ドワーフの街 8
中へ入ると、板張りの床の上には籠や箱が散乱していた。中には服が突っ込まれているから、脱いだ衣服はここへ入れておけという事なのだろう。奥へ目を向けるとそこに壁はなく、板張りの床が途切れた先、火山の岩肌が剥き出しになっているところに小さな池があった。
もうもうと湯気が立ち昇る水面には、ドワーフたちの髭面が浮かんでいる。
なるほど、ラキアの言う通り、これは贅沢だ。
もしも同じ量のお湯を沸かそうと思えば、燃料がどれほど必要になるか想像もつかない。
そんなことを考えながら、手早く服を脱ごうとしてふと気づく。
服を脱ぐのは良いとして、銀髪なのがバレたらどうしよう。いや、でも。ここまで来て温泉に入るのを諦めるのか。
そう思いながらもう一度、湯に浸かっているドワーフたちを見る。一人が頭の上に布を乗せていた。熱い湯に浸かっているため、汗だくだ。それを頭に乗せた布で定期的に拭いている。
これだ。
フードを被ったまま、その中で身体を拭くために持ってきた布を頭に巻き付ける。入り際、ラキアから少し大きめの布にすべきだと教えてもらったおかげで、頭をすっぽりと包むことが出来た。
一応、手で触って髪が出ていないかを確かめてから、近くにあった籠の中へ着ていた服を放り込む。
湯煙の立つ池の傍らまで行くと、そこに置かれていた桶で湯を汲む。桶に手を入れてみると、温度は少し熱めだ。受付で言われた通り、それで身体を流す。
桶にたっぷりとお湯を汲んで、それを何度も浴びた。汗や汚れだけでなく、疲れまで溶けて消えてゆくようだ。未知の感覚に、身体のところどころがぴしぴしと痛むがそれすらも心地良い。
それから、足先から慎重に湯の池へ身体を沈めてゆく。初めのうちは肌がぴりぴりと焼けるように熱かったが、少しすると身体が慣れたのか。それもなくなった。
あー、これは良い。
思わず、ほぅ、という吐息が口から漏れた。
肩までお湯に浸かって、目を閉じる。お湯が溜められているこの池は、ドワーフたちが作ったのか。岩の表面がつるつるとしていて、裸でも座りやすい。
「お、なんだ。坊主か」
「どうしたんだ、昨日は突然いなくなりやがって」
全身全霊で温泉を堪能していると、ふいにそう声をかけられた。目を開けると、二人のドワーフがこちらを覗き込んでいる。昨日とは、昨日の宴会のことだろうか。そこにいた人たちなのかもしれないが、ぶっちゃけドワーフの顔の区別などつかない。
なので、一応、ああ、どうもと軽く会釈を返しておく。
「すみません。突然、ゴウェル殿に呼び出さたもので」
そう答えると、二人はなら仕方ねえなと納得してくれた。
「しかし、これは良いなぁ……」
言いながら、顎まで温泉に浸かる。気持ち良すぎて身体が溶けそうだ。
銀貨一枚も、これなら納得の値段である。
「そうだろうが」
ドワーフたちもどこか得意そうだ。
「でもな、坊主。入るのはこの辺だけにしておきな。奥に行くほど湯が熱くなる。わしらにはちょうどええが、お前ら人間には耐えきれんからな」
そう言って、片方のドワーフが温泉の奥を指さした先は湯気が濃すぎて見えない。
「試してみようなどと考えるなよ。前に馬鹿な人間が一人飛び込んで、全身火傷して死んどる」
「へえ、そうなのか」
もう一人のドワーフがそう付け加えたのを聞いて、危ないところだったと思った。ここの熱さに慣れたら、もうちょっと奥まで行ってみようとか考えていたからだ。
「あと、浸かり過ぎてものぼせるぞ。まともに立てなくなる前に、少し涼みな」
わりと親切に温泉の入り方を教えてくれるドワーフたち。そういえば、さっきから少し頭がぐわんぐわんしている。なので、言われた通り、湯から身体を引きあげた。
「……坊主、すげえな、その身体」
立ち上がって、温泉の縁にある岩に腰かけた俺を見て、一人が驚いたように目を見開いた。
