第四十二話
次の日の朝、そんな悩みなんかがどうでもよくなるほどの事が起きた。……起きてしまった。
ふぃー。
「そだね。悩むのは後にして、顔洗わなきゃ」
上手い考えが思いつかないまま、フリーデンと連れだって顔を洗いに店を出てみれば……。
「お前、誰なんだよ?」
「僕はリヒャルト。昨日シャルパンティエに来たばかりなんだ。よろしく」
「……街の子か? すかしてんじゃねえぞ!」
「すかしてなんか、ないよ?」
広場の真ん中にある井戸端で、胸を張って威張った様子のフランツがリヒャルト殿下を睨み付けていた。
「お前、何処から来たんだ?」
「王都だよ」
フランツ、あんた何やってんのおおおおおおおおおおおお!?
あまりの光景に、わたしは頭を抱えて踞りそうになった。
「あ、あ……」
あんた、誰に喧嘩売ってんのか分かってんの!?
貴族どころか、その上の王族だよ。殿下だよ。
ああああぁ……こんなことなら、子供達にも一言言っておけば良かった……。二人に危険はないだろうって、高を括ってたのが大間違いだったよ。
思わず駆け寄ろうとしたところで、肩をつかまれてびっくりする。
「ジネット殿、しばしお待ちを」
「ウーヴェ様!?」
振り返れば、昨日紹介されたヴィルトール側の護衛隊長、ウーヴェ様だった。
そうだよ、影からお守りをされているなら、あの様子に気付かないはずがないよね。
……でもウーヴェ様は、喧嘩腰になっているフランツと平然としてらっしゃるリヒャルト殿下から目を離さないまま、くすくすと楽しげに笑ってらっしゃる。
「御命に危険が及びそうならば、我ら騎士一同、いついかなる時でも殿下の御盾となりましょうが……これもまた、貴重な経験なのです」
「は、はあ……」
王宮の中じゃ王子様に喧嘩ふっかけるような人はいないはずで、そりゃあ……貴重な経験なんだろうけど、領主家の筆頭家臣としては落ち着いていられるわけがない。
「実は昨日、殿下とあの少年は宿の中で会っているんですよ」
「え!?」
あ、そうだった。
教会と孤児院は大工さん達が建てている最中で、子供達はみんな『魔晶石のかけら』亭で寝起きしている。食事は二階のそれぞれの部屋で食べるようにしていて夕方は酒場に降りてこないけれど、廊下で見かけるぐらいは不思議じゃないよね……。
「あの少年、子供達の親分なのでしょう?」
「え、ええ、まあ……」
「子供達にだって、欠かしちゃいけない仁義ってやつがあります。言うなれば殿下はよそ者、しかも同い年ぐらいなのに冒険者の……一人前の扱いを受けている相手なら、面白いはずがありません。その親分に一言スジを通しておかなかった、リヒャルト様が悪いのです」
下町の子にも分かる仁義ですなと、ウーヴェ様の表情はにこやかですらある。
その理屈は、わからないでもない。ないけれど……。
「それにしても……」
「はい?」
「あの少年、なかなか見所がありますな」
「え!?」
付き合いの長いアリアネですら半ば匙を投げているやんちゃ坊主で、いつもくだらないことを『最後までやりきって』院長様やシスター・アリーセに怒られているフランツなんですけど……。
「リヒャルト様が気に食わないってのも半分ぐらいは入っているのでしょうが、見ず知らずのよそ者から自分の弟分妹分を守ろうと身体を張っているわけです。……大人でも、なかなか出来る事ではありません」
「あー……」
褒めすぎだよ……って思っちゃうけど、フランツが下の子を大事にしてるのも間違いなかった。一番最初、シャルパンティエに来た次の日に起こした大騒ぎも、妹思いがほんのちょっと行きすぎた結果だったもんね。
子供にだって、子供達だけの世界と約束事がある。
大人になると忘れそうになるけれど、わたしも子供の頃は、同じ家で暮らす家族と、同じ通りで育った兄弟姉妹――血のつながりはなくても、年上の子供は兄と姉で、年下は弟妹になる――やその家族だけが、世界の全てだった。
そこに新顔が現れると、やっぱり最初は揉めたりする。敵か味方か分からない相手だからね。でも、子供達の親分が『認める』って言えば、新しく来た子ももう弟や妹扱いだ。
シャルパンティエでも同じ事で、親分はフランツでアリアネが姉御として、四十人の子供達をまとめている。
年の近いイーダちゃんは、慕われてるけど相談役か大姉御みたいな立場になるのかな。少し年上だし、一人前じゃないけれどもう本格的に働いてるからね。
わたしがあれこれと子供時代を思い出しながら考えていた間にも、リヒャルト殿下とフランツの喧嘩は続いて……あれ?
