異変は突然に
ミオは不思議な世界に迷い込んでいた。
この世界を一言で言い表すなら真っ白。天も地も白く、その他に色はこの空間に存在していない。
いや、よく見ると空に一点だけ色が存在した。小さく頼りなくはあるが、その一点だけに色がある。
それは銀色の星。
「あの星を取らなきゃ」
なぜかは分からないが、あの星を手にしなければいけないような、そんな気がした。あの星が何なのかは分からない。でもとても大切なもののように感じられる。
だからミオは銀色の星に向かって手を伸ばす。
手を伸ばしたところであの星までは絶対に届かないことは一目瞭然である。しかし不思議なことにフワリと体が宙に浮いた。そしてぐんぐんと星に向かって近づいていく。
「あと、もう少し……」
指先が星の表面に触れようとしたとき、ガクリと地上へと引っ張られるような引力を感じた。
鎖に引きずられるように地面へと叩き落され、あと少しで手にできそうだった星から遠く離れてしまった。
「どうして……?」
あの星をつかむことさえできていれば、願いが叶うかもしれなかった。どうしても叶えたいと思える願いをようやく見つけることができたというのに。
「許さない」
「え……?」
この空間にはミオ一人だけしかいなかったはずであるのに、背後からひどく抑揚のない平坦な声が聞こええてきた。ただ、その声はミオのものとよく似ており、もはやミオ自身が口に出したのかと思えるほどである。
後ろを振り返るとこれまたミオとそっくり……いや、ほぼ同一といってもいいだろう。
唯一の違いは服装ぐらいである。
ミオの目の前にいる何かは、帝国で正式採用されている黒色の、サイズがあっておらずダボっとした軍服を身につけている。
「『ミオ』だけ願いを叶えるなんて……許さない」
声は抑揚がなく平坦であるのに、その言葉には憎悪が込められているように感じられる。
しかしミオには少女がなぜこんなにも怒っているのか見当もつかない。そもそも彼女が何であるのかすらも分からないというのに。
「あなたは、だれ?」
無表情であった彼女の顔が、かすかに悲しみの感情に歪む。ほとんど変わっていないようにも見えるが、しかし確かに歪んだのだ。
「わからないの?」
声すらも震えていた。
必死に目で「分かるよね?」と訴えかけてくる。しかしミオには分からない。分からないからこそ彼女に聞いているのだ。
ミオはそんな彼女に向けて、首を横に振った。
「そう、じゃあもういい」
悲しみがやがて諦めへと変わり、彼女は顔を俯かせた。
そんな彼女の様子にミオは何か悪いことをしたかのような罪悪感に襲われる。
「魔力展開」
彼女はぼそりとつぶやいた。
「それは……ッ」
ミオは慌てて後方に倒れこむようにして体を倒す。その結果として尻もちをついてしまったが、その一瞬後に先ほどまでミオがいた位置を刀が通過する。
彼女は体の表面に淡い光の防壁を纏わせ、手には飾り気のない無骨な刀を携えている。
その姿にはひどく見覚えがあった。
「『三〇』……なの?」
彼女の表情がパアっと明るくなった。ようやく思い出してくれた、うれしいといわんばかりの表情である。
しかしミオは彼女のことをこれ以上見たくなかった。
「わたしは『ミオ』、だから『三〇』はいらない……わたしはもう『ミオ』なの。だからもう鎖はいらない!」
アリシアが、共和国で出会ったやさしい人たちが『ミオ』であることを望んでいる。だからミオは『三〇』ではなく『ミオ』でなければいけない。これが正しいことだから……。
彼女は……三〇は何かを耐えているように下唇を血が出るほどにまで強く噛んだ。瞳からは涙すらも浮かべている。しかし目と耳をふさいで彼女のことを見ようとしていないミオには、三〇のそんな様子に気付くことはなかった。
「なら……なら、『ミオ』……わたしを忘れるくらいなら……」
三〇は手足にはめられた鎖を軋ませながらゆっくりとミオに近づく。
この鎖は兵器である証。この鎖がある限り帝国からは逃げられない従属の象徴である。そしてもうミオには必要のないものでもある。
「――返してよ」
胸に灼熱のような熱さと金属特有の冷たさに同時に襲われる。
恐る恐る顔をあげてみれば、三〇の持つ刀が深々とミオの胸を刺し貫いていた。
「やだ……やだ、返してよ。それはわたしの……」
刺し傷からは血のような色のミオを構成している一部が流れ出し、刀の刃を伝って三〇に吸収されていった。




