第427話:臓腑喰らわば骨までも
路上を行き交う人々の頭上から、光り輝く太陽が地表へ光を注ぐ。暖かな光に太陽を見上げて感謝する老人、当たり前のもの過ぎて意識することなく通りを足早に歩いていく若者たち。
その地表からわずか数メートル下にあるのが都市カマーの地下道である。もっとも拡張に伴う金額があまりにも莫大で、費用対効果に見合わないと、すでに廃棄されている。その地下道よりもさらに深く。地表より数百メートルの地下深くに惨鎧斬の姿はあった。
本来であれば、土や石で埋め尽くされているはずの空間に縦横高さ10メートルほどの空間が造られていた。閉所空間による息苦しさはない。精霊魔法によって空気孔を作り、快適な空調管理をしているのだ。また明かりについても同様に精霊魔法で、一定の光度を維持している。
“弱き者を護れ”
「ヴェルンド、うるせえぞ」
脳内に響く声に惨鎧斬は悪態をつく。
“赦さない”
次は惨鎧斬に封印されている精霊の怨嗟の込められた声が続く。
「俺を恨んでも仕方がないだろうに」
鍛冶師ヴェルンドの手によって、鎧に何百年も囚われている精霊の恨みは計り知れない。最初はヴェルンドを恨んでいた感情は、月日が経つ毎に人種全体へと変わっていった。今では全ての生ある者に対してまで憎悪は拡大している。
「人が休んでるってのに、少しは気を使えないもんかね」
惨鎧斬は寝れない。
寝ないのではなく、寝れないのだ。
鎧に囚われているヴェルンドと精霊の憎悪の声が常に脳内で反響して、睡眠の邪魔をしている。その結果、惨鎧斬は肉体と精神をすり減らし続けていた。
睡眠はどのような生物でも必要としている。
常に起きて泳ぎ続けているイルカや渡り鳥などは、半球睡眠という脳を交互に休ませて睡眠をとっている。脳のないクラゲなどでも睡眠のような状態になることが判明しているのだ。
つまり、どれほど身体を休ませようが、睡眠をとらない惨鎧斬は疲弊していく。
すでに限界は近い――――否、限界などとうに超えていた。魂までをも代償に、惨鎧斬は終わりの見えぬ活動を続けているのだ。
「くそっ……」
睡眠をとることができない惨鎧斬だが、夢は見る。それは白昼夢のような、起きながらに現実のような夢を、忌々しい記憶が動画のように垂れ流しにされるのだ。
しかし、そこから惨鎧斬は目を逸らさない。
なぜなら時の経過とともに、憎悪が薄れていくのを恐れているのだ。
生々しい映像が惨鎧斬の脳内で再生されていく――――
※
「くそっ……」
男が脇腹を手で押さえながら、悪態をつく。その手の隙間からは赤い液体が、衣服から滲み出した血が流れ続けていた。
男は鉱石掘りに出かけた帰り道、まるで自分が通ることを知っていたかのように、待ち構えていた野盗たちに襲われたのだ。突然のことで、男は逃げるのが精一杯であった。
「はぁはぁ……とにかく、あいつらに見つからないように、ぐぅっ……村の場所だけは絶対にバレないよう気をつけないと…………」
様々な種族が集まり、誰にも迷惑をかけずに静かに暮らす小さな村に男は住んでいた。同じ境遇だと、自分を受け入れてくれた大恩ある恩人にして鍛冶の師でもあるダークエルフの男には、今でも助けてくれた恩を忘れたことは一日たりとも忘れたことはない。
それに、その師の一人娘と男は恋仲になっていたのだ。
村の場所を隠すために、傷を負いながらも男は迂回するように森の中を歩き、数日かけて村まで辿り着く。
しかし、村が見えてきて安堵のため息をつこうとした男の目に、村から上がる煙がハッキリと映る。
「う、嘘だっ! 俺は見つからないように、村の場所はバレないようにっ!!」
重傷を負っていることを忘れたかのように、男は村に向かって駆けていく。
「誰かいないのか! 聞こえていたら返事をしてくれっ!」
どれだけ叫ぼうとも、男の声に応えてくれる者はいなかった。
「誰がこんな真似をっ」
自分を襲った野盗たちが? そう男は思うも、あそこにいたのは精々5~6人である。あの人数で村を襲うなど不可能に近い。小さな村なれど、様々な種族が生きていくために動物や魔獣などを倒して糧としているのだ。
