エルフの星船 1
ロスリンの里を発ってから一週間。
俺たちは雷鳴のような重低音が轟々と鳴り響く森の中を進んでいた。
「すごい音ね!」
先ほどからどんどん大きくなっている轟音に負けじと、隣を行くラキアが声を張り上げた。
「それだけ近くまで来たってことだな!」
それに俺も大声で答える。
傍からは怒鳴り合っているように見えるかもしれないが、こうでもしないと周囲に轟く音で声がかき消されてしまい会話にならないのだ。
「よっ、と。この先に大きな川が流れてるわー! 目的地までもうちょっとよ!」
そこへ、近くの木立からレティが飛び降りてきてそう言った。
思いがけず、この旅に同行することになったこのエルフの少女は、里からこんなに離れたのは初めてだと言いながらも、こうして迷う事なく俺たちを先導してくれている。
森に住むエルフ特有の方向感覚でもあるのだろうか。それに夜営しやすい場所や、食べられる木の実などを見つけるのも俺より上手い。ここまでの旅程が順調に進んだのは、彼女のおかげといって良かった。
レティに教えられた方角へ顔を向けると、木々の向こうで白い煙が立ち昇っている。
中央大連峰の山並みを背景に、青空へ向けてもうもうと立ち昇る噴煙は、もしもこの先に何があるのかを知らなければ山火事が起きていると勘違いしたかもしれない。
「それにしても、わざわざこんな森の奥深くまで滝を見に行きたいだなんて、人間って変わってるわねー」
「こんな場所まで来るのはルシオくらいだと思うけどね」
目的地が近いと知って、俄然足取りを速めた俺の後ろでは、レティとラキアがそんなことを言っている。
この三人で旅をするようになってからまだ十日と経っていないが、どうにもこの中で俺は少数派らしい。まあ、男が俺一人ってこともあるんだろうけど。いつの世も、男のロマンとは女性には理解しがたいものなのかもしれない。
しかし、だ。
俺たちが今目指しているのは、大陸中央部を南北に分断する大河の源泉ともいわれる大瀑布だ。これを見ないままロスリンの森を後にするなどという選択肢は、俺の中にはない。
しばらく、轟音の響く森の中を進むと、やがてレティの言っていた通り、大きな川にぶつかった。
その川幅は広く、対岸の木々が小指のように見えるほどだ。流れはかなり急で、これを泳いで渡るのは難しいだろう。
そんなことを考えながら、上流へ目を向けた時だった。
「わあ」
「へえ」
同じものを見たラキアとレティが感嘆の声を漏らしている横で、俺は絶句していた。
これほど雄大な眺めを、見たことが無い。
森を遮るように聳え立つ中央大連峰の壁のような山々。その岩壁にぱっくりと空いた亀裂の間を、気の遠くなるような量の水がどうどうと唸りを上げながら雪崩れ落ちている。
その全容を見ることはできない。滝つぼから噴き上がる水煙によって、滝の半分ほどが濃霧の中に隠されてしまっているからだ。
水煙の中から溢れ出した水は川となって、森の一部を飲みこみながら西へ西へと、大河に向かい流れてゆく。滔々と流れる水の総量は果たしてどれほどなのか。きっとこの森を潤してなお、余りあるほどなのだろう。
岩壁を垂直に落下する水は全てを打ち砕くかのように力強く。そして同時に、数多の生命を養うほどの恵みにも満ちている。
これが大河の源泉、ラノウスの大瀑布。
「なるほどね……これは確かに、すごい眺めだわ」
自然の偉大さを見せつけているような、圧倒的な光景に見惚れていると、隣でレティが納得したように頷いていた。その横では、ラキアも同意するように首を縦に振っている。
ここを目指すといってから、さきほどまでの釣れない態度はどこへやら。二人とも、その視線は大河に釘付けだ。
そうだ。なんだかんだ言っても、美しい風景というのはいざその目で見てみれば感動せずにはいられないものなのだ。
勝ち誇るような笑みを口元に浮かべながら、俺は手近な岩の上に腰を下ろした。
ロスリンの里からここまで、とりあえずの方角だけはエルディン卿から教えられていたとはいえ、到着にはもう少し日数がかかると思っていた。だが、どうやらレティのおかげで迷うことなく、最短距離で辿り着くことができたようだ。
早く着いたという事は、その分長くこの景色を楽しめるということである。
ひとまずは、満足するまでここから眺めるとしよう。
そう決めて、俺は背負っていた荷物を下ろして、剣も横に置いた。
「それでルシオ? これからどうするの?」
「これから?」
ふいにレティからそう訊かれて、俺は上の空で応じた。
「これから、何処へ行くのかってこと」
「え? ああ、うん」
まだ着いたばかりなのに、もう次とは。随分と気が早いな。
「ちょっと、聞いてる?」
「ああ、うん。それはもう少ししてから考える」
「ふーん、そっか」