「なるほどのう。これは戦士の身体じゃ。ゴウェルさんが気に入る理由も分かった」
いや、たぶん気に入るとは少し違うと思うが。
ドワーフたちが口々にそう褒めているのは、俺の身体が傷跡だらけだからだろう。
「歴戦の勇士ってのは嘘じゃなかったんじゃのう」
などと納得したようにドワーフたちは頷いている。漢の勲章じゃのうとか言っているが、実は俺は実戦で怪我をしたことはほとんどない。この傷跡はほとんど、故郷にいた頃の訓練で付いたものばかりだったりする。
正直、オークとの夜戦なんかよりも訓練の方がよほど修羅場だった。投石から始まって、射かけられる矢を打ち落とせるようになるまで、何度ハリネズミのようにされたことか。
矢尻を外されているとはいえ、高速で飛来する木の棒に当たれば皮膚は裂けるし、肉に食い込むことだってある。あれは痛かった。そして辛かった。
昔のことを思い出して物思いに耽って黙り込んだ俺を、傷についてあまり語りたくないのだと勘違いしたのか。ドワーフたちはのぼせんなよ、といって先に出て行った。
温泉をすっかり満喫してから、俺はラキアとレティを連れてゴウェルの鍛冶屋へと向かった。ちなみにレティは俺が温泉に入っている間にすっかり立ち直っていた。待っている間、ラキアに甘いお茶に牛乳を混ぜた飲み物を勝ってもらったらしいのだが、それを甚く気に入ったようだ。それにしたって、三杯は飲みすぎだと思うのだが、彼女にはそれを飲み干さなければならないという良く分からない使命感があるようだった。
「おう、来たか。遅かったな」
出迎えたゴウェルの目の下にはくっきりとくまが浮かび、疲れた顔をしていた。だが、その表情は何処か清々しい。
「温泉が想像以上に気持ち良かったもので」
言い訳のようにそう答えると、自分もひとっ風呂浴びてこようかのうと羨ましそうに呟いていた。
「あの、それで」
腰に吊っていた剣を彼に返しながら口を開くと、彼はむっつりと頷いて作業場の奥を顎でしゃくった。金床の上に、磨き上げられた精霊鋼の剣が置かれている。
「振ってみろ」
返した剣を壁に掛けながらゴウェルが言うので、剣を手に取って何度か振ってみる。以前よりも、振り心地が軽いような気がした。それになんというか。思った通りの場所で刃先をぴたりと止められる。剣と腕がと一体化しているような感じだ。
「ちょいと欠けていた刃先を研ぎ直したから、前よりも空を裂きやすくなっとるはずじゃ。それから、剣身と柄の固定が少し緩んどったのを締め直した。わしに出来たのはそれだけだったが、前よりは良くなっとる、と思う」
「ええ、すごく良くなっています」
やや自信なさげに説明する彼へ、正直にそう答える。が、それを聞いたゴウェルは疲れたように息を吐くと、金床の横にどっかりと腰を下ろした。
「わしは元の状態に戻しただけだ。すごいというのなら、その剣がすごい。いや、そんな剣を打ったご先祖がすごい。精霊鋼を使えば、誰でもそんな剣が打てるわけじゃない。鍛造から成形、焼き入れ、仕上げまで一片の狂いもねえ。それを作ったご先祖は天才だ」
散々に打ちのめされたと語りながら、何故その顔は清々しいのか。
入り口に立ってこちらを見ているラキアとレティは不思議そうな目でゴウェルを見ているが、俺には何となく分かる気がした。
「おれぁ、まだひよっこだった」
顔を上げ、ゴウェルはそう言った。濃いくまの浮かぶその顔は笑っている。
上には上がいた。それを知ることができて嬉しいのだ。
「ありがとよ、坊主。良いもんを見せてもらった。そして、新しく学ばせてもらった」
「いや、そんな。こちらこそ」
礼をいう彼に頭を下げ、懐から金を取り出す。結局、温泉にはタダで入ることが出来たため余った銀貨だ。精霊鋼の刃を研ぎ直すなんてとんでもない技術への対価としては安すぎるかもしれないが、そう思いながら銀貨を差し出す俺を、ゴウェルがそっと止めた。