「師よっ! ベードっ!!」
自宅件工房を兼ねている住居へ向かうも、そこに師の姿も恋人の姿もなく、荒らされた室内と床に拡がる血の染みだけが、ここでなにが起こったのかを男に想像させた。
「もし――――」
「誰だっ!!」
突然の背後からかけられた声に、男は身構える。手にはナタを握り締め、精一杯の威嚇をするも、重傷から顔色も悪く、震える手からそれが虚勢であることは明らかであった。
「ひ、人族っ!」
そこにいたのは、人族の男であった。
男を襲った野盗たちも人族だ。警戒感を顕にするのも無理はないだろう。
年齢は40代ほどだろうか。金髪にヒゲを蓄え、真っ白なローブを纏うなんとも奇妙な雰囲気を漂わせる男であった。
「お前も野盗の……はぁはぁ…………仲間かっ!」
脇腹の傷は止血はしたものの、満足な休息も食事も取らずに村へ戻ってきたのだ。すでに男の限界は近かった。
「そう警戒することはない」
「黙れっ!!」
「私は見てのとおリ無害な人族の――――老人とまではいかないが、いやそれなりに齢を重ねてはいるか。はて、君にはなんと自己紹介すればいいかな。そうだ、人は私を放浪の――――」
そこで男の意識が途絶える。
血を流しすぎたのだ。
「無理をするからだよ」
脇腹の傷口に手を当てると、柔らかな光が傷を癒やしていく。
「おや、目が覚めたようだ」
「…………ここは?」
ベッドの上で目覚めた男は、めまいで歪む視界に耐えながら問いかける。
「持ち主に黙って使用するのは悪いとは思ったんだがね。なにしろ君は意識を失うし、見れば傷は深手だ。ここの主には悪いが、勝手にベッドを使わせてもらったよ」
「俺は……どれくらい寝ていた?」
「二日間を寝ていた。つまり、今は君が倒れてから三日目だ」
「あんたは……」
「ああ、私のことはジョンと呼んでくれたまえ」
「ジョン……」
「私の拙い魔法では君を一度に治すことはできないんだ。すまないが、今しばらくは我慢してくれ」
当初は人族だからと警戒していた男は、ジョンの魔法と看病によって命を救われたことから心を許し始めていた。
「まず最初に言っておかないといけないことがある。この村には君以外の住人はいないようだ。少なくとも、私が訪れたときには人っ子一人いなかった」
薄々はわかっていたことだが、ジョンの言葉に男はうめき声を漏らしてしまう。
「ジョン。あんたはなんの目的があって、この村――――ハクヒ村に?」
「私は世界を放浪している身でね。この村にはわずかな水と食料を求めて立ち寄ったんだが、来てみれば至るところから煙が立ち上っているじゃないか。これはただごとではないと、誰かいないかと捜していたところに君を見つけたんだよ」
「そうだったのか……くそっ!!」
拳を握り締める男の背を、ジョンは優しく擦る。
「君は死こそ免れたが、今も重傷なのは変わりない。無理は禁物だよ」
「ぐっ……。すまない」
「なに気にすることはない。これでも放浪するほど暇な身なんだ。君の傷が癒えるまで看病するのも悪くはない」
そういうと、ジョンは朗らかに笑う。
野盗によって無惨にも荒れ果てた村に、いまだ師や恋人の安否がわからぬ状況に心身ともに傷ついていた男は、献身的に看病をするジョンの姿に深く感謝をしていた。
だが、のちに男は知ることになる。ジョンがすぐにでも傷を癒やすことができたにもかかわらず、わざと看病などと称して時間を引き伸ばしていたことに。
「つぅっ! ぐ、うぅ……まだ無理か」
ベッドから身体を起こすだけで激痛が走る。
「焦れば焦るほど、それだけ治るのが遅くなる」
「ジョン、あんたにはわからないだろう。今も師やベードが無事かどうかもわからない俺の気持ちなんてなっ!」
「そうやって私に当たるのも、身体と心が弱っている証拠だよ」
失礼な物言いに対してジョンは怒るどころか優しく諌めると、男はそんな自分の不甲斐なさを恥じた。
「私もこう見えて、無駄に世界を歩き回っていたわけじゃない。各地にいる知人には、有力者もいる。そこの伝手を辿って、情報を集めてみようじゃないか」
