオレと行き来していて、興味しんしんという顔をしていたので、「バラジャムを作るのですが、見ますか?」と声をかけると、


「はい!」


と、待ってましたとばかりに、元気に返事をくれた。


 バラの花びらをマーリやコックと菓子職人で一枚一枚枝からはずしていると、「私も手伝います」「私にもやらせてください」と女中や使用人たちが増え、いつのまにかワイワイと人が集まることになった。

 よく見ると、出入り口にグールドさんもこちらを眺めている。


 そんなに、花を調理するのが面白いのか……。


 花弁の作業が終わったら、クオレを絞って果汁を集めていく。

 バラの芳香とクオレの甘酸っぱい香りが漂うなか、バラの重さをはかり、その倍の重さの砂糖を用意してもらう。

 バラの花びらにお湯をかけ、鍋にうつす。

 そこに砂糖の半分をかけて、用意してもらった火種の火口でことことと煮た。


「うわぁ良いかおりですね!」

 マーリや集まって来た使用人たちが、はしゃぐような声を出す中、焦げ付かないように鍋をかきまわしながら、花弁と同じ目方くらいの水と残りの砂糖を入れてさらに煮つめていく。


 となりでは、菓子職人やコックが「なるほど…最初に湯を通すのですな」「これは香りが気持ちいいですな」とか「お酒に漬け込むのも面白いかもしれぬ…」と話し合っている。


 煮詰めている間にバラの枝は処分してもらい、コックと菓子職人に、フレア国でのビン詰方法や殺菌の手法を聞いてみる。

 ビンの精密さは、さすがに日本のものとは違うけれど、おおまかには煮沸殺菌や脱気の仕方などは同じようだった。手伝ってもらいながら、ビンを煮沸殺菌して乾かしておく。


 ジャムの方は煮詰めたせいで、濁った黒に近い赤になっている。

 それを見て、菓子職人やコックは「香りはいいですが、やはり色は悪いですなぁ」と口ぐちに残念そうに言った。


 それを聞いて、どきどきしながら、私はクオレの果汁を見せた。


「たぶん、綺麗な色に戻せるはずです」

「!?」


 私は先ほど絞ったクオレの果汁……レモンによく似た酸味のある果汁を、煮詰めたバラの鍋に入れた。


「おぉ!」


 鍋をのぞいていた人たちに歓声があがる。

 クオレの酸によって、にごって赤黒くなっていたバラの花が、綺麗な赤色に戻ったのだ。


 やった!

 私は内心ガッツポーズをした。



 ******



「いやぁ、あの煮詰まって色が悪くなったバラの花びらが、赤く綺麗に変化したのは爽快でした!」

「ミカ様、これは画期的です! さまざまな野菜や花の調理に応用がききます! こんなありがたいことはありません」


 コックやコックみならい、菓子職人やらが、口ぐちに感謝の意をのべてくれる中、フレア国のビン詰方法を細かくチェックしてもらいながら、私はビンにジャムを詰め終えた。

 鍋の残りの分を味見してみると、バラの香りがひろがる。花弁の触感もよく煮詰めたせいで気にならないし、発色も鮮やかな赤。


 これなら、アランも驚くかな。

 自分でいうのもなんだけど、この綺麗でいい香りのジャムを手渡すときを想像して、私はちょっとにんまりした。


 ジャムの詰まった瓶はまだ熱く、手に長くはもてない。

 でも、その熱々さがうれしくて、私は何度も瓶を窓からの陽光にかざした。

 この世界に落ちてきて、初めての私の作り出したモノ。

 与えられてばかりいた私が、初めて自分の方からこのフレア王国に生み出したモノって感じがして、すごくうれしい。


 

 

 私は、アランとの婚約発表後、貴族やら街の娘たちからたくさんの贈り物が届けられ積み上げられて、気付いたことがある。


 ……私、だれかに、プレゼントひとつできないんだ、って。


 今、私は完全に与えられたものだけで生きている。

 衣食住すべて……いわば借り物みたいなもの。

 所持金もない。働いてもいない。

 落ちてきて、拾われて。大切にもてなされているんだけど、どこか飼われているようなものだ。

 それは薄々気づいていたけど、必死に目をそらしてきたことだ。生き延びたいからって、この館にしがみついているみたいで……本当はみじめな気持ちすらある。

 

 さらに、あの、貴族や街の人たちからの山のようなプレゼントをみて思った。

 こんなにもらっても、私の方からはプレゼントひとつ、用意できないんだなって……気づいたんだ。

 婚約のお祝いを贈られてもお返しひとつできない。

 私が何かを贈ろうとすれば、それは結局、アランが用意したものになるんだ。


 じゃあさ、例えばアランに私が何かを贈ろうとするなら、どうしたらいいんだろう?

 この世界でお世話になってる人に、たとえばマーリやグールドさん、この館にいる人に何かプレゼントしたいなって思ったとして、どうしたらいいんだろう?