じっと睨み合ったままだけど、ちょっと様子が変だ。
「お前が一本芯の通った奴だってのは、よくわかった」
「フランツもね」
「……ハハッ」
「……ふふ」
ん?
二人とも笑ってる!?
「来いよ、リヒャルト。大事なきゃく……きゃく……客分として、みんなにも紹介してやる」
「うん、僕もマリーを紹介したい」
ぱんとお互いの手を打ってから、握手。
背の高いフランツと肩を組むのはちょっと大変そうだったけど、リヒャルト殿下はとても楽しげな様子だ。
わたしに気付いたのか、殿下はこちらに小さく会釈された。そのまま二人、宿へと帰って行く。
「……はぁ」
思わずその場にへたりこむ。
よ、よかった。
一時はどうなることかと思ったけれど、なんとか無事に収まったのね……。
「どうです、うちの殿下も大したものでしょう!」
「ええ、もちろん……」
「このままとんとん拍子にお話が進みますと、殿下はジネット殿の母国、アルールの国王に立たれるお方です。田舎のガキ大将相手に、ご自分の主張を飲ませられないほど交渉が苦手だと、困りますよね」
王太子殿下のご息女にして直系の王孫マリー様には、現在のところ血の繋がった兄弟姉妹はおられなかった。本当にそうなったとしても、不思議じゃない。
「ま、それはともかく、男の子ってやつは、どこでもあんなもんです」
「そうですね……」
得意げなウーヴェ様に、わたしは曖昧に頷いた。
それにしても……。
「……ふう」
……ふぃー。
朝からこの調子だと、今日は一日どうなるんだろう。
とても恐い想像をしてしまい、わたしは思わず聖印を切った。
かららん。
「おはようございます、ジネット姉様」
「おはようございます。……先ほどはどうも」
やれやれと店に戻って、朝から疲れきった心と身体を労りながら開店準備を済ませてしばらく、リヒャルト殿下とマリー様が連れ立ってやってきた。
「おはようリヒャルト、マリー」
お忍びのはずの二人に礼を取るのは不自然だし、昨日の内に、市井の少年少女として普通の扱いをして欲しいと当人達からのご希望もあったので、おっかなびっくりながらも未来の国王陛下と王妃陛下を敬称なしに呼び捨てている。
ふぃあー。
「うふ、フリーデンもおはよう」
ひとしきり挨拶を交わし、アレットも呼んで今日の予定を確認する。ウーヴェ様は扉の外で見張りをされているのか、姿は見えなかった。
「わたくし、午前中はイーダのお店でパン焼きを教えて貰う約束をしたんです」
「僕はフランツと見回りに行って来ます。村の中を案内してくれるそうですよ」
「昼からはうちのお店でいいんだよね?」
「はい、姉さま。ジネット姉様、よろしくお願いします」
「うん、もちろん楽しみにしてるわよ。じゃあ、アレットはマリーについてあげて。わたしは動けないから……フリーデン」
ふぃ?
「リヒャルトの護衛をお願いね。フランツが危ない場所に行こうとしたら、止めて欲しいの」
ふぃ!
「よろしく、フリーデン」
……まあ、フランツはフリーデンがわたしの使い魔だってこと、とてもよく知ってるからね。ウーヴェ様達も影から見守って下さるだろうし、歯止めになってくれればそれでいいかな。
「じゃあ、今日も一日頑張ろう!」
「はい!」
「うん!」
ふぃ!
「いってらっしゃーい」
三人と一匹を送り出し、少しだけ肩の力を抜く。
今日は急ぎの書類もないし、昼過ぎにはユリウスも帰ってくるだろう。
朝の内に、昼からは出来そうにない細々とした片づけ物でも済ませようかと、わたしは重い腰を上げた。




