黄金蝶探し③
森の中を歩き続けて、さらに一時間が経過しようとしていた。
俺たちの疲労は、肉体的なものよりも精神的なものの方が大きくなっていた。
「……いない。本当に、影も形もないわ」
テレサが辟易とした様子で邪魔な枝薙ぎ払う。
広大な森、浜辺、岩場。地形を変えて探してみても、肝心の『黄金蝶』は一匹たりとも姿を見せない。
「もー! 運営のミス設定じゃないの!? 実は入れ忘れましたー、なんてオチじゃないでしょうね!」
「あはは……。さすがにそれはないと思うけど……」
サクラも苦笑いしつつ、視線は油断なく周囲を巡らせている。
そんな時だった。
ガサッ。
前方の藪が大きく揺れ、俺たちは即座に足を止めた。
「モンスター?」
「いや足音が複数のリズムを刻んでいる。……プレイヤーだ。警戒しろ」
俺が小声で告げると同時に、藪から5人組のパーティが姿を現した。
重装備の戦士を先頭に、後衛には魔法使いと弓兵。教科書通りのバランスの取れたフルパーティだ。
「ッ……!」
相手も俺たちに気づき、一瞬で空気が張り詰めた。
戦士が剣の柄に手をかけ、こちらの戦力を値踏みするような視線を向けてくる。
俺も杖を握り直し、いつでも《死拒の結界》を展開できるように意識を集中する。テレサとサクラも、臨戦態勢に入っていた。
「来るか……?」
3対5。数的不利は明らかだ。
だが、今の俺たちならば返り討ちにできる自信はある。
数秒の睨み合い。永遠にも感じる緊張感が場を支配する。
しかし――
「……チッ。行くぞ」
相手のリーダーと思わしき戦士が、舌打ちをして剣から手を離した。
そして俺たちに興味を失ったように視線を外し、そのまま横を通り過ぎていったのだ。
他のメンバーも疲労の色を濃く滲ませながら、無言で後に続く。
俺たちは彼らが完全に見えなくなるまで警戒を解かずに見送った。
「……行っちゃったね」
「なんだったのよ、あいつら。感じ悪いわね」
サクラとテレサが安堵と不満の入り混じった声を出す。
だが俺の中で、ある一つの確信が生まれつつあった。
「襲ってこなかったな」
「ええ。まあ、あたしたちが強そうに見えたからビビったんじゃない?」
「それもあるかもしれないが……一番の理由は、そこじゃないだろう」
去っていったパーティの背中を睨みながら言った。
「あいつらの目を見ただろ? 殺気がなかった。それよりも、焦りと徒労感がにじみ出ていた」
「焦り……?」
「ああ。つまり、あいつらも『0匹』なんだよ」
もし彼らが黄金蝶を持っていれば、俺たちに見つかった時点で逃げるか、先制攻撃で排除しようとするはずだ。逆に俺たちが持っていると思えば、奪いに来るだろう。
だが彼らは何もしなかった。
それはつまり、「奪う価値もない」と判断したからであり、自分たちも「守るべきものを持っていない」からだ。
「これだけ時間が経って、遭遇したフルパーティすら0匹……。いよいよ異常事態だぞ」
俺は腕を組み、思考を加速させる。
運営は『探して捕まえろ』と言った。だが、ここまで見つからないのは確率の問題ではない気がする。
「なあ二人とも。少し考え方を変えてみないか?」
「変えるって?」
「闇雲に歩き回っても、黄金蝶は湧かないんじゃないか? もしかしたら……何か『特別なこと』をしないと、出現すらしない仕様なのかもしれない」
「特別なこと?」
サクラが首を傾げる。
「ああ。例えば、特定のモンスターを倒した後に湧くとか、特定のアイテム、例えば『花の蜜』みたいなものを使って誘き寄せるとか……。いわゆる、出現トリガーがあるタイプだ」
「なるほどね……! 確かにただの湧き待ちイベントにしちゃ、難易度が高すぎるわ!」
テレサがポンと手を叩く。
もしそうなら、この広い島をただ散歩していても一生見つからない。
俺たちは「探し方」そのものを間違えていた可能性がある。
「だとすれば、探すべきは蝶そのものじゃない。何か違和感のある場所や、怪しいモンスター、あるいは――」
その時だった。
ズドオォォォォンッ!!
