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シャルパンティエの雑貨屋さん  作者: 大橋和代


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第五十四話


 マテウスさんの『パイプと蜜酒』亭に宿を取り、アリアネと二人部屋に泊まった次の日、わたしは朝から彼女を連れて、挨拶回りと聖神降誕祭に必要な品々の仕入れと、ついでに物の値段が上がっていないか確認する為、ヴェルニエ中を歩き回った。


 残念ながらユリウスは代官屋敷に泊まっていて、まだ会えていない。


 まあね、冗談抜きで真面目なお話をしてるはずだから、いくら会いたくてもわがままは言えなかった。


「いらっしゃいませ!」

「いつもお世話になります、シャルパンティエ領の『地竜の瞳』商会のジネットと申しますが、アントンさんはいらっしゃいますか?」

「はい、ただいま!」

「やあやあ、ジネットさん、シャルパンティエから降りてこられたのですか?」

「ご無沙汰しています、アントンさん。今日は先日の御礼と、この子のご挨拶に参りました。それから、降誕祭のお買い物に。去年、マテウスさんにお砂糖を探して貰った時、ヴェルニエで在庫をお持ちだったのはアントンさんのお店だけでしたので、今年もお願いしたいなと思いまして」

「おお、それはそれは! もちろん覚えておりますとも!」


 こんな感じで挨拶と買い物を済ませ、アリアネにも会頭さんや番頭さんを紹介しておく。わたしの代理で仕入れを任せるにはまだ早いけど、お相手の顔を知っているのといないのとじゃ、心構えが全然違ってくる。


「ウード、ウード!」

「はい、旦那様!」

「お二方を奥の部屋にご案内してくれ。ああ、マルゴットに茶の用意を! 三人分だ!」

「畏まりました!」


 うちの実家も仕入れは主に父さんや兄さんが担当していたけれど、顔つなぎの意味もあって、わたしも全ての仕入先を一度や二度は訪れて挨拶を交わしていた。


 もちろん、これらの努力が花開くのは、わたしにとってもアリアネにとっても、彼女がもう少し大きくなってからのことになる。




 丸一日歩き回って、二人してへとへとになったけれど、アリアネには新鮮な一日だった様子で、食事の時も楽しそうにしていた。


「なんだか大人の世界だなあって、思いました。でも、わたしにまでお茶を出して貰えたりして、なんだか嬉しかったです」

「あれはちょっとした心遣いで嬉しいものだけど、他にも意味があるのよ」

「そうなんですか?」

「お茶を飲み終えるまで、帰りにくいでしょ」

「あ!」


 まあ、それだけじゃないけれどね。

 本当に色々な意味が込められるので、商人の出すお茶は出す人次第、出される人次第、としか言いようがない。


 商談が長引いたので喉を潤して仕切直しましょうとか、単にお客さんが汗を掻いていて暑そうだったから気を使ったなんてのは、まあ普通だ。


 飲む方だって、貴方が私に毒入りの物を出すはずありませんよねって恐い意味を込めて茶杯に口をつけることもある。


 うちの場合、シャルパンティエでお茶が飲める場所は、商売としてお茶を出していてお代が掛かる『魔晶石のかけら』亭と、本当に用事がないと入れないギルドの奥の間だけっていう特別な理由があった。


 ただ、他にお客さんがいなくて、わたしに時間と余裕がある時だけっていうのがちょっと申し訳ないなとは思うけど、うちはどう考えても茶屋ではなく『雑貨屋』だ。ユリウスやアロイジウスさまは……うん、まあ、しょうがないってことにしておこう。


「ふふ、アントンさんの『切り株の腰掛け』薬品商会はまた少し別なの。それこそ一昨年、わたしがこの東方辺境に来た時からのおつき合いだし……ほら、ここ『パイプと蜜酒』亭のロルフさんは覚えた?」

「はい。カールさんのお兄さんですよね?」

「うん。アントンさんはそのロルフさんの親しいお友達だから、いつもお茶を出してくれるのよ。……『パイプと蜜酒』亭と『切り株の腰掛け』薬品商会って、それぞれ西通りの南の端と東通りの北側でしょ。わたしが何軒もお店を訪ねた後で寄るって、よくご存じなの」

「なるほどー」


 取引の金額も、『雪の森』商会さんに次いで多いかな。アレットが薬草師のお仕事絡みで注文する品物は、大概このお店が対応してくれる。薬草やその他の品の産地の関係で遠方との取引に強いから、お砂糖のような南方産の貴重品も手に入りやすいわけだ。


