エルフの星船 3
「私たちにはその無為を慰めるだけの、たくさんの思い出がありますから。かつて在ったもの、今も変わらないもの、いずれそうなるであろうことを歌いながら、先に行った者たちとの再会を心待ちにしながら、私たちは星々の海を渡るのです」
優しく語るその声に、俺たちはゆっくりと振り返った。
そこには俺が見上げるほど背の高いエルフの女性が立っていた。
腰までまっすぐに伸びた金色の髪をそよ風に靡かせながら、星明りを宿した蒼玉の瞳で優しく俺たちを見下ろしている。銀糸で縁取られた純白のローブを纏う全身は淡く輝いているようにも見えた。
高貴さとは身に纏うものだと聞いたことがある。なるほど、それは真実だ。
彼女の姿を目にした俺は反射的に膝を突こうとした。
そうせねばならないと、直感で理解したからだ。
間違いなく、彼女は上のエルフ。それもエルディン卿よりも格上だ。
何処か、神々しさすら感じる。
しかし、彼女は跪拝しようとする俺をやんわりと手で制した。
「おやめなさい、北の若き戦士よ。私はまだ名乗ってもいないのです。そして、名乗るつもりもありません。間もなくこの地を去ろうという名も知らぬ相手に、膝を突く必要も、首を垂れる必要もないではありませんか」
そう言って、彼女は俺に微笑んだ。
ああ、いや、それはと、意味を成さない言葉が口から漏れる。
「あ、あの、ええと、すみません。私たち、別に覗き見るつもりなんてなくて、あ、いや、えと……」
隣ではレティが慌てたように、覗き見ていたことを謝ろうとしていた。エルフの女性がそんな彼女を見てくすりと笑う。それだけでもう何も言えなくなる。
「その。ごめんなさい」
レティは顔を真っ赤に染めて、頭を下げた。
「何を謝ることがあるのでしょう。幼きエルフの姫よ」
彼女はそんなレティの頭を柔らかく撫でながら笑った。
「むしろ、私はこの幸運に感謝しているのですよ。地上を去ろうとするこの最後の時にあって、その出立を見送ってくれる友人たちと出会えた幸運に」
弾むように笑いながら、彼女はそっとレティの手を引いて船が泊められている広場へといざなってゆく。
「さあ、そこの二人も。どうか、私たちの出立を見送ってくださいな」
そう頼まれてしまっては、断ることなどできない。何が起きているのかいまいち理解できていない様子のラキアとともに、俺は彼女の居る広場へと踏み込んだ。
周りにいるエルフたちは、とっくに気づいていたらしい。俺たちが茂みから出てきても、特に気にした様子もなく作業を続けている。
そこへ、船の近くにいた一人のエルフが静かに進み出てきた。
「奥方様、そろそろ船のほうへ」
彼女にそう呼びかけたのは、一団の先頭にいたエルフの騎士だ。
見事な装飾の施された軽銀の鎧を着ており、見るからに業物だと分かる剣を腰に吊っている。装備と態度から見て、彼が騎士たちの最上級者なのだろう。
雰囲気からは、彼が途轍もない武威の持ち主だということが伝わってくる。たぶん、俺なんて相手にならないほど強い。
こんな戦士が一人でも残っていてくれたなら。そう思わずにはいられない。
「許してくださいね、ルシオ」
唐突に、奥方様と呼ばれた彼女から名を呼ばれた。
「な、何のことでしょうか」
慌てて訊き返した俺に、彼女は口元の微笑みを少しだけ深くして言った。
「私たちはもうずっと、長い間、戦い続けてきました。貴方もよく知っている敵と、貴方が想像もしたことがないような敵とさえ。ずっと、ずっと。私たちはその多くを打ち倒しましたが、同時に多くの同胞を失いもしました。……この世界は随分と、寂しくなりました。だから、許してくださいね。私たちが、彼が、この大陸を去ることを」
「ああ、いえ。そんな……」
穏やかに詫びる彼女の視線に耐えきれなくなって、俺は顔を伏せた。
恥ずかしくて堪らなかった。
心の内を読まれたことではなく、そんなことを考えてしまった自分自身がだ。
そうだ。この人たちはずっと戦ってきたのだ。
俺たち人間が生まれるその遥か以前、世界開闢のその時から。彼らは神々とともに、この世を支配しようとした悪神や、それに率いられた暗黒の配下どもと戦ってきたのだ。
彼らが最後の一線を守り続けてくれたおかげで、この世界は闇に呑まれずに済んだ。
そんな人たちに、まだまだ戦ってほしいなどと、どうして言えるだろうか。
どうにか羞恥心を抑え込んで顔を上げると、奥方様と目があった。ずっと俺のことを見ていたのだろうか。曇り一つない蒼玉の瞳には、何かを懐かしんでいるような光がある。
その視線から逃れるように顔を背けた先では、彼女を呼びに来たエルフの戦士が同じような目で俺を見ていた。
なるほど。先ほど名前を呼ばれた辺りから薄々感づいてはいたが、もう全部知られているらしい。
「許す、許さないなど。我々はただあなた方のこれまでの功績に最大限の敬意と謝意を抱くとともに、皆さまの出立を心より祝福するのみです」
一世一代の真面目さを総動員して二人に向き直った俺は、そう口を開いた。
「後のことはどうぞ、我らにお任せください。この大陸は、我が一族が命を賭して守り抜きます」
言い切ると同時に、さっと腰を折る。隣ではラキアとレティも同じようにしていた。
「ありがとう、ルシオ」
奥方様は嬉しそうに顔を輝かせながら言った。
「貴方は先ほど、彼がこの大陸に残ってくれればと思ったかもしれませんが。私はあなたのような戦士が大陸に残っていることに、望外の喜びを抱いていますよ」
やっぱりバレてたか。
思うんだが、上のエルフには人の心を読む力があるんじゃないだろうか。なんてことを考えていると、そうだ、と奥方が両手を軽く打ち合わせた。
「ここで出会ったのも何かの運命。先に私たちから、のちに残る貴方たちへ、せっかくですから、ささやかな贈り物を差し上げましょう」