「きゃっ!?」
遠くから空気を震わすような重低音と、何かが砕ける音が響き渡った。
明らかに、プレイヤー同士の小競り合いレベルの音ではない。
「な、なになに!? 今の音!」
「……戦闘音だ。それも、かなり派手なやつだ」
音がした方向――森のさらに奥深くへと視線を向けた。
「行ってみよう。あんな派手な戦闘、ただの雑魚戦じゃないはずだ。もしかしたら、俺が言った『トリガー』に関係しているかもしれない」
「よっしゃ! 乗ったわ! 退屈な散歩はもううんざりよ!」
「うん、行こうガイ君!」
俺たちは頷き合い、音の発生源へと向かって駆け出した。
木々を抜け、傾斜を登り、音は近づくにつれて激しさを増していく。
爆発音、何かが悲鳴を上げるような音、そして金属がぶつかり合う音。
「こっちだ!」
俺が先頭を切って、分厚い葉のカーテンをかき分ける。
視界が開けた先には、巨木がなぎ倒され、ぽっかりと開いた広場のような空間があった。
そして、その中心で繰り広げられていた光景に、俺たちは息を呑んだ。
「な……!」
そこにいたのは、家一軒分ほどもありそうな、巨大な蜘蛛のモンスターだった。
毒々しい紫と赤の斑模様を持つその巨体は、鋼鉄のような剛毛に覆われている。長い脚が鎌のように振るわれ、周囲の木々を容易く粉砕している。
【ベノム・タランチュラ】 Lv.35
レベル表示が見えた。
今の俺たちよりも格上。この島のボスモンスターと言っても過言ではない強さだ。
だが驚くべきはモンスターだけではない。
その巨大な化け物と、たった一人で対峙しているプレイヤーがいた。
「うそ……ソロでやってんの!?」
テレサが驚愕の声を上げる。
相手は一人の男だった。
重そうな鎧を身につけ、手には大きな盾を持っている。
巨大蜘蛛が吐き出す粘着性の糸を紙一重のバックステップで回避し、追撃の鋭い脚を、盾で受け流す。
『キシャァァァァァッ!!』
蜘蛛が咆哮と共に、毒液の雨を広範囲に撒き散らす。
男は舌打ち一つせずうまく回避した。
「速い……!」
サクラが呟く。
その動きは洗練されていた。無駄がなく、的確。
ソロで格上のボスと渡り合っているその姿は、熟練のプレイヤーそのものだった。
だが戦況は拮抗しているようには見えなかった。
男の動きにわずかな疲労が見える。HPバーは見えないが、回避がギリギリになりつつあるのが分かった。
対する蜘蛛は、まだまだ元気だ。
「ガイ君、どうする!? 助ける!?」
サクラが剣に手をかけて、俺を見る。
俺は一瞬、迷った。
これはイベントだ。他人の戦闘に介入することは、場合によっては横取り行為とみなされる。それに、あの男が敵対する可能性もある。
「……やるぞ。あいつを助けるのが目的じゃない。あの蜘蛛を倒して、巣にあるものを確認するんだ」
俺は不敵に笑い、杖を構えた。
「『トライ・ジョーカー』、乱入開始だ! テレサ、サクラ、準備はいいな!」
「いつでもオッケーよ!」
「はいっ!」
「行くぞ!」
俺の号令と共に、三人は広場へと躍り出た。
膠着していた戦場に、新たなカードが切られる。
巨大蜘蛛と、謎のプレイヤー。
この出会いが、停滞していたイベントを大きく動かすことになる。