「さ、今日は早めに寝ましょ。明日も一日、頑張らなきゃ」

「はいっ!」


 ふふ、アリアネは明日も楽しみにしてるらしい。

 今日は露天市場を見て回る時間がなかったから、わたしも楽しみだ。


 幸い、聖神降誕祭の準備に必要な品物は、大体揃えることが出来ていた。

 マテウスさんを通すのが悪いってことじゃなくて、これは……わたしの商人としての性分なんだろうなあ。

 ……やっぱり自分で見て回って、その場で注文できるのはとても気楽だった。




「いらっしゃいませ、いかがですか!」


 ふぃあー!


 ヴェルニエについて三日目、露天市場は相変わらずの賑やかさだ。

 前に買い物に来た時と比べて、若干食べ物の値段は上がってるような気もするけれど、季節のせいにしちゃってもいいかなという程度で、ざっと見回した感じでは、首を傾げるような値付けのお店は見あたらなかった。


「へえ、この飾り紐、見慣れない編み方してるねえ?」

「はい、西方の編み方なんです!」

「ふうん。一つ、幾らなんだい?」

「一つ二ペニヒです! 三つなら五ペニヒにおまけです!」

「じゃあ、これを貰っていこうか」

「ありがとうございます!」


 ふぃ!


 敷物一枚きりの『アリアネ商店』だけど、出足は悪くない。……化粧道具に目を惹かれたお客さんの相手はわたしがしているけれど、初回にしては、アリアネはしっかりしすぎていた。


 わたしはどうだったかなあ。

 お姉ちゃんの背中にずっと隠れてて、声も出せなかった覚えがあるよ。ゲルトルーデと同じくらいの歳だったから、しょうがないとは思うけど……。


「この調子なら、お持ち帰りの荷物が少なくて済みそうね」

「こんなにお客さんがいっぱい来てくれるなんて、思いもしませんでした」

「シャルパンティエじゃ、人とすれ違うのも希だもんね……」


 もちろん、広場で露店を開くなんて、夢のまた夢だ。

 今のシャルパンティエだと、相当珍しくてわたし達住人だけでなく冒険者が欲しがるような品物じゃなきゃ、お客さんが一人も来ないだろう。


 それにやっぱり、ヴェルニエと比べて人の数が違いすぎる。

 いくらアルールのラマディエに比べて小さいと言っても、ヴェルニエには数千人の人々が住んでいる上に、辺境を走る街道が通る街だけあって旅人や商人の行き来も多い。


「さて、アリアネ」

「ジネットさん?」

「お小遣いあげるから、アリアネは休憩しておいで。ゆっくり市場の中を見て回ると、それだけでも楽しいわよ」

「いいんですか!?」

「もちろん」


 売上とは別にしている財布から数ペニヒを取り出して、アリアネの手のひらに乗せる。

 せっかく街に来たお楽しみでもあるし、朝から頑張ってくれていたから自分でも気付いていない気疲れもあるだろう。


「じゃあ、いってきます!」

「はーい、気を付けてねー」


 ふぃー!


 アリアネを送り出し、小さく息をつく。


 確かに、売れ行きは悪くなかった。

 パウリーネさまから仕入れた干し茸は朝一番に売り切れてしまったし、虫避けの香も半分なくなっている。


「ちょっと困ったなあ……」


 ふぃあ?


「大丈夫だよ。大丈夫、なんだけど……」


 王都で仕入れた化粧道具は、紅入りの貝皿と化粧筆が一つずつ売れたきりで、多めに仕入れた木櫛はまだ一つも売れていなかった。


 ……露店で出すには上等すぎた、かな。


 お品も悪くないし、値付けもかなり安くしてはいるんだけど、それでも露店で扱う商品としては高い部類に入るから、お客さんも見るだけって流れになってしまっている。


 それに今回の場合、『アリアネ商店』であることを前面に押し出しているのも良くなかった。それなり以上に高いお品を子供が売っている姿を見て、お客さんがお店のことをどう思うか、少し考えれば分かってしまう。


 もちろん今回はわたしが『アリアネ商店』に間借りしてるわけで、便乗しようとしたことがそもそも間違っているんだけどね。そんな状況の中で貝皿と化粧筆が売れただけでも、アリアネの頑張り具合が分かるほどだ。


