馬蹄砦へ 5
それから。馬蹄砦に入ってから数日が経った。
大急ぎで戦の支度を整えている砦には、続々と被害の状況も集まってくる。
やはり大河沿いにあった村々の被害が多い。命からがら避難してくる民の数も格段に増えた。
集まってくる避難民たちにはできるだけ北へ逃げるようにと呼びかけているのだが、少なくない数が砦に残っている。中には武器を携えて、自分も戦うと言い出す者までいた。
どうにも、避難民への対応に当たっている騎士の一人がうっかり俺の名前を零したのが悪かったらしい。
戦いになれば無事で済む保証はない。そもそも勝ち目の薄い戦いだと何度も説明しているのだが、アルバイン将軍がいるならこの世のどこよりも安全だといって砦から離れようとしないのだという。
そこで仕方なく、砦の指揮官であるノーバスター卿は避難民でも戦う意思のある者を臨時の守備兵として徴用することにした。
流石というべきか。ローセオンの民はたとえ農民でも何かしらの武器を扱える者が多い。
臨時の守備兵は三百名ほどが集まった。
とはいっても、普段は戦いとは無縁の生活を送っている人々だ。騎士隊が守備兵と合同で応急的な訓練を行っているが、どれほどの戦力になるか分からない。
そこで、俺も守備兵たちの訓練を手伝うことにした。
というか正直、他にやることが無いのだ。
戦の支度で砦中がてんやわんやしているが、砦の防衛計画なんて俺には立てられない。
ノーバスター卿たちもその辺は承知の上なので、あれこれと作戦に関して意見を求めてくることはない。
巷では知謀もいける文武両道の天才剣士などという噂が流れていたりするが、これはまったくの嘘である。自慢じゃないが、戦い以外では役に立たないのだ、俺は。
とはいえ、飾りなりにも総大将である俺が荷運びとかやっていると問題らしい。
消去法的に、残ったのが兵の訓練指南という仕事だけだった。
営庭に集まった兵の中にはダイツの姿もあった。
俺がアルバイン将軍だと知ったためか、最初はガチガチに緊張していたのだが、身体を動かすうちにそれも解れてきたらしい。
ノーバスター卿が言っていた通り、ダイツは確かに他の兵たちよりも動きが良かった。
しかし、どうにもあの巨漢が剣を振り回している姿はちぐはぐに見えたので、思いつきでバトルハンマーを持たせてみた。
武器庫にあった一番デカくて重いハンマーを選んだのだが、ダイツはそれを軽々と振り回してみせた。そもそも初めて見た時には丸太のような棍棒を振り回していたのだ。本人も剣よりこういった打撃武器の方が扱いやすいと言っていた。
元傭兵というだけあって実戦経験もそれなりだし。とりあえず一人、戦場で頼りになりそうな男が見つかったなと思った。
現在、馬蹄砦に集まっている戦力はこうなっている。
まず、主力となるのは次の二つだ。
元々、この砦に駐屯していたノーバスター卿隷下の南部防衛騎士団。
内訳は騎士百二十騎と、歩卒三百六十名の、総勢四百八十名。
続いてヴェルダン卿の率いてきた王城からの増援部隊、五十七騎。
速度を重視したため、歩卒は連れてきていない。
これに砦の守備兵三百名と、避難民の中から徴用した臨時守備兵が三百名。
以上を合わせて、総兵力約千二百名。
砦に籠って戦うなら悪くない数ではある。しかし、相手が一万を超す化け物の群れともなれば、不安は尽きない。
一人でも戦力になる者が欲しいという話を兵の訓練を見に来たノーバスター卿としたところ。彼はなんとも微妙な顔をしながら「実は」と口を開いた。
地下牢に一人、罪人を捉えているのだという。
少し前まで巷を騒がせていた殺人鬼で、呆れるほど腕の立つ男だそうだ。
ようやく捕まえたのは良いが、素手でも危険すぎて牢から出すに出せないのだという。
戦いに参加する代わりに、減刑してやると話を持ち掛けてみれば協力してくれるかもしれない。そう思って会いに行ってみた。