「ほ、本当かっ!?」
「勿論だとも」
どれだけ人が良いんだと感謝の言葉を述べると、ジョンは趣味みたいなものだから、感謝する必要はないと謙遜した。
いつものように朗らかに笑うと、ジョンは自分がいない間の食料と水を用意してすぐに出発する。
ジョンが戻ってきたのは三週間は経った頃である。
その頃になると、男は歩行が可能になるくらいは回復していた。
「今から私が話すことを、落ち着いて聞いてほしい」
常に微笑みを絶やさなかったジョンが真剣な顔で話す姿に、男は覚悟を決める。相手は野盗だ。消えた村人たちが奴隷落ちならまだいい。生きているのだから。だが、死んでいるのなら、せめて亡き骸だけでも弔わなければと男は思っていた。
「この村が――――ハクヒ村が狙われた理由がわかった。君の話を聞いて、私もおかしいとは思っていたんだが」
ジョンはすらすらと言葉を続ける。
ハクヒ村のような小さな村が、野盗に狙われるのはどう考えてもおかしいと。わずかな家畜や田畑を奪っても大した利益にはならないからだ。それにハクヒ村の住人の多くは、これまでの境遇から誰もが多少は戦う術を持っていた。
「最初は小さな村とはいえ、様々な種族が集うことから奴隷狩りに目をつけられたのかと思っていたんだが」
「言ってくれっ」
言い淀むジョンに、早く理由を言ってくれと促す。
「ハクヒ村が狙われた理由は、君たちが――――だからだよ」
なにを言っているのかが理解できなかった。
そんな理由で静かに暮らしていた自分たちは狙われたのか、と。
「この村を襲ったのも、ただの野盗じゃない」
「協力者がいるのかっ」
「聞けば、この近隣一体の領主たちが私兵を動かしたそうだ。いったいなんの目的があって? 戦中どころか戦が起こる気配もないのに? 強大な魔物が現れたわけでもないのに? 情報を集めるうちに領主軍の動きがわかってきた。
もう君も理解しているだろう。ハクヒ村に起こったことを考えれば。いくら戦う術を心得ていたとはいえ、完全武装した領主軍を相手にすれば、このような小さな村では抗うことなど、とてもとても」
どこか饒舌に語るジョンの姿を、男が不審に思うことはなかった。すでに身体中の血が沸騰したかのように熱くなっており、冷静な判断などできなかったのだ。
「しかし、不審な点がある」
「なにがおかしい?」
怒りで視界が真っ赤に染まっている男からは気弱な姿が消え去り、復讐者の顔つきになっていた。
「君が言っていたじゃないか。ハクヒ村は様々な種族から迫害され、そのような者たちが集まってできた村だと」
「それのどこに――――」
「静かに暮らすために外部との交流も最小限にしていたと」
ハクヒ村では必要な物資を、近隣の村と物々交換で賄ってきたのだ。俗世から離れて、人知れず隠れ住む者たち――――それがハクヒ村の住人であった。
「さて、どこからハクヒ村のことが漏れたのやら」
意味ありげな視線を向けてくるジョンの姿に、男は自分が思考を誘導されていることなど気づきもしない。
「タトルテイル村――――」
「今なんと言ったのかね?」
「タトルテイル村だっ。ハクヒ村と交流があった村なんて、タトルテイル村しかない!」
「タトルテイル村か……。どうやら悪い予想が当たったようだね。そのタトルテイル村だが、どうも最近になって急に豊かになったようだ。よそへ売るほどの特産品があるわけでもない村が、どうしてかと思っていたのだが……そういうことか。ハクヒ村の情報を売って利益を得ていたのか。もしかすると、お零れを貰っていた可能性もあるだろうね」
怒りで全身が震えるのを、男は抑えることができなかった。
「師は? ベードはどこにいるっ!!」
溢れ出す涙を堪えることが男にはできなかった。これまでの思い出が鮮明に浮かぶ。厳しくも常に付き添ってくれた師、最初は素っ気なかったのに、打ち解けてからは傍で支えてくれたベードヌィ。仲良くなってからは「お父さんとあなただけは、私のことをベードって呼んでいいよ」と、イタズラっ子のように舌を出しながら言ってくれた。あの幸せな日々が戻ることは二度とないのだと。