すっかりくつろぐ態勢になった俺を見て、自分も一休みすることにしたのか。レティも近くにあった岩の上にぽすんと座り込んだ。
ラキアは何やら、荷物をもって川の方へ行っている。どうやら、洗濯をしているようだ。
まあ、勝手に俺の目の届かないところまで行くことはないだろう。そう思って、滝へ目を戻す。
「……」
「……」
「……」
「……」
しばし、レティと二人、無言で滝を眺めた。そこまではまだ相当距離があるにも関わらず、滝つぼから吹き寄せる風は水分をたっぷりと含んでいて、夏の暑さに火照った身体に心地良い。
「ねえ、ルシオ?」
水の奏でるざあざあという壮大な自然の調べに耳を澄ませていると、レティがまた話しかけてきた。
「なんだ?」
今ちょっと忙しいんだけどなと思いながらも、一応、言葉を返す。
「いつまでこうしてるの?」
「いつまでって……」
膝の上で頬杖をついているレティにそう訊かれて、そうだなぁと、空を仰ぐ。
日暮れまではまだ三、四刻あるだろう。
「まあ、暗くなる前に夜営の準備はしないとな」
そう返した俺に、彼女は驚いた顔を向けた。
「え? ってことは、今日はここで休むの?」
聞き返されて、当たり前だろと頷く。
何のために森の中を歩き回ったと思ってるんだ。まさか、ちょっと見てはい終わりなんてわけにはいかない。
「あー、無駄よ。レティ」
そうこうしていると、洗濯を終えたらしいラキアが戻ってきた。
「そうなったら、しばらくは動かないから。その人」
言いながら、ラキアは自分の荷物を広げて夜営の準備を始める。
もう今夜はここで一泊すると分かっていたようだ。
「……しばらくって、どのくらい?」
何かを諦めている様子のラキアに、レティが恐る恐るといった声で訊いている。
「んー、そうね」
ラキアは人差し指を顎に添えると、まず俺を見て、次に滝へと目をやって、最後にレティへ向き直ると言った。
「これまでの経験からいうと、三日くらいかな?」
「み、三日ぁ!?」
レティが信じられないという声で叫ぶ。
「本気? 三日もこんなところで何するのよ!?」
「景色を楽しめよ」
「もう十分楽しんだわよ!」
十分って。まだ着いてから一刻も経ってないぞ。
そもそも景色というものには、朝には朝の。夜には夜の眺めというものがある。
三日とは、そうした時の移り変わりによる景色の変化を楽しむために最低限必要な時間だ。
とりあえず、今日の所はここからの眺めを楽しんで。夜になったら適当に火を熾して、夕食を摂りながら滝を眺めて。明日は朝日に照らされる滝を見て。
「滝見てばっかりじゃない!」
「見てばかりじゃないぞ。明日はもうちょっと近づいてみよう」
と言っても、滝つぼ周辺は水飛沫がすごくて、何処まで近づけるか分からないが。
まあ、行けるところまで行ってみよう。
考えるだけでも大冒険をしているような気分になってワクワクする。
が。レティはそうじゃないようだ。
「うっそでしょー!!」
いったい何が不満なのか。頭を抱えながら立ち上がったレティが叫ぶ。
「まだ森から出てもいないのに、こんなところで三日も過ごすの!? 旅ってもっと、あっちこっち巡り巡るものなんじゃないのー!?」
「まあまあ、いつもこんな感じだから」
うわーと声を上げる彼女に、ラキアが慰めるような言葉をかけている。
「……思ってたんだが。エルフのくせに気が短いよな、君」
エルフはその寿命の長さから、というかまあ、彼らには寿命なんて無いのだが、ともかく長く生きるが故に、時間に対する感覚が人間よりも鷹揚というか、無頓着だと言われている。
極端な例だが、かつて人間とエルフが親しかった頃に、人間と友人になったエルフのこんな話がある。
ある日、人間の友人から食事をご馳走になったエルフは、今度は自分が彼を食事に招待することを約束した。しかし、人間の友人は二度とそのエルフと会うことはなかった。
やがて百年ほどが経ち、友人が天寿を全うしてこの世を去り、その孫が成人した頃にようやく、そのエルフが約束を果たすためにやってきた、というものだ。
まあ、実際にこんなことがあったのかどうかは知らないが。ともかく、有限の時を生きる人間と、悠久の時を過ごすエルフとでは時間に対する考え方や感じ方が異なるという事なのだろう。
実際、ロスリンの里で出会ったエルフたちも数百年前の出来事をついこの間のことのように話している人がいたし。たぶん、彼らにとって百年というのは、それほど長い期間というわけでもないのだろう。
しかし、どうもレティはそうじゃないらしい。これが里で子供扱いされていた理由なんじゃないだろうか。
「うるっさいわね! アンタが若いくせに年寄り染みてんのよ!」
やれやれと肩を竦めていると、そう彼女から怒鳴られた。