「……何してんだ、お前」
牢の中で剥き出しの岩壁にもたれ掛かり、両足を投げ出していたそいつに思わず呆れた声が出た。
そこにいたのは、痩せすぎの身体を黒い装束で包んだ中性的な美貌の男。
以前、ダイツと出会ったアニマという街で乱闘騒ぎを起こしたあの黒い剣士だ。
確かレイブンとか呼ばれていたか。
「なんだ、アンタか」
レイブンが左右の一房が純白と紫に染まっている前髪の奥から、何処か感情の欠落した目を俺に向けた。
「アンタに剣を折られたせいで、死合いもできなくなった」
「それはご愁傷さま」
戦闘時の高揚した声とは似ても似つかない、平淡な声で恨み言を吐くレイブンに俺は肩を竦める。
「薄々分かってはいましたが。衛兵でも手に負えないこの男を気絶させたのは誰なのかと話題になっていたんです。やはり将軍でしたか」
顔見知りらしい俺たちに、ノーバスター卿が口を挟んだ。
「ノーバスター卿、コイツの罪状は?」
「分かっているだけでも殺人で六件。本人は決闘だと言い張ってますが、相手が死んでしまっている以上、調べようもない。まあ、丸腰の女子供を惨殺したわけでもないですから、重くても苦役十年くらいでしょうか」
「ふむ」
刑が軽いように思えるかもしれないが、一応ここローセオンは武の国だ。もしもコイツの言う通り、決闘の結果として相手を死なせてしまったのならば、やや寛大な措置が取られることは珍しくない。
それにノーバスター卿の言う通り、この男は女子供を好んで切り殺すようなヤツじゃないだろう。
「おい、ここから出してやろうか」
「将軍、それは」
しゃがみ込んで、鉄格子越しに視線の高さを合わせてレイブンに尋ねた俺に、ノーバスター卿が警告するように言った。
「彼は危険な殺人鬼ですよ」
確かに、ノーバスター卿の言う通りだ。
だが、今この状況でこれほどの剣士を遊ばせておくのは惜しい。
「新しい剣もやるぞ。前のよりもっといいやつだ」
「将軍」
ノーバスター卿が案ずるような声を出すが、敢えて無視した。
「話がうますぎる。何を企んでいる」
レイブンが疑うように目を細めながら訊き返してきた。
それに、俺は何でもないことのように答えた。
「別に大したことじゃない。ただちょっと、いまこの砦に向かって一万の化け物が押し寄せてきてるんだが、そいつらを撃退するのに力を貸してほしい」
それを聞いたレイブンはわずかに考え込む素振りを見せた。
流石に、一万の化け物相手に戦えば牢から出してやるというのはあくどすぎるだろうかと思っていると、レイブンがおもむろに顔を上げた。
「分かった。手を貸すのは良い。だが、条件が一つある」
「なんだ?」
「事が済んだら、俺ともう一度死合いをしてくれ」
「……」
その条件に、思わず返答に詰まってしまった。
色々と突っ込みが追いつかない。
「将軍」
ノーバスター卿が小さく俺を呼んだ。首を横に振っている。
話にならないと思っているのだろう。
まあ、その気持ちは分かる。
こんな戦闘狂を牢から出したら何をしでかすか分からない。
そうでなくても面倒な状況なのだ。さらに余計な厄介ごとは御免こうむりたいのだろう。
そんなことは分かってる。だが。
「大丈夫だ。責任は俺が持つ」
囁き声でそう答えてから、俺は再びレイブンを見た。
「分かった。お互い、生き残れたらな」
それを聞いたノーバスター卿は大きく肩を落としていた。
しかし、仕方がない。使えるものは何でも使う。それくらいしなければ、この戦には勝てない。
「ただし。敵を撃退するまで決闘は禁止。余計な問題を起こさないこと。この二つが守れたら、だ」
「承知した」
俺が付け加えた条件に、レイブンはあっさりと頷いた。
端正な面立ちに獣のような笑みが浮いている。もう戦いが終わった後のことを考えているのだろうか。だとしたら、暢気というか、なんというか。
まあ、口約束でこいつの協力が得られるのなら安いもんだ。




