ロスリンの森 11
それから数日の間、俺たち(というよりも、俺だけだった気もするが)はロスリンの里を満喫した。大樹の裏手にある湖と滝も見に行ったし、エルフにしか伝わっていないという物語などを聞くこともできた。
ほとんどのエルフは気さくで親切な性質で、一度、衛兵の詰め所へ顔を出した時には訓練にまで参加させてもらえた。自分よりも遥かに格上の相手から指導を受けるというのは、新鮮な気分だった。
里に来てから五日目の夕食にはエルディン卿やアイク殿など、主だった面々と同席することになった。当たり障りのない会話のあとで、俺は明日この里を出て行こうと考えていることを告げた。もっとゆっくりしていきたいという気持ちもあるが、任務を任せたラルゴやミリアのことも気になる。いつまでものんびりとはしていられないだろう。
滞在中とても快適に過ごさせてもらったと礼を言った俺に、エルディン卿は全てを知っていたかのようにただ頷いただけだった。
そして翌日。
エルディン卿は里の出口まで、俺たちを見送りに出てきてくれた。
アイクウェンディ殿とレティも一緒だ。まあ、アイク殿はともかく、彼女が見送りに出てきてくれるのは何も不思議じゃないのだが、服装がおかしい。里にいる間はずっとゆったりとしたローブを着ていたのだが、何故か今日は最初に会った時と同じ、動きやすい軽装をしている。その上、矢筒を背負い、弓まで持ち出している。
だが、そんなレティを見ても、エルディン卿もアイク殿も当然のような顔をしていたので、結局、彼女のしている格好について尋ねられないまま、里の出口まで来てしまった。
わざわざ見送りに出てきてくれたことへ、ラキアと一緒に礼を言っていると、そこでエルディン卿からとんでもない事実を教えられることになった。
「ルシオ・アルバイン。実はあの場でまだ、君に教えていなかったことがある。先の事件に際して人間の諸国へ警告することができなかったのは、未来が曇っていたからだけではない。我ら賢者団の長である、オルランドの行方が分かっていないからなのだ」
囁くように告げられた言葉に、俺は驚いた。
賢者の長、魔法使い、オルランド。人間からはオーランドとも呼ばれているが。それは神代の終わりとともに現れて、この大陸を隅々まで歩き回ったという大魔法使いの名だ。
その名は大陸の歴史にもたびたび顔を出す。闇の勢力による危機が迫った時、彼はそれを人間たちに警告し続けてきたからだ。
「彼が最後にここへ来たのは、十年ほど前のことだ。彼は南方に気がかりがあると言っていた。酷く焦っているようだった。その後、大河を渡ったところまでは分かっているのだが、そこからの足取りがまったく掴めていない」
そう続けたエルディン卿の傍らでは、この話が真実であることを証明するかのようにアイク殿が難しい顔をしている。彼の表情から察するに、この問題はかなり深刻なのだろう。
だが、何故別れ際にそんなことを俺に教えるのかが分からない。いったい、何をそんなに期待されているのだろう。俺はただ、旅を楽しみたいだけなのに。
「気をつけろ、ルシオ・アルバイン」
エルディン卿は背筋を伸ばし、俺を呼んだ。
「君の未来は、私でも全てを見通すことができない。まるで深淵を覗いているかのようだ。その原因は恐らく、君が解決せねばならない問題と、果たさねばならぬ使命の困難さによるものだと私は思う。君の進む道は酷く険しく、危険なものになるだろう」
なんとも不吉な別れの言葉を告げられた時。彼の横からレティがぴょこりと顔を出して言った。
「ま、だから私がついて行くんだけどね」
「……は?」
「……へ?」
その言葉に思わず、ラキアと二人ぽかんとしてしまった。
今、なんて?
「いやいや、何言ってんだ……いや、何をおっしゃっているのですか、レティスリリア姫。貴女はこの里の、姫でしょう」
思わずいつもの調子で答えかけてから、慌てて言葉遣いを切り替える。危ない、危ない。まさかお父上であるエルディン卿の前で気軽に話しかけるわけにはいかない。まあ、この人はそんなこととっくに見抜いているだろうけど。
「君は我らロスリンの一枝の使命を知っているだろう」
俺の問いに答えたのはまさかのエルディン卿だった。
「歴史の記し手として、私たちは君の全生涯を記憶し、記録しなければならない」
「……まさか、その為に姫を私の旅に同行させると?」
「他に適任の者がいない」
いないわけないだろ!
さらりと言ったエルディン卿に心の中で反論する。いやまあ、だからといってアイクウェンディ殿とかについて来られても困るのだが。
「危険です」
少し迷った後、断るつもりできっぱりと言った。
「君がいれば大丈夫だろう」
エルディン卿はそよ風を浴びているような顔でそれに応じた。
なにその信頼。いつの間にそこまで信頼されたんだ、俺。
「それに、娘はこう見えて弓の腕だけは確かだ。足手まといにはならないだろう」
「いや、しかし……」
そもそも足手まといになるとかならないとかの話ではないと思う。ここまでラキアを連れてきておいてなんだが。
「ま、諦めなさい」
食い下がろうとする俺に、レティが笑いかけた。彼女の背後では、アイク殿が仕方ないとばかりに肩を竦めている。平然としているのはレティと、父親であるエルディン卿だけだ。
彼女はそんな二人からとんとんと飛ぶように離れると、アーチの前で立ち止まり、そこでくるりとこちらへ振り返った。
「見ていてあげるわ、ルシオ・アルバイン。貴方のことを。ずっと、ずっとね」
レティは自らの翡翠色の瞳を指さすように、右手の人差し指を右目の下にあてながら、そう言った。
どうやら、断ることはできないようだ。
「ところで、これからどこへ行くつもりかね」
肩を落としていると、エルディン卿からそう訊かれた。
「ああ、ええと。ここから南に向かうと、ラノウスの大瀑布がありますよね。ひとまずは、そこまで行ってみるつもりです」
「ふむ」
大河の起点になっているという大瀑布を見に行くのは森に入る前から決めていたことなので、南に向かうという事に他意はない。だから、心を見抜いたような顔をされたって困るのだが。
「では、まずはあの尾根を目指すと良い」
そう言って、エルディン卿は森の木々の向こう側に見える岩山の一つを指さした。どうやらそこだけ、中央大連峰の山が森側へ突き出しているようだ。
「ありがとうございます」
礼を言った俺に、アイク殿が旅に役立てて欲しいと贈り物の入った袋を差し出した。中には食料とともに、マントが入っていた。レティが羽織っているのと同じ、濃い緑色をした特別な生地で織られているものだ。とても軽く、丈夫な作りになっており、風は通すが雨は通さないのだという。ラキアの分もあった。
「どうしてここまでしてくれるのですか」
あまり他人からの好意を疑いたくはないが、そう訊かずにはいられなかった俺にアイク殿は懐かしむような笑みを浮かべると答えた。
「我々は、彼に恩義があります。その恩を少しでも返したいと思っているだけですよ」
そんなことを言われてしまっては、受け取らざるを得ない。
重ね重ね礼を言って、俺たちはロスリンの里を後にした。
新しい旅の道ずれを得て。
「さあ! さっさと行きましょう! とっとと里から離れるのよ! なんて素敵なの、私はもう自由なのね!」
「わっ、わっ、ちょっと、手を引っ張らないでよ、レティ!」
「おーい、俺のこと見てるんじゃなかったのかー……」