「ベード? ああ、君の恋人だったダークエルフか」
「ふむ」と考え込むジョンの姿に、男は苛立つ。知っているのなら、さっさと言えといわんばかりに睨みつける。
「君にとって、なにをもってベードになり得るのだろうか」
「ジョンっ……くだらない謎かけをしている場合じゃないんだっ!! いくら世話になったあんたでも――――」
「大事なことなんだ」
肩を掴んで無理やり振り向かせたジョンの顔を見て、男は凍りつく。ジョンは目を見開き、歯を剥き出しにしていたのだ。なにかを必死に堪えるジョンの顔。
これまで好印象しかなかったジョンから、得体のしれない恐怖が、男の怒りを上回る。
「ベ、ベードはベードだっ」
逆に気圧され、男の声は怯えを含んでいた。
「そこに彼女の右手があった場合。君はそれをベードと認識するのかね?」
「なにを……」
「では右手と左腕があれば、どうだろう? 右足は? それとも肺も必要か? 眼球は? 鼻もあったほうがいいのかな? 胃はどうだろうか? 臀部は? 肝臓も必要かな? 腎臓? 膵臓もあったほうがいい? 小腸も? なら胃もかな? 脾臓と胆嚢も? 欲張りだな。子宮は? 脳髄は? そうなると心臓もいるだろう?」
無意識に男はジョンから距離をとるように後退っており、全身の力が抜けて床に座り込んでしまう。
「彼らは一通り味見して、その後に様々な部位に分けて売り払ったようだ。君の彼女とて例外ではない。大陸中から多くの有力者たちが集まり、それらを競って落札したようだ。他には皮膚や髪に血の一滴ですら、ハクヒ村の住人の全てを価値がある物として――――」
「ふざけるなっ!!」
ふらつきながらも男は立ち上がる。
「い、命をっ、俺たちの命をっ! なんだと思っている!!」
ハクヒ村の誰もが知る気弱な、だが優しい男は消え去っていた。
「許さないっ。関わった連中を皆殺しにしてやる!!」
「できるのかね?」
その問いかけに男の動きが止まる。
「セット共和国だけではない。レーム大陸中の有力者が関わっている。その規模は国家権力――――いや、世界そのものと言っても過言ではないだろう。言ってはなんだが、君のような優男が――――」
「それはっ……」
言葉とは裏腹に、ジョンの目はなにかを訴えかけていた。それに呼応したわけではない。だが、男はなにかを思い出したかのように工房へ向かう。戻ってきた男の手にはいくつかの道具が握られていた。
「まさかそのような物で復讐が果たせるとでも」
「俺だってそこまでバカじゃない」
その道具を使って床の一部を剥がしていく。
(あるはずだっ。必ずある!)
師から聞いていた話。
男の師は鍛冶の家系で、ある名工が創った恐ろしい鎧を先祖代々に渡って封印管理してきたと。
土を掘り返し、それを何時間も続けていると人工物で出来た蓋が見えてくる。
「あった! あったぞ!!」
男の背でジョンは薄笑みを浮かべる。
その蓋をこじ開けると、地下へと繋がる階段があった。
「悪いがここからは俺だけで進む」
封印の解除方法は聞いている。
もし、村の危機が訪れるようなことが――――自分が不在もしくはすでに死んでいた際には娘を護ってくれと頼まれていた。そのときは珍しく酒に酔った師の戯言だと思っていたものだ。
後日、そのことを師へ伝えると、決して口外してはいけないと厳しく言い含められた。
それ以外での使用は禁止――――できればこのまま死蔵することが世のためだと険しい顔で師は言っていた。
(師よ……申し訳ございません)
いくつもの封印を慎重に解除していく。
一つ解除するごとに、魔力の波動が男の全身に叩きつけられる。
「これが、これが――――惨鎧斬っ」
巨大な鉱物の塊に、男の手が触れる。
この日、このときから、男は“惨鎧斬”となる。
※
今でもあのときのジョンの顔を、惨鎧斬はハッキリと思い出すことができる。
あれは――――
「嗤うのを堪えている顔だ」