 そんな風に思った。

 ……そこで思いついたというか、行きついたのが「手作り」だ。

 まぁ、結局、材料はこちらのをもらうわけだけど。

 せめて自分の手を動かすことに想いを込められるなら、それは与えられたモノじゃなくて、私が誰かに手渡せるモノになるんじゃないかって期待した。


 今、まわりの表情をうかがっていると、思ってた以上に、この作業は使用人たちには喜んでもらえた気がする。

 あとは、お味をアランやみんなが気にいってくれるかだけど……。

 もし喜んでもらえるなら、これはこの世界に来て初めての「私からの」ギフトになるのかもしれないと思って、胸がドキドキした。


 私はコックや菓子職人、手伝ってくれた使用人たちに、味を見てみるようにすすめてみた。


 すると、菓子職人とコックが、


「我々はアラン様の食事を準備し管理する者ですので、ひとくち味見させていただきますが…」

「アラン様のお口に合うと判断された場合、こちらの類いまれなる貴重なジャムは、アラン様のお口に入るまで、私どもも他の者も口にするわけにはまいりません」


と重々しく言った。


「え?」


 私が意味がわからず首をかしげると、マーリが横から言った。


「恐れながらミカ様に申し上げます。アラン様が、厨房ではなく、亡きご生母さまの、この私的な居室のご使用を許されたのは、ミカ様が初めてなのです」

「……」

「今まで、こちらの部屋は掃除人が掃除することのみ許されていました。それをミカ様がお使いになることを望まれたということは……アラン様はミカ様がお作りになるものを召しあがりたいと望まれているともいえるのです」

「え?」


 私はマーリの言葉に驚いた。


「このフレア国の貴族さまは、基本として食事の用意はコックに任せます。男性も女性も調理をなさることは、基本的にはございません。ただし例外がございます」

「例外?」

「はい。一家の主人の奥方様。もしくは女主人のみに限って、祭事のときの焼き菓子、特に子どもの成長をお祝いする祝い菓子と、家族の慶事の時に用意する料理と菓子だけは女主人が用意する伝統になっております。また紋章の刺繍も女主人の仕事でございます」

「つまり…」


 私はマーリから視線をずらし、その横にいるグールドさんや他の女中や下男、使用人の顔を見る。

 皆、ほほ笑んだ顔でこちらを見ている。


「アラン様は、ミカ様が将来の奥方さまとしてこちらをご使用になることをお認めになったということです」


 横でコックと菓子職人が、マーリの言葉にうなづいている。

 そして、コックが口を開いた。


「そうです。ですから、私ども厨房を預かる者としては、味見はさせてもらったとしても、奥方様がご家族のためにお作りになったものを、この館の旦那様より先にいただくようなことはできません」

「そういうものなんですか」


 私がちょっと驚きながら返事をすると、皆がいっせいに頷いた。タイミングをはかったかのように、グールドが言った。


「アラン様は、今日は夕方お帰りのご予定ですから、夕食のときにはお会いできるかと」


 ここまで言われると、アラン優先というのは理解できた。

 この特別な部屋で作られたものを、館の主を差し置いて食べるなんて、使用人の立場じゃできないんだろう。

 まさかこの部屋で作ることに、そんな意味があるとは思ってなくて、複雑な気持ちになる。

 私からのみんなのギフトになるはずが、これだとアランへのギフトになるってことだ。


「では、アランが帰ってきたら、そのときに、まずアランに渡しますね」


 私がそう返事すると、マーリがニコニコ笑いながら、


「綺麗にお包みしましょうね!!」


と言ってくれた。

 明るい無邪気な声に、ちょっと心が和んだ。



*****



 その後、コックと菓子職人に一口ずつ(たぶん毒味もかねた)味見をしてもらい了承がでたので、ジャムをつめたたくさんの瓶は籠にいれて、上階の私の部屋に運んだ。


 アランの亡きお母様の部屋を離れ、マーリと二人になり、ふーっと緊張が抜ける。

 マーリは、花柄や幾何学模様の入った端切れやリボンを持ってきてくれた。

 ふたりでビンを布で包んでリボンを巻いていく。

 柔らかいワイン色にクリーム色の刺繍糸で花が縫ってある布が一番綺麗に感じたので、その布で包んだジャムをアランのものと決める。


 その他のいくつものビンにも布と渡す人やグループのイメージをつなげていく。

 よこでリボンを用意してくれるマーリに、


「アランに渡した後は、ぜひマーリにも受け取ってほしいな」


と言うと、マーリはとっても明るい向日葵のような笑顔になった。


「楽しみです。ありがとうございます」

「でも、そもそもアランは受け取ってくれるかな。バラがジャムになるとは思ってなくて、食べてくれなかったりして……」


 満開のバラをみて、このまま散らすのはもったいないって思ってたときは、バラジャムの発案はなかなか名案だって思っていたんだけど、だんだんと自信が揺らいでくる。


「まぁミカ様。ご心配にならずとも、アラン様はもちろんお喜びになりますわ!」

「そうかなぁ」

「そうですとも!」


 可愛らしく包まれた瓶をみて、見た目はプレゼントらしくなったとは思う。

 あとは味だよね。

 朝、甘いものすきかと聞いたら、アランは甘いもの好きっていったよね。

 どうしよう…。

 ちょっとは喜んでくれるかなぁ。

 いろいろ思うことはあるものの、お世話にはなってるわけで。

 せっかくのお母様の思い出の部屋をあけてくれたのに、残念がらせることにはしたくないと思うし……。

 

 私の緊張を読みとったのか、マーリはくすくすと笑いながらお茶を注いでくれる。


「夕食の時のお召し物は、やはりバラ色のドレスにいたしましょうか? それとも、クオレのようなさわやかな色あいになさいますか?」

「え……ど、どうしよ!?」


 また迷う選択を与えられ、私は即断できずに、ひとまずマーリが入れてくれたお茶を一口飲む。


 ドレスの色か……。

 

 しばらく考えてから、心に決めた方のドレスの色をマーリに伝える。


「すぐにご準備いたしますね」


と返事するマーリの瞳が妙にキラキラしていた。



  





*執事グールドはじめ、使用人の意識の中では、まだ「奥様=女主人=アランの亡きお母様」です。ミカではありません。


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