妖精の郷④
早鐘を打つ心臓を抱えたまま、俺は半ば逃げるように大樹の螺旋階段を駆け下りた。背後からは、サクラの「待ってよー!」という楽しそうな声が追いかけてくる。その声から逃れたいような、もっと聞いていたいような、自分でもよく分からない感情に、俺はただただ混乱していた。
大樹の根元、最初に足を踏み入れた広場まで戻ると、そこには水晶の工房から戻ってきたらしいテレサが、目をキラキラさせながら立っていた。
その手には見たこともない不思議な鉱石や、虹色に輝く布切れが握られている。どうやら大きな収穫があったようだ。
「あ、ガイっち、サクっち! おかえりー! どうだった大樹の上は?」
「ああ、すごい景色だった。お前も見てくればよかったのに」
「うーん、それも魅力的だったけど、あたしはこっち! 見てよこれ! 妖精さんたちに、工房で余ってたっていう『月光石』と『虹の絹』を分けてもらっちゃった! これがあれば、すごいアビリティが付けられるかも!」
テレサはまるで子供のように、戦利品を俺たちに見せびらかす。その興奮ぶりに、俺の心臓のドキドキも少しだけ落ち着きを取り戻した。
「よかったな、テレサ。……ん?」
俺たちが合流したのを見計らったかのように、どこからともなく、あのピクシーがふわりと飛んできて、俺の肩にちょこんと止まった。
「くすくす。みんな、楽しんでるみたいだね」
「ピクシーちゃん!」
「お、ピクシー。ちょうどよかった。実は、俺たちには目的があって……」
俺が素材集めの本題を切り出そうとした、その時だった。ピクシーは俺の言葉を遮るように、小さな手で俺の口をふさいだ。
「その話は、あとでゆっくりね。その前に、あなたたちには、もっと素敵なおもてなしを用意してあるんだから」
「おもてなし?」
ピクシーはにっこりと笑うと、
「こっちだよ」
と、大樹の別の方角へと俺たちを案内し始めた。
俺たちは顔を見合わせ、首を傾げながらも、その小さな案内に従って歩き出す。
ピクシーに導かれてたどり着いたのは、大樹の幹に作られた、ひときわ大きな洞だった。入り口は美しい花々や蔦で飾られ、中からは温かい光が漏れ出している。
「さあ、入って」
俺たちが中へ足を踏み入れると、そこは広々としたホールのような空間になっていた。壁は滑らかに磨かれた木の肌が露出し、天井からは光る苔がシャンデリアのように吊り下がって、空間全体を優しく照らしている。
そしてそのホールの中央に、一人の妖精が静かに佇んでいた。
その妖精は、ピクシーや他の妖精たちよりも一回りほど体が大きく、それでも人間の子供くらいの背丈しかなかった。
しかしその身にまとう雰囲気は、他のどの妖精とも明らかに違っていた。長く、白銀に輝く髪を揺らし、背中にはステンドグラスのように精緻で美しい、四対の羽を持っている。その表情は穏やかだが、瞳の奥には深い叡智の色が宿っていた。
「ようこそ、人の子らよ。わたくしが、このティル・ナ・ノーグの長を務めております、エルダと申します」
エルダと名乗った妖精は、優雅な仕草で一礼した。その声は透き通るように美しく、それでいて不思議な威厳に満ちている。その立ち居振る舞いは、まるでどこかの国の女王のようだった。
「あなたが、この郷の長……」
「ピクシーから話は聞いております。あなた方が、悪しき心を持たぬ旅人であると」
エルダの視線が、俺、テレサ、そしてサクラの上をゆっくりと滑る。まるで心の中まで見透かされているような、不思議な感覚に陥った。
「長旅でお疲れでしょう。ささやかではございますが、わたくしたちからのおもてなしの宴を用意させていただきました。どうぞ、おくつろぎください」
エルダがそう言って、そっと手をかざす。
すると、それまで何もなかったホールの中心に、信じられない光景が出現した。
「うわっ!?」
「な、なにこれ!?」
床から、まるで植物が芽吹くように、テーブルと椅子がみるみるうちに形成されていったのだ。それらは全て、美しい木目を持つ木材で作られており、滑らかな曲線を描いている。
そして、俺たちが何よりも驚いたのは、そのテーブルと椅子が、完全に俺たち人間用のサイズだったことだ。
さらに驚きは続いた。
どこからともなく現れた妖精たちが、次々とテーブルの上に料理を並べ始めたのだ。湯気の立つ香ばしいパン、色とりどりの木の実や野菜を使ったサラダ、キラキラと輝く果実のタルト、そして花の蜜を集めて作ったであろう、琥珀色の飲み物。それら全てが、俺たちの世界で見るものと変わらない大きさだった。
「すごい……! テーブルも、料理も、全部私たちのサイズ……」
サクラが感嘆の声を漏らす。
「どうして……? 妖精の郷なのに……」
テレサの疑問に、長のエルダが穏やかに答えた。
「わたくしたちは、あなた方が来ることを知っておりましたから」
「えっ?」
「この森は、訪れる者の心を感じ取ります。あなた方が、純粋な心で森を敬い、仲間を想う心を持っていることを、森自身がわたくしたちに教えてくれたのです。故に、ささやかながら、歓迎の準備を整えさせていただきました」
その言葉に、俺はハッとした。
俺たちが森を彷徨い、途方に暮れていたあの時間も、決して無駄ではなかったのだ。森は、俺たちの心を試し、見極めていた。そして、俺たちはその試練に、知らず知らずのうちに合格していたのだろう。
「さあ、どうぞ。皆さんお座りください」
エルダに促され、俺たちは恐る恐る椅子に腰を下ろした。
そして長のエルダが静かに口を開いた。
「人の子らよ。あなた方がこの森を訪れた目的、わたくしには分かっております」
「……!」
俺達はエルダを見つめた。いよいよ、本題が始まる。
「あなた方は、『妖精の糸』と『守護樹の樹皮』を求めている。そうですね?」
その言葉に、俺はゴクリと唾を飲み込み、静かに頷いた。




