第二十八話 インドシナ連邦の成立と崩壊
第二十八話です。
インドシナで何やら不安な動きが、、、
インドシナ連邦、それは第二次世界大戦後に誕生した、ベトナム、カンボジア、ラオスからなる連合国家である。
このような国家が誕生した理由は、太平洋の覇者である日本連邦が原因である。
フランスの植民地であったインドシナ半島は、第二次世界大戦後に東南アジアに点在する、他の植民地同様日本の統治下に入ったが、その後の独立準備の後、インドシナ連邦として独立。連邦国家として歩み始めたのだが、ここで問題が起こる。当初はベトナム、カンボジア、ラオスの3カ国に分けて独立させるつもりだったのだが、独立後の管理が大変と大国たちの意向によって、連邦国家としてまとめられたのだ。これに反発したのが3カ国に存在していた王朝と、民主主義国家として独立したことを反発した社会主義者たちであった。
一応、各王朝は連邦内でも保護されることになり反発は少なくなったものの、日本をはじめとするETO各国では、ソ連(主にアメリカだったが)のスパイなどに対抗すべく、赤狩りを実施。それにより加盟国であるインドシナでも社会主義政党の解散、禁止をおこなったため、社会主義者たちの暴走はさらに激化することとなった。
インドシナ連邦成立から一年後の1946年、社会主義者たちによるクーデターが実行され、首都ハノイを占拠。その後には、ハノイを中心とした地域を社会主義者たちが占拠し、ホー・チ・ミンを指導者とするベトナム民主共和国の独立を宣言した。
これに対して、難を逃れたインドシナ連邦政府は首都を南部のサイゴンに移し、反乱軍の掃討に移った。しかし独立間もないインドシナに掃討する戦力は無く、またベトナム民主共和国側はソ連やアメリカが秘密裏に支援をおこなっていたため、序盤の戦局はベトナム有利となっていた。
その後、社会主義国家の拡大を恐れた同盟国である日本軍が助けを出すことにより戦局は停滞したが、お互いに攻めることができず、結果的に1954年に結ばれたジュネーブ休戦協定により北緯17度線を境に南北に分断されることとなった。ちなみにだが、ラオスの大部分もこの際に社会主義者たちによって占拠され、ラオス人民民主共和国が誕生している。
現在ではこの事件をインドシナ戦争と呼ばれているが、後のベトナム戦争も含めて呼ばれることもあるのでここは学者によって意見が変わる。
とは言えこの戦争によりこれによりインドシナ連邦は実質的に半壊し、国家崩壊が起こるかと思われたが、自治拡大と日本やETO各国による支援のもと、なんとか立ち直ることになる。余談だが、連邦各国の王朝はなんとか生き残っていたそう。
とは言え分断されたインドシナだが、その後は一時平和的な時間を過ごすことになるが、その後また戦火に飲み込まれることとなるのだが、それはまた後の話、、、
そして舞台は北部に移り中国へ視点を当てる。
長江以南では、長らく統治者のいない群雄割拠の状況となっていたのだが、インドシナ戦争時には大きく分けて、戦後もしぶとく生き残った中国共産党と同じく中華帝国(元中華民国)であった。主に中国共産党は内陸を、中華民国は沿岸を拠点としており、指導者は毛沢東と蒋介石であり、両国のバックにはソ連とアメリカがおり、北部の中華民国と合わせて、まさしく三国志のような状況になっていた。ちなみに中華帝国だが、蒋介石が共和制を否定して皇帝として君臨したため、中華民国という名称が中華帝国となっている。
中国共産党は地主から土地を取り上げて分配する土地改革により農民の支持を集め、一方で中華帝国はアメリカの支援や、経済特区の設置などによる経済改革により経済界の支持を集めており、お互いに国家としては認めていないものの、戦局や戦線の停滞などを受けて1949年に国共停戦協定が結ばれて、現在も停戦が続いている。
こうして中華圏は、日本(ETO)とアメリカ(相互安全保障条約機構)、そしてソ連による対立関係の象徴として3カ国に分断され続け、現代に至っている、、、
そうした中、陰ながら戦火は中東へ広がっていた、、、
仮想現代史書くのって大変ですね、、
ちなみにですが密かにソ連がコミンテルンの後釜にコミンフォルムという陣営を作っていたりします。まあ、加盟国はほぼ無に等しいんですがね。
次回、エルサレム。
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