 アリアネに店主をさせるっていう最初の目的はもう十分すぎるほど達成していたから、あとはおまけなんだけど……。

 やっぱり少し悔しいのは、仕方ないよね。


「いらっしゃいませ!」


 通りがかった冒険者風のお兄さんが飾り紐に興味を示してくれたので、これ幸いと頭を切り換える。


 考えてばかりいても堂々巡りになるだけだし、今はお客さんのお相手をしっかりこなそう。……アリアネに笑われちゃうもんね。


「珍しい飾り紐だなあ。お嬢さんの手作りかな?」

「はい、遙か西方はアルール王国、王都ラマディエはジャン・マチアス通りの編み方です!」

「へえ、えらく遠いなあ」

「こちらとは編み方も作りも違うので、わたしも最初は……」


 ふぃ!


 ぎゅっと手を握られそうになったので、さっと引っ込める。


 このぐらいは実家にいた頃もよくあったので、大して身の危険を感じることもないし、拗らせて相手を怒らせないように気を付ければいい。いいんだけど……。


「一つ、幾らかな?」

「一つが二ペニヒになります」


 よくよく見れば、女の子をからかって遊ぶのが好きそうなお兄さんですこと。

 割と整ってるのに、どこか残念な印象のする顔つきだなあって、余計なことまで考えてしまったよ。


「じゃあ、全部買うよ! この後、食事でもどうだい?」


 ……。


 残りの飾り紐全部って、もう三つしか残ってないからおまけ抜きでも六ペニヒだよ……。わたしって、そんなお値段で食事に誘われてついてっちゃうように見えるの? 見えてるの!?


「君はヴェルニエに来たばかりで知らないだろうけど、俺、この辺りじゃ結構有名でさ。なんとあの、『星の狩人』の『洞窟狼』と一緒にベアルを狩ったこともあるんだぜ!」

「……そ、そうなんですか」


 す、すごい!

 このお兄さん、残念度合いがすごすぎる!!


 わたしは大笑いしたくなる気持ちを必死に押さえ、なんとか声を絞り出した。

 普通の残念さじゃ、ここまでどんぴしゃりでユリウスの名前出せっこないよ……。

 あー、もう! わたしがその『洞窟狼』ユリウスの筆頭家臣だって知ったら、このお兄さん、どんな顔するかな?


「ね、どうかな? 西通りに肉料理の旨い『銀杯の足』亭って店があるんだ」

「いえ、連れも来ていますから、ご遠慮します」

「そう言わずにさ、いいだろ?」


 あー、うん。

 律儀に飾り紐買ってくれようとするのは嬉しいんだけどね……。


「ほら、お代!」


 ふぃあ!


 その時、強引に銅貨を握らせようとするお兄さんの後ろに、大きな影が現れた。


「何を、している」

「何ってあんた……」


 怒りを押し殺したような、低い声。

 うわっ、も、もう駄目だ!

 このお兄さん、引きが超絶に残念過ぎる!!


「ど、『洞窟狼』!?」

「……そうだが?」

「ぶっ……」


 不機嫌そうなユリウスがお兄さんを見下ろしているその後ろ、状況を見て取ったのか、にやにやと笑って噴き出しているのはマテウスさんだ。連れだって遊びに来てくれたらしい。


 ふぃっと一声上げたフリーデンが、ユリウスの肩に駆け上がる。


 でももう、わたしの腹筋は笑いをこらえる限界に来ていた。

 下を向いたまま、にやける顔を隠すように大きく頭を下げて一礼する。


「お……お疲れさまです、『旦那様』」

「うむ」

「だ、旦那様!?」


 お兄さんの顔が真っ青になる。

 そりゃあ『洞窟狼』本人が現れて、しかもわたしの知り合いだって分かったら……ねえ。


「おお!? よく見りゃお前さん、ヴォルフガングんところの倅じゃねえか!」

「え、マテウスの大旦那!?」


 うわー。

 もう身元まで完全に割れてしまってるよ、このお兄さん……。


「親父、知り合いか?」

「ああ。大通りを挟んでうちの宿の丁度反対側、西通りに『銀杯の足』亭って肉料理の旨い店があるだろう。そこの跡継ぎだよ」

「……あの店か」


 仔羊の足の煮込みは確かに美味かったなと、ユリウスは呟いた。


 ……ん?