「いらねえ」
「いや、しかし」
流石にタダでやってもらうわけにはいかないと食い下がろうとする俺に、彼はきっぱりとした声で言った。
「対価ならもう貰っとる。五千年も前に。その剣の最初の持ち主から。そしてその子孫は未だに古い盟約を果たしている。ならば、友人としてその手伝いをするのは、わしら山の下のドワーフが果たすべき当然の務めだ」
ゴウェルは友人という単語を強調した。ドワーフはがめついが、友人と認めた者からは金をとらない。それが彼らの友情の示し方だ。ならば、無理に金を押し付けるのはむしろ失礼にあたるだろう。
「分かりました。では、いつの日か我らの力が必要になれば呼んでください。友人として、いの一番に駆けつけます」
剣を鞘に納め、軽く一礼をして外へ向かう。
「気を付けろ」
鍛冶屋を出ようとしたところで、背後からゴウェルの声が掛かった。
「何をでしょうか」
「昨日の鬼ども。あれはたぶん、西の谷から来た連中だろう。だが、この辺じゃローセオンの騎士団が気張っとる。今まで、この街に人喰い鬼どもが来ることはなかった」
ゴウェルの言う西の谷とは、ローセオン南部のほぼ中央に位置する峡谷のことだ。前回の戦のあと、生き残った魔軍のオークどもが逃げ込み、そのまま棲みついてしまったらしい。かつては美しい沢の流れる場所だったそうだが、今や化け物どもの巣窟と成り果てており、近くに住む者たちからはオーク谷とも呼ばれているとか。
何故知っているかといわれば、昨日、同じことを言っていたドワーフがいたので話を聞いておいたのだ。
峡谷の出入り口は東西にあり、それぞれに監視のための騎士団が張り付いている。近くの砦に駐屯しているという騎士団も、その一つなのだろう。
いく度か大規模な討伐計画も立案されたらしいが、複雑な地形の隘路へ大戦力を送り込んでもあまり意味がない。さらに峡谷の中ではローセオン騎士団が得意とする騎馬戦術が使えない。以上の二つの理由から、攻略はできても夥しい犠牲が出ると未だ実行には至っていないそうだ。
だが、谷から出てくるオークに関してはその限りではない。騎士団は谷から湧き出てくる化け物を片端から狩りたてて、奴らを峡谷の中に閉じ込めることに成功している、はず。なのだが。
ならば、昨日この街を襲ってきたオークはなんだったのだろう。
騎士団の監視の目をかいくぐってきたとしても、三十匹は数が多すぎる。あれだけの数が揃えば、奴らの存在につられて集まってくるゴブリンの数も相当だったはず。
騎士団が見逃したとは思えない。
「騎士団に何かあったのだと?」
「分からん」
尋ねた俺に、ゴウェルは頭を振った。
「だが。連中、野良にしては装備が良かった。どうにもきな臭い。だから、気を付けろといった」
寡黙なドワーフはそれだけを言うと、むっつりと黙り込んだ。
もう言うべきことは言った。ということだろうか。
俺はもう一度彼に礼をしてから、鍛冶屋を出た。
「お待たせ、行こうか」
「今度は何処に行くの?」
二人に声をかけると、レティがきらきらとした目で尋ねてくる。
そうだなぁと顎を撫でる。
正直、ゴウェルの言っていたことが気にならないかといえば、なる。騎士団のことも気がかりだ。何か問題があったのだとすれば、一度、顔を出してみる必要があるかもしれない。
だが、その前に。手の中には結局使わなかった銀貨が三枚ある。まずはこの使い道を決めるのが何よりの最優先課題だ。
「とりあえず、喰い歩きでもするか」
「あ、じゃあ、牛乳買って! もしくはそれを使った料理でもいいわ」
提案した俺に、レティがさっと手を挙げる。
「……なんでいきなり牛乳好きになったんだ、君?」
昨日まで乳臭いとかいって嫌がっていた気がするんだが。
「育つためよ」
真剣な顔でそう言われた。
「頑張って」
その横でラキアが、遠い目をしていた。