 このお兄さん、自分のお父さんのお店に誘おうとしていたわけ!?


「それで『銀杯の足』亭の跡継ぎよ、我が筆頭家臣に何の故あって言い寄っていたのだ?」

「えと、あの、そのですね、決して『洞窟狼』様の――」

「ユリウス」


 ちょっとどころでなくかわいそうに思えてしまったので、わたしは助け船を出すことにした。

 ……う。まだちょっとにやけ顔が戻らない。


「うむ?」

「せっかくだし、今日はそのお店まで食べに行こうよ。アリアネも喜ぶと思うの」

「……ふむ、よかろう」


 その後、お兄さんは『無事に』帰っていったけど、ユリウスの機嫌が直るのには、少し時間が掛かってしまった。


 ほんとに大したことないんだけどなあ、あのぐらい……。

 でも、ちょっとぐらいは焼き餅を焼いてくれてるんだろうなあ、なんて思ったりもする。恥ずかしくて聞けないけど。


「しっかし、ジネット嬢ちゃんも大したタマだなあ」

「そうですか? あのお兄さん、女好きの遊び人だろうなとは思いましたけど、悪人でもなさそうだったし、ここなら人目もありますから、まあ適当に……。でもでも、話の途中でユリウスの名前が出たあたりからは、面白すぎて駄目でした」

「俺の?」

「そうなのよ! もうね、ユリウスが後ろに立った時なんか、お腹抱えて笑いそうになるのを限界まで我慢してたんだから!」

「……ふむ」

「俺はヴォルフガングの倅がものすごく不憫に思えてきたよ……」


 ふぃあー……。


 やれやれと、マテウスさんが肩をすくめた。




 夕食に食べた仔羊の足の煮込みは評判通り美味しかったけど、お店で昼間のお兄さんを見ることは出来なかった。本当に冒険者をしていて、たまにしか帰ってこないらしい。


 宿に帰ってアリアネは先に寝かせ、わたしはユリウスと晩酌。

 ヴェルニエに住んでいた頃が、なんだか懐かしい。


「こっちは仕入れも挨拶も済んだけど、ユリウスの方はどうだったの?」

「そうだな……」


 重いため息のユリウスに、じっと視線を向ける。


「……あまりよくないの?」

「手放しで喜ぶことも出来ぬが、悲観するほどではない。……コンラートのお陰でな」

「コンラート様が?」

「口の堅いジネットならば、構わぬか。今更だが」

「えーっと?」


「魔物は、来るのだ」


「え!?」


 本当に……?


 もちろん、ユリウス達がその準備に走り回っていたのはよく知っているし、わたし達だって頑張っていたけれど……。


「ゼールバッハ家の受けた、王命の表向きは聞いているな?」

「うん。表向きは魔物が来るっていう占いで、裏は民を安んじる……だよね」

「実際には占い師の戯言などではなく、北方辺境のみならず東方辺境にも魔族侵攻の兆候ありと、軍部より内密に進言があったそうだ。魔物の気配を探る為の魔導具を持たせた騎士や魔術師は、定期的に魔物の跳梁域の奥深くまで派遣されているという話でな」

「じゃあ、王国も侯爵家も、最初から……」

「ヴェルニエやシェーヌの代官殿らもな。俺達領主衆にまで話が降りて来たのはつい最近だが、既に近衛騎士団や王都の連隊は出撃の準備を整えているらしい。彼らが北に向かうか東に向かうかは、魔物の動向次第だが……」


 空になったユリウスの酒杯に、ワインを継ぎ足す。……手が震えそうだ。


「数十年に一度の小競り合いはもちろん、数百年に一度は大挙して来ると分かってはいても、時期のずれは十年二十年にも及ぶ。

 故に対応策は常に整えてあるが、余力があるとは言えず、その直前になるまで動けぬのが今のヴィルトールだ。……下手にプローシャの力など借りられぬし、あちらも少し前の海魔大侵攻の痛手から立ち直ったとは言い難いからな」


 わたしの表情を見たのか、ユリウスはふむと微笑んだ。


「大丈夫だ。シェーヌやヴェルニエ……もちろんシャルパンティエも、大きな戦火に見舞われることはない。その為の努力は、俺もコンラートも、無論王国も惜しんでおらぬ」


 ……うん、そうだね。


 ユリウスが大丈夫って言い切るなら。

 それはきっと、大丈夫なんだ。


